職業差別を考える
以前見たツイート👇
友人がトラックの運転手を「猿でもできる低学歴の象徴」と言っていて腹が立った。「学問に関わらず、その人が働いて暮らしているのならもう十分立派な事じゃないか」と言うと「学歴のないやつはそんな事も考えない」と答えた。バカヤロウ。それを教えてくれたのはうちの親父だ。トラックの運転手だよ。
これは酷い、でもあるあるだなと思った。
私も以前、登校渋りした我が子をゴミ収集場まで連れて行って"学校に行かないとあんな仕事しか出来ないんだよ💢"と脅して学校復帰させたと自慢していた某教育関係者の言葉を聞いた事があったからだ。
"それは職業差別ではないですか?"の私の問いに彼女は"この国(某海外の国)は貧困層の移民が多く、彼らはその様な仕事にしか就けないのが現実だ"と答えた。
"職業差別は許さない"
綺麗事かもしれないが、特定の職業を"バカでも低学歴でも出来る仕事"みたいに蔑視する人がいるのは本当に悲しい事だ。
学校行かなきゃ、勉強出来なきゃ、あんな風になるよと子どもを脅す…そんなふうに聞いて育った子が他者を尊重出来る、多種多様な世の中に対応出来る人間に育つだろうか。
学歴に関わらず、職業に関わらず、人が尊重される社会にならなければ、社会で人と繋がりたい、協働したいとは思えないはずだ。これでは益々ひきこもり問題は増えるだろうし解決はしないだろう。
私の父は貧しい家庭に育ち、中卒で肉体労働で働き始めて親に全ての給料を渡していたらしい。20歳で自分の会社(といっても下請けの下請け)を立ち上げてから、紆余曲折あったものの50年近く身を粉にして家族の為に働いて来た人だ。父の実家の借金返済額で戸建てが二軒は建っただろう。学歴云々で言うなら、低学歴の父のおかげで、私はアメリカに留学出来たし、私の息子は東大生となった。父がいなければ、父の働きがなければ、今の私たちはない。
悲しいかな今の社会は確かに学歴重視だし、デキる人間が得をする様にできている。昔と違い経済成長も見込めないから私の父の様に高度成長期やバブル期の様な恩恵を受ける事も出来ない。だからこそ、その国に生きる人々が心豊かに繁栄して行くには多種多様な人々が共に尊重し合い、安心して暮らせる国作りが重要なのではないかと思う。
以前小泉進次郎氏が
"将来に悲観的な1億2千万人の国と、
未来に楽観的で自信を持つ6千万人の国だったら、
どちらの方が未来があると思いますか。
極端な例かもしれませんが、
私は悲観的な1億2千万人の国より
楽観と自信を持った6千万人の国の方が
よっぽど強いと思う。 "
と言う発見をしたのはまさに"デキる人間だけ必要"を体現した発言だったと思う。
金さえあれば…と勘違いした心が貧相な人間がのし上がれる社会構造自体に問題があると私は思う。
"人が死んだ後に残るものは集めたものではない。与えたものである。"
これはギター製造会社フジゲン会長、横内祐一郎氏の言葉だそう。
私たちは子どもたちに何が与えられるのだろう…。