見出し画像

セーラー服と不登校


末っ子が来春から中学生の年になる。

小学校までは「学校は時々利用する所」で過ごしてきたけれど、
そもそも今の教育制度に違和感のある彼女と私だから、中学校をどうするか、まだ考えあぐねている。

例えば制服問題。末っ子は制服は着たいけれど、決められたものを必ず着なければならないことに猛烈に反発する。どこまでも自分が軸。

制服に関する色んな人たちの意見を見聞きする中で、
「制服があるのは当然だ」と子どもの頃から刷り込まれていたら、
「制服が必要かどうか…」という問いに対して、

「何を着るか悩まなくていい」
「こっちよりあっちの制服が可愛い」といった発想に留まり、
そもそも制服制度の必要性について議論することがなくなるのは当然。

制服はもはや私たちの潜在意識に内面化していて、意識にも上がらない。

ジェーンは、

・学校や行政が決めた制服がいいと思えば着ればいいし、

・子どもが自分で選んで制服を着たいと思えば着ればいいし、

・私服でもジャージでも良いんじゃないの?と思うが

ここでよく言われるのが、「経済格差が表れると、子どもたちがかわいそう…」ということ。



例えば、Aルマーニの制服が「優」でSまむらの私服が「劣」と捉えられるとしたら、それは確かにそうかもしれない。
でも、そんなハイブランドな服を、制服は自由に着て良いと言われて着るのは「見栄っ張りのひけらかし」だと思えばそれも一つの価値観だし、

Aルマーニを着たい人は「どうぞどうぞ」(ダチョウ倶楽部さんのポーズと共に)と言いながら、自分は母ちゃんの手作りの洋服をステキだなぁと思いながら着てもいいと思うんだけど、

もしAルマーニを着たい人の数が多くて、Aルマーニが着られない子がかわいそうだという風になるなら、

その「多数派に流されてしまう」子どもと親が多い教育制度そのものを問い直すべきでは?と思う。

要するに「制服がいるかいらないか」の議論は表面的。

これまで社会や教育がどう人々の価値観を形成し、個々の自由や選択を制限してきたか、
そして今もしているかを問い直す時だとジェーンは思う。

なお、制服関連の企業やランドセル業界が困るって話もお忘れなく(笑)

結局、制服問題って社会(政治経済)問題。

追記

FB投稿でコメントいただいたことへのジェーンのコメ返しです↓

【強制されることへの反発というか、モヤっと感は、やはり自己決定権や個人の選択を尊重して来たわが家の方針から来ているのかもしれません。

でもいただいたコメントを読んで、末っ子に改めて聞いてみると、制服自体に対して嫌悪感があるわけではないようで、『可愛かったらむしろ着たい』という気持ちがあるみたいです。以前は自分に選択肢がないことや、周囲から強制されることに対してハッキリ不快感を感じてましたが、「仲の良い友だちとお揃いで着れるのがいい♪」と言っていて、実は公園で培った、集団での一体感も大事にする様になったんだなぁという気付きがありました。

小1からアンラーニングな、末っ子の様な不登校の子たちと、集団に属している子たちの間にグラデーションが在るのを、いい塩梅で大人たちが調整していけたらいいですね😁】

#学校を問い直す #桜井智恵子#教育は社会をどう変えたのか #そもそも

いいなと思ったら応援しよう!