子どもが子どもらしくいられる、そして成長出来る社会とは
我が家の下2人の娘たちは学校には行っていない、アンスクーリングの状況下にある。
(あえて不登校と呼ばないのは不登校の原因や人々の捉え方があまりにも多岐にわたるのと、平たく言えば不登校の本質の理解が広まっていないから。)
(アンスクーリングとは学校制度からは外れた、の意味。外れる事を選ばざるを得なかったから外れた。十把一絡げにされてしまう不登校という言葉へのアンチテーゼ。)
我が家の末っ子は遊び盛り!以前はお友だちと遊べないなら公園には行かない!と言っていたけれど、最近運動不足を自分でも感じ、とにかく身体を動かしたい!と祖父宅にいる時はマンションに隣接する公園に1人で遊びに行く事が増えた。私は窓から公園を覗いて末っ子の様子を時々確認する。些細な出来事だが、成長を感じる。
ある日、神妙な面持ちで帰宅した娘。
"どうしたん?""
"いや、小さい子連れたお母さんたちに、"なんであの子、学校に行かずに遊んでるん?"って…。"
“って言われたの?"
"うーん🧐言われた様な気がする"
"えー、覚えてないの?"
"うーん、わからんけど…"
言われたのかもしれないし、言われないけどそんな不審な眼差しで見られてたのかもしれない。何よりも本人がそう感じたのは紛れもない事実で。
これは困った!どう自己肯定感を下がらせない様にフォローするか。
"学校、行かなくてもいいんだよ…気にする事はないよ"とは言ってみたものの、納得していない様子。
そりゃそうだよなぁ…幼児から少女へ成長し、自分と他者の関係性やそこから感じる圧力を感じ取れる年齢なんだよな…。それを末っ子個人の思いだけで乗り切れる問題ではないよな…。あまりにも酷だよな。
"まあ、その人たちはきっと、"可愛い"あなたが1人で公園で遊んでいたから、心配して見てくれてたのかもしれないね…"と言うのが精一杯だった。
眼差しが多数派側であれば、不登校とは子どもたちの不適応であり、彼らに原因があり、学校に適応出来るように治す、という発想になるだろう。
でもそもそも学校側に問題があるとしたら…と考えた事のない人たちからすると学校制度に問題があるから不登校になるとは考えず、全国に18万人とも40万人とも言われる不登校状況下にいる子どもたち、家庭、もしくは学校の中のいじめやスクールカーストに原因を求めるだろう。
学校制度、教育者の質や価値観などの総入れ替えはすぐには達成出来ない、だからフリースクールやホームスクール、地域の居場所が存在しているのは仕方がない。だけどこの不登校問題はもうここ3,40年続き、かつ増え続けている。学校から避難して自分の心身の危険を守れる子はいいが、周りに合わせなければ生き残れない、と無理に通学した結果自殺に至るケースもある。そんなある意味危険な場所をどうして大人たちはこれまで放置しているのだろうか。そして何故その解決策を外に見出すのだろうか。
家庭環境が整っているラッキーな子どもたちは、学校以外に選択肢が用意される。だけどそうじゃない子たちは?残念ながら自己責任としてずっと放置されてきた。むしろ周りからも責められ、自分でも責め、結果ひきこもりになった人たちは少なくない。
フリースクールなどで救われた事が悪いのではない。問題の本質は学校制度にある事、社会構造にある事から目を逸らすなと言いたいのだ。
問題の本質はバケツに穴が開いている事(150年変わらない学校制度の問題)なのにそこは指摘せず、必死で水を入れている(通級指導教室開設、オンライン授業、フリースクール、ホームスクールの推進)様にしか見えない。
教育は人間にとってコモンであるはずだ。コモンだから全ての子どもたちが公費で受けられるはずだ。義務教育(名前が嫌い…義務違うでしょ?権利でしょ)に留まらず、高校、大学、専門学校など、子どもたちが自らやりたい事、なりたい自分を作り上げるために。
偏差値やいくら稼げるのかの高低ではなく、自分が心から喜んで学べる事にフォーカスできる環境整備が必要で、それには学校制度だけではない、社会全体、そして国民の意識の改革が必要不可欠だと思う。
なーんて事を周りの何も考えなくても過ごせるマジョリティさんたちに話したところで納得してもらえたり、アクション起こしてくれるわけでもないんだけど。それでも私は仲間を増やしたい。不登校、ひきこもり問題は子どもたち、家庭に起因しているのではなく、学校と社会構造の問題なのだという事を発信していきたい。
もちろん稀にニグレクトなどのケースもあるので一概に気にするなとも言えない。でもきっと末っ子の感じた視線は温かな眼差しではなく、ジロジロ突き刺さるものだったのだろうと推測する。問題のあるケースであっても、アンスクールの子だったとしても、大人たちには街で見る子どもたちへ温かな眼差しをお願いしたい。
コモンである公園ですら自由に遊べないアンスクール中の子どもたちの心情を、その家族の心情を少しでも慮って頂きたい。