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読書ノート『同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか』鴻上尚史 佐藤直樹

作家・演出家の鴻上尚史さんと、評論家の佐藤直樹さんによる対談記録

コロナ禍で、「なんだか生きづらい」と感じている日本人。コロナ禍だから感じているのではなく、実は日本の社会の構造がもたらす同調圧力という根深い問題があったのだ。同調圧力が生まれる背景には社会ではなく「世間」の存在がある。

目次
 まえがき 鴻上尚史
 序章 コロナで炙り出された「世間」-戦時という風景
    異論を許さない空気
    メディアが煽る危機
    「日本人ならぜいたくは出来ない筈だ!」
    過度に忖度し自主規制するシステム
    同調圧力と相互監視を生む「世間」

世間という考え方は、日本独自ものもらしい。外国に住んだことはないので詳しくはないが、確かに知っている人の輪の中にいると安心する。
ところが、この安心を与えてやってるんだから、みんなと同じ行動とろうね、というのが暗黙のルールになっている。それが同調圧力の正体。

第1部はそんな世間が生み出す同調圧力の事例が次々と紹介される。
たとえば、

人間平等主義のルール
 「出る杭は打たれる」に象徴されるように、全部平等というか、みんな同質だと考えるから、異質な者が外に排除される。つまり、「ウチ」と「ソト」ができる。
 もう一つの意味がまさに、「個人がいない」ということ。
 世間にはインディビジュアルが存在しない。

この人間平等主義の言葉が、中根千枝さんの『タテ社会の人間関係』に出てきた、ということで、これも読んでみようと本屋で購入してきたのだが、読んでいくと、あれ、違うぞ、と感じた。
『タテ社会の人間関係』は50年前に出版された?!
そう、私が買ってきたのは『タテ社会と現代日本』といういわば続編にあたる本だった(汗)。
それにしても50年前にこんなことを提唱した人物を知らなかったとは悔しい限り。まだまだ勉強せねば。

第2部は、いよいよ同調圧力の正体にせまっている。
出てくる言葉は、「ひきこもりと世間体」、「自粛警察」、「忖度」、「村八分」など世間が機能すればするほど、ゆがみが生じている実態を炙り出している。さらに、「傷つきたくない若者の低い自己肯定感」というのは看過できない問題だ。

簡単には変えられそうにない世の中、もとい、世間という仕組みだが、コロナ禍によってその綻びが見えてきている。
日本人はそのことから目を背けずに、これからの社会のあり方を考えていく必要がありそうだ。

最後に中根千枝さんの50年前の名著も読んでおこう。



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