30年日本史00024【旧石器】毎日新聞取材開始*
真田報道部長へのメールは、根室通信部に勤務する記者からのもので、
「藤村新一の発掘が嘘だとの噂がある」
という内容でした。メールを読んだ真田は、すぐさま
・渡辺雅春(わたなべまさはる)デスク
・山田寿彦(やまだとしひこ)キャップ
を中心に取材チームを編成するよう指示しました。山田キャップの下には、
・入社8年目の高橋宗男(たかはしむねお)記者
・6年目の山本健(やまもとけん)記者
が配置されました。
高橋記者が最初に行ったのは、藤村の発掘を疑っている学者を見つけ出すことでした。高橋は、数年前から藤村に疑いの目を向けていた共立女子大学講師・竹岡俊樹(たけおかとしき:1950~)のもとを訪れます。
竹岡は旧石器の型式を重視した研究を行っており、平成10(1998)年に藤村の石器に疑義を呈する論文を発表していました。もっとも、その論文は型式の観点から藤村の成果を疑うものに過ぎず、故意の捏造の可能性にまで踏み込んだものではなかったのですが。
平成11(1999)年、竹岡は藤村の発見に誤りがないか確かめるべく、鎌田に藤村発見の石器を見せて欲しいと依頼し、断られたことがありました。鎌田いわく、「否定的な人に協力はできない」というのです。竹岡はますます訝りました。
さて、高橋記者の取材に対して、竹岡は当初、ひどく警戒した様子でした。「どういうスタンスで取材に来たのか。話はそれから」と語る竹岡に、高橋は藤村の発見を疑っている旨を話しました。すると竹岡は大きくうなずいて、「藤村は絶対埋めている」と確信に満ちた様子で答えました。かなり踏み込んだ発言です。余程自信があったのでしょう。
竹岡いわく、「彼が発掘した遺跡、石器の九割以上が超能力で発見されている」というのです。他の人が全く見つけられなかった石器を、藤村だけがものの5分で見つけてしまう不自然さを指摘しているわけです。また、
「(もし藤村の発見が本物なら)縄文人と同じくらいの知能を持つ人類が50~60万年前から日本にいたことになる。オカルトだ」
とも述べています。確かに、原人が石器をU字型に配置したり、住居を作ったり、人類学の常識に反するような発見ばかりです。
竹岡への取材で捏造が間違いなさそうだとの感触を得た取材班は、考えに考えた結果、張り込みによって捏造の瞬間を撮影することに決めました。決定的瞬間の映像を突きつけない限り、藤村は決して捏造を認めないと考えられたからです。
取材班の張り込みが始まりました。手始めは総進不動坂遺跡(北海道新十津川町)からです。