カンボジア
第1章 ダンスの力
ダンスとは普遍的なものである。
求愛や宮廷でのダンス、癒しや教育のダンス、結婚や葬送のダンスに、観客を楽しませるダンス、季節到来を表すダンスに神々に届けるダンス、物語を表現するもの、言葉にできないものを創造するダンス。ダンスの目的は無数にある。
シミー(腰や肩を震わせながら踊る)もそれぞれで意味が変わってくるのである。
カンボジアの古典である宮廷ダンスは数千年前からあったと言われ、
9世紀から15世紀半ばまでクメール王朝に支配されていた、
このアンコール中心で繁栄して、祝福や繁栄をもたらす重要な役割として、
3000人ものダンサーを召抱えており、「カンボジアの社会にダンサーは不可欠であり、世界文明においても比類なきもの」と言われている。
15世紀半ば、シャムの軍隊に攻略され、ダンサー、ミュージシャンは全てを剥奪されたが、伝統は生き続け、現在でも王の葬儀で重要な役割を果たしている。(カンボジアの神話や民話などがベース、インドからも沢山の影響を受けてるよ。)
この古典的なダンスは、睡眠状態にあるかのごとくゆっくりと、滑らかに波のようにみんな同時に動くのが特徴。一つの場所に長く立ち片足を上げて膝の所で後ろに曲げ、エネルギーをコントロールして、ピンと伸びた指は反らされ、一つのダンスを形づくっている。指や肘も非常に柔軟である。表現も非常に神秘的で、人の感情や体現なども美しい。
クメールダンスは、過去と現在を繋ぐ、王家が持つ階層構造や伝統の絆を表すダンスで、世界の王家の持つそれと共通している。
1975年にプノンペンを攻略したクメール・ルージュ(革命の赤いクメール人)は、封建的な過去の痕跡を拭い去ろうと、カンボジア王家のダンサーを投獄、処刑した。
1979年、ベトナムに後押しされた軍隊により政府を解体。
正当性を確立するためにわずかに生き残ったダンサーや指導者を救い、復興を支援した。その一部のダンサーはアメリカに渡りクメール古典舞踏団を設立する。
カンボジアのダンスの栄光を、母国へはもちろん、新しい観衆へ披露し続けている。
20世紀に独立してからも、王室に保護されながら宮廷舞踊として大事に育まれ、伝統舞踊には様々な演目の中でも有名な「アプサラダンス」が誕生。こちらは20世紀半ば。アンコールワットの壁画をもとに創作されたそうで、意外にも新しい演目である。
下記のTED。
こちらも非常に赤裸々にダンサーからの言葉がありますね。
どうやってダンスというものから、ダンスを踊っている当の本人の事を知ることができようか。
クメールクラシックダンスと評されるのも、歴史がそうさせているのであろう。