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相反するダンス

ダンスは身体表現である。それは各民族によって変わる。

そして、それは宗教の影響を強く受ける。

インド、西アフリカの人々は踊りを通じて祈ることは以前お伝えしたが、それらを起源とし。インド、東南アジア中国や日本へ、南太平洋の島々まで。西アフリカのヨルバ族のダンスは、奴隷船に乗りカリブ海、アメリカだけでなく世界中に影響を与えた。20世紀の社交ダンスにさえヨルバの影響は残っている。

ヒンドゥー教・ヨルバ教と異なり、ユダヤ・キリスト教圏では踊りを通じて祈ることや踊る肉体に対して相反する意見を持つ。

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古代ヘブライ人は周辺の隣国からの影響を受けつつも、初期のキリスト教の考えを引き継ぎ、ギリシャ・ローマ文化における身体感の影響を受けた。のちに論争となり、反対派が優勢となり、教会からダンスは排除された。ダンスは非宗教的なものとなり、民衆の社交の場で盛んになっていく。

それがヨーロッパの活気に満ちた劇場(シアター)の基礎となった。

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聖なるものと世俗との区分はヒンドゥー教・ヨルバには全くなく、逆に身体そのものが聖なるものであるとか、聖なるものが身体に宿るという身体観はキリスト教には全くない。


踊る身体に対するユダヤ教の曖昧な態度は、初期の聖典にも記されている。

初めから、「良いダンス」と「悪いダンス」があるった。

神が紅海を閉じて、追いかけてくるエジプト人から逃れたとき、モーゼの姉ミリアムは、神に感謝して踊りだし、生き延びたユダヤ人たちも彼女に続いて踊った。(出エジプト記15:20)

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ダビデ王は竪琴を奏で、詩を書き、戦い、恋もしたが、また「力をきわめて、主の前で踊った」(エルサレム記下6:14-16)

妻はダビデの踊りをからかった罰として子供を授からなかった。

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詩篇149は、「踊りをもって主のみ名を誉め称えよ」とうたいあげている。

※ハレルヤ。
1 主をほめたたえ、新しい歌を歌いましょう。
神の民よ。賛美の歌声を上げなさい。
2 イスラエルよ、あなたを造られた主を喜びなさい。
エルサレムの人々よ、王であるお方の前で喜びなさい。
3 タンバリンと竪琴の伴奏で、
踊りながら神の御名をほめたたえなさい。

詩篇はもともと信者たちが集団で歌い踊るものであったという学者もいるほどである。神を称えるダンスは、行列や円陣を作って跳ねたり回ったり足を踏み鳴らしたりすることも含まれているようである。

モーゼがシナイ山から神の律法の書かれた石版を持ち帰った時、民は黄金の子牛を神として崇めていて、そのときに民が歌ったり、踊ったりしたと記されている。ダンスが偶像崇拝の忌まわしさの象徴であるかのように記述されている(出エジプト記32:19)これは明らかに「悪いダンス」の例であると言える。

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「踊るには時があり」(伝道の書3:4)なのである。

タムルード(紀元前500年)には、天国では天使が踊っていると書かれている。結婚式で踊られるのはミツバー(ユダヤ教の生活における戒律)であるとラビ法典は定めている。ユダヤ教徒は結婚式で踊らねばならない。こういった戒律があるからこそダンス教師の職業が生まれ、ルネサンス期、ユダヤ教の社交的ダンスは普及したが、踊りを通じて祈ること、すなわち神を称えるのに必ずダンスを必要とすることは全く異なることである。

ユダヤ人がアブラハムの子孫として受け継ぐべき土地に住んでいたところ、異教徒との接触があり、古代ヘブライ人の宗教儀式に影響を受けた。その時のユダヤ人がどういったダンスを踊っていたかは、定かではないが、旧約聖書を通じて、踊りではなく、言葉によって神に近づくことが強調されている。ユダヤ人の神は超越的存在であり、彫刻などの目で見える形では表現されなかった。ましてや神が踊りで表現されることはない。

ヒンドゥー教圏・西アフリカ・ギリシャ・ローマでは神は視覚的イメージによって示され、イスラエルでは、世俗生活と季節祭においてのみ人々は踊る。生け贄、戦争、商売、家庭生活に細かい律法のあるユダヤ教で、ダンスに関しては、適度に踊ることしか決められていない。司祭、預言者、律法者たちは、自国の価値観で隣国の宗教儀式である、熱狂的なダンスをいさめようとしたに違いない。特に男女が一緒になって踊るダンスは、淫らな連想をさせたのでなおさらであろう。

ギリシャ・ローマ文化もまた踊る肉体を貴びつつも、同時に卑しんだ。

ギリシャ人は、クレタ人、ミケーレ人、エジプト人と同じように、豊かな収穫や多産を願って踊った。また戦いの準備、勝利を祝って踊った。結婚式も葬式でも踊った。踊りから生まれるエネルギーの放出が秩序を破壊することを知っていたし、ギリシャ神話の中には、踊り酔いしれたディオニソスの信者たちが、家族に暴力をふるったエピソードも残っている。このエネルギーを何かに転換しなくては集団を維持することができないと、古典劇場で行わせるようにした、アテネの劇場では古い神話を元にした戯曲が上演された。

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また、人間のしきたりを超越してしまったシレニは森住む水の精霊とされるが、酔っ払いながらディオニソスとともに踊ったとされる。

ギリシャ神話はとても古く膨大な書籍が残っているので、上記以外にも様々な逸話が当然のごとくある。カルネイオスとアポロ神が合成された神が踊られている壺も発見されている。こちらは紀元前540年から415年の間に描かれたとされている。ギリシャのダンス集団が踊るコーラルなど、アテネの娘たちがパルテノンの祭りで行列をなして、生け贄を捧げて、ゲームしながら踊られるレリーフも残っている。

酒の神(ぶどう酒)ディオニソスがメナードという巫女を伴う姿は、春の再来、緑の再生を象徴するものとしてバレエの世界にも残り。『タランテラ』として残る。タランチュラコモリグモに噛まれた人は、すぐタランテラを踊ると発汗して治るとされ、蜘蛛がどこかへ行く前に蜘蛛の動きを真似なくてはいけない、しかしそれは陽気ではじけた踊りで時を経て伝わり、南イタリアの古い伝説をモチーフにしたものであるとされ、なんとも神話と伝説が混じり合った不思議な踊りである。(すごい楽しそう↓)

あれ、これ幼き頃に見たことがあるよな、やったことがあるような(笑)

ここからは、恐る恐る、ギリシャ神話の世界へ足を踏み入れていきます!(汗)





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