太陽王とメリーゴーランド
「バレエ」の初期、宮廷の踊り、王妃の滑稽な踊りが上演されていた頃の、中身を紐解いてみよう。
踊りの合いの手として登場していたのが、音楽や歌の間奏曲、詩の朗読、パントマイム、アクロバット、特別に制作された機械仕掛けの装置による数々であった。忘れ難いものに、車の上に載った3段重ねの金と銀の噴水がある。100本の蝋燭が照らし、香りの水を吹き出す車上に王女ナーイアス(ニンフの一種)に扮した豪華な装いの淑女11人が乗ってフロアーを練り歩く。そこに神々の使いであるマーキュリーに扮した1人の貴族が、雷の響とともに機械仕掛けの雲に乗って天井からおりてくる。続いて神々の王ジュピターが鷲にまたがり、フランス君主に敬意を表すために登場する。この催しは、夜10時から翌朝2時半まで続き、10万人ほどの貴族に通達が出されていた。
17世紀後半に至るまでは、ヨーロッパではいわゆる、社交と劇場によるダンスに区別はなかった。後にルイ13世となった皇太子は、2歳でヴァイオリンの調べに合わせて踊っていたという。4歳半のときには、父のために仮面をつけてバレエを踊った。1610年に王位を継承した後も、脚本制作に関与しつつ、自らも貴族、道化、男性、女性と行った数々の役をこなした。
ルイ13世の息子で後のルイ14世となった皇太子も同じく、舞踏室の中心人物となるべく訓練を受けた。勉学よりダンスを好んだという。1643年に彼は4歳で王位を継承すると、彼の母が摂政となったが、その後18年間、この国の政治的実権は、宰相「ジュール・マザラン」枢機卿が掌握した。
彼は幼い王の教育係でもあった。1649年にマザランの政策に対して暴動が起きた時も、幼い王を立てて、全ヨーロッパに印象付けるため、宮廷内の催し物を企画して組織し続けた。ついにルイ14世が即位する記念に作られたメダルが「オービス・ソリス・ガリーチ」(ゴール族の昇り来る太陽)であることを宣言するものであった。
1653年2月のカーニバルの時、宮廷内で上演された「ル・バレ・ドゥ・ラ・ニュイ」(夜の舞踏会)に彼は出演している。彼が6回も繰り返し演じたのが、「太陽王」の役である。「太陽王」周りを仮面をつけた貴族たちが囲んだ。それはあたかも当時は論争中であったコペルニクスの天動説を覆す、太陽の周りを回る惑星のようだと著者はまとめている。
※ルイ14世の「回転木馬」は息子のドーファンの誕生を祝って開かれたもの。パリにある「パレス・デュ・カルーセル」はその式典から名を取ったものである。入念に考慮された隊形をとった数百の騎士がパレードしたとされる、チュイルリー宮は1871年に焼失。現在、アメリカでもフットボールの試合のハーフタイムや、休日のパレードなどでも、ヨーロッパ・ルネッサンス期に確立された団体演技が取りれられているのもこれが元となる。
ルイ14世から、バレエにメリーゴーランド、パレードに天動説まで繋がって来るから面白い。まだまだ、この人物の奥は見えてこない。
次回は宗教との関係も踏まえて、まだまだこの人物を掘り下げていきたいと思う。