魂のいちばんおいしいところ
“そうしてあなたは 自分でも気づかずに
あなたの魂のいちばんおいしいところを
私にくれた”
夜、眠りにつく前には、詩を読むことにしている。
たまに絵本だったり、エッセイや小説なこともあるけれど。
一篇二篇、ゆっくり読むと、
外に向けて張っていた気が、すっと緩んで、
からだの中が、じんわりあたたかくなって、
息がゆっくり出来るような感じがするのだ。
色んな詩人がいるけれど、
特に谷川俊太郎の人間くささが、愛おしくて、何より好きなのである。
彼の詩集の何冊かが、寝る前の定番だ。
良い言葉ほど、何回繰り返しても飽きがこないし、
読めば読むほど、自分の中にじんわり沁みて、
自分を形造る一部になっている気がする。
彼の書いたエッセイを片手に、乗り込んだ新幹線は、
三連休の初日なこともあって満席であった。
時間もたっぷりあるので、さあ読むぞ、と開いたエッセイは、
どれも谷川俊太郎らしい感覚で日々をキャッチしていて、
ふふっ、となったものの、
4つほど読んだところで、なんだか、一気に読んでしまうのが勿体無い気がした。
これは、寝る前に1つずつ読んだ方がいいやつだ、と思ったのだ。
素敵な言葉は、時間をかけて味わう方がいい。
急いでかきこむと、どこかを食べこぼしてしまう気がする。
高級なチョコレートのように、一粒ひと粒、
味わって食べたいのだ。
すると、これから後2時間程、何をしようか、と目を瞑ったところで、
そうだ、また書くか、と思い立ったわけである。
「僕のこと、可愛いって思ってるんでしょ」
と、“ちっちゃな怪獣”にぷりぷり怒りながら急に言われて、
びっくりした。
だって先ほどまで、お風呂に入るのがめんどくさくて、
「めんどくさいよ!何で手伝ってくれないんだ!」と地団駄を踏みながら怒っていたのを、がんばれ〜、お兄さんになったんだからできるよ〜、と応援して、
お風呂場をシャンプーでべちゃべちゃにしながら、どうにか、1人で入ってもらって、
今はぐちゃぐちゃに散らかした部屋を、一緒に片付けようというところであった。
「なんで片付けなきゃいけないんだ!」というので、
部屋汚くて、大事なもの無くなったらやでしょ、と言ったら、「めんどくさいですね!」と拗ねて床に大の字になってしまったので、
それを見ていたら、頭を抱えたくなるのと同時に、なんだか堪らなく愛おしくなって、
思わずしゃがんでほっぺをつんつんしていたら、
言われたのが先程の言葉である。
勿論そうだよ、と言いそうになるのを堪えて、
「じゃあ、どう思われたいの」と聞くと、
「カッコいいって思われたいんだ!」と言う。
床で大の字になって駄々を捏ねながら、かっこいいと思って貰おうとするのには、中々無理があるんじゃないだろうか、と思って、
思わず笑ってしまいそうになるのを堪えつつ、
可愛いじゃ駄目なのか聞くと、
「可愛いじゃダサいでしょ!おにいさんなんだから可愛いは変ですよ!ママもいつも可愛いって言うんだ。」だそうだ。
どうやら、“おにいさん”に憧れるこの子にとって、“可愛い”は子どもっぽくてダサい言葉らしい。
なるほどなあ、と、思いつつ、
お母さんからしたら、それはそれは可愛くて仕方がないだろうなあ、思わず言ってしまうんだろうなあ、という気持ちの方に共感して頷いてしまった。
お母さんの“可愛い”には、
私が思うのと同じように、
“愛おしい”が内包されているのであろう。
色んなことに手がかかりすぎてしまうし、何でも壊してしまう、まさに、“ちっちゃな怪獣”なのだけれど、
手のかかる子程、可愛いものである。
特性が強すぎて、
同級生と同じように過ごしたり、今はお家で暮らすのはむずかしいけれど、
ここに預けるにも、お母さんも沢山の葛藤があったと思う。
そもそも、“おにいさん”になったからといって、一度特段の愛情を注いで、可愛いと思ったものを、
その先、可愛くなくなることなんてあるだろうか。
きっと、いま新幹線で隣に座っているおじさんだって、そのお母さんからは可愛いと思われているに違いない。
私にも弟がいるが、彼もいい歳である。
しかし、未だに可愛くてかわいくて、仕方がないのだ。
“可愛く”思えなくなったら、それは、
可愛いと思えないほど受け取り手が、頑張りすぎて、疲れてしまっているのか、
もしくは“期待”や“見返り”を無意識に乗せてしまっている気がする。
“いい子”だから“期待通りの子”だから可愛い、なんていうのは、
逆に、呪いである。
甘いようで、そこから出られない、
見えない殻に包んでしまう、
そんな呪い。
ここには、そんな呪いばかり与えられてきた子が沢山いる。
この子のような子は、珍しいのだ。
私には二つ下に弟がいる。
小さい頃は、お調子者で、すぐふざけて、すぐ怒られて、
すぐ鼻水を垂らしながら泣いていた。
兄弟みんなピアノをやっていたけれど、
レッスン中に弾いたまま寝てしまうから全然練習になっていなかったし、
家でも練習をサボりすぎて、発表会の本番直前に緊張しすぎて吐きそうになって、
失敗して終えて、
「もっと練習すればよかった〜〜!!」と、泣いていた。毎年のルーティーンであった。
全員3歳から始めたので、兄も私も当たり前のように絶対音感があるが、
弟だけ何故か無い。なんなら、音痴である。
すぐ迷子の放送をかけられるし、すぐ失くしものをするし、すぐいたずらをするけれど、
でも、母は一番弟を可愛がっていたように思う。
私も子供ながらに、弟が一番可愛がられているな、と感じていたが、
不思議と、ズルいと思ったことはない気がする。
そのくらい、そりゃ可愛いよなあって思うくらい、素直で、憎めないやつなのだ。
本人もその自覚があるのか、
母に怒られるといつも、「またまた〜そんなこと言って〜僕のこと好きなくせに〜」と、おちゃらけていた。
それを見ると、母もつい笑ってしまって、許さざるを得ないようであった。
私が大学1年生の時に、母が癌になった。
その知らせで、父は持病のある心臓を、さらに悪くした。
さめざめ1人で泣きながら、泣き止んだ瞬間頭に浮かぶのは、その時高校生の弟のことで、
何がなんでも、この先どうなろうと、
弟には一生生活に困らせない、大学にも困らせない、自由に生きられるようにする、と決意した。18歳の時のことだ。
結局、それから、色々奇跡的に、全部1番上手く転がって、
母も父も未だに元気なのであるが。
本当にお騒がせな人たちである。
しかし、それ以降私の心づもりは、
今までと打って変わって、姉より、母に近いような気持ちになっていった気がする。
弟が大学生のとき、東京で一人暮らしをしていて、バイトもしていなくて、全然お金がなくて、
実家からいくらでも貰える米と、
納豆と豆腐と卵くらいのタンパク質しか摂らずに、ずっとサッカーをして、トレーニングしているから、どんどんガリガリになっていった。
両親も「あんなに痩せちゃって」と言いつつも、兄にも私にも仕送りはしていないから、と条件は変えずに、「バイトするか、うちから通ったらいいのにねえ」と呑気に見守っていて、
弟も、変な意志の堅さがあって、「勉強とサッカーに費やす時間を減らす気はない」と、全然バイトする気もなくて、
もう、どいつもこいつも!と、
ひとり焦った私が、自分も大学に通って、一人暮らしをしながら、アルバイトをして作ったお金で、
プロテインを買ってあげたり、定期的に東京に出て焼肉を奢りに行っていた。
正直そんなにキツいのなら、少しだけでも、バイトしたら?とも思うのだが、
実家から持って帰った米で作ったおにぎりと、水筒に水道水を淹れて大学に通っていた弟が、何人前かわからない量の食べ放題の肉をペロリと平らげて、「色つきの水、久しぶりに飲んだ...」と言っているのを聞くと、
不自由させないんじゃなかったのか?サッカーも勉強も思い切りやらせるんじゃないのか?と、可哀想になって、またアルバイトを頑張るわけである。
1.2年で殆どの単位を取ってからは、サッカースクールのコーチのアルバイトを始めてくれて、お金も手に入ったようだったし、
真夏に4時間ぶっ続けでグラウンドに居て、水道水だけで凌いでいたら水中毒になりかけて、
それからは、“色つきの水”も飲むようになったらしいので安心した。
今では、立派に社会人になった弟であるが、
相変わらず服は自分で買わないし、
ごはんに行くと財布を持って来ない。
可愛いやつである。
一緒にごはんに行くと、大抵食べこぼしたりハネさせて、服にシミをつける私にすぐに気づいて、
呆れながら私より先におしぼりを頼んでくれている。
どれだけ私が自分の仕事を好きか、家族で1番わかってくれているし、
「ハルキには東京が合ってるよ、ここじゃ息、出来ないでしょ」と、
冠婚葬祭のときの、親戚中からの「いつ帰ってくるんだ」「いい人はいないのか、いないなら紹介したい人が」「早く結婚して孫を」コールから、守ってくれたり逃がしてくれるのも弟である。
悩んでいたり、モヤモヤすることがあると、
1番最後まで話を聞いてくれて、その上で私とは違う視点でアドバイスをくれる。
なるほどなあ、と、気づいてなかった視点を貰うことばかりだ。
なんだか、あんなにあんなに、子どもだと思っていたのに、
気づけばこちらが支えられていることばかりである。
頼もしくもあり、寂しくもあるけれど。
でもやっぱり、結局は大人になっても、関係性が変わろうと、
一度可愛いと思ったものは、
可愛くて仕方がないのだ。
「可愛いってさ、女の子っぽいとかさ、見た目がどうとかってことだけじゃないんだよ。
ママは、君のことが好きですきで仕方ないから、そういう時に、可愛いって、ぎゅーってこころから湧き出てくるものなんだよ。」と伝えると、
ぽかん、とした顔をしたあと、
「じゃあさ、○○さんも僕のこと好きなの?」と聞いてきた。
んー、どうだろね、内緒!
と、頬を両手で挟むと、
「なんで内緒なんだ!教えて欲しいんだ!」とニヤニヤしている。
じゃあ片付け一緒に終わらせられたら、教えるか考えようかな、と伝えると、
モゾモゾ起き上がって、こちらの手を握って、
「本当にすき?いい子じゃないけど?
えーっと、お風呂入るの下手くそだけど?あと、怒っちゃうけど?物も壊しちゃうけど?」と、不安そうに聞いてきた。
「上手く出来ない事があっても、怒っちゃう事があっても、君は“いい子”だよ。
みんな君のことがだいすきだよ。ママも私も、ここの大人みんなも。
勿論、お家に帰ったり、友だちを作るのに必要なことはするし、暴れたり、物を壊したりしたら、怒るけれど。
でも、それで君を嫌いになることはないよ。」
「...本当に?ママも好き?嫌いになってない?」
だって、君のこと可愛くて仕方がないんでしょ、と言うと、
深く頷いて、そこから、“ちっちゃな怪獣”は、散らかした部屋を黙々と片付け始めた。
どんな子でも、どんな親を持っていても、
皆、親からの愛を求めて、
自分は愛されているのかと、不安にばかりなるのだ。
求めるだけ与えられる子も、
いくら渇望しても与えられない子も、
与えられても上手く受け取れない子も、様々だけれど。
沢山伝えているつもりでも、
いつも心で思っていても、
意外と、ちょっと照れくさいような、ストレートな言葉でなくては、中々伝わらなかったりする。
だけれど、そうやって口にすると、自分の気持ちに改めて気づけるし、
口にすることで、
“どんな時も、この子を好きで居よう。
可愛いと思える余裕と強さを持とう”
と、また思えるのである。
結局は、この子たちが居るから、私は今日も強く生きられるのだ。
強い、ような、気がしているだけかもしれないけれど。
気づけば、私の毎日は、
日々、与えているようで、
与えられていることばかりである。
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