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【新スーパーマン】なぜ「嫌われる描写」が子供向けなのか

ジェームズガンの『スーパーマン』では一般市民が全員もれなく敵意むきだしである。

後ろの男が投げた空き缶がスープスの後頭部を直撃する。

実は、良く似た映画がある。

『スパイダーマンNWH』にも同じく群衆が全員敵となってヒーローを厳しく弾圧する場面があるのだ。

構図から俳優の表情まで完全一致である。

このように《主人公がみんなからイジメられている》ことは、画が単純だから子供でもわかる。

しかしリアル志向で考えると、このような状況はあまり起きない。

現実世界で世間を騒がす事象には、どんなものでも賛否両論あるのが普通だ。


ここでザックスナイダーの映画での似たような構図のシーンを見てみよう。

支持のプラカードと、アンチのプラカードが混在。
嬉しそうなブロンド髪のおねえちゃんと、敵意むきだしのモヒカン男。

お分かりいただけただろうか。

ザックの映画には《支持者とアンチが同時》に描かれている。

これは非常に複雑な描写で、善悪の判断が未熟な子供には理解できない。子供には今どんな気持ちで映画を観れば良いのか判別できないので、ストレスを感じてしまう。

だからザックの映画は「大人向け」なのである。

暴力やセックスが描かれているから(だけ)じゃなくて、そもそも映画の本質的なテーマの理解に成熟した思考が求められるから、真の意味で大人向けなのだ。


▼なぜ嫌われる描写が「子供向け」なのか:

ただし「ヒーロー映画は子供向けにするべきだ」という意見にも一理ある。

ヒーロー映画なんて、本質に立ち返れば、第一には子供向けの娯楽から発祥しているものだからだ。

「子供向け」という表現にトゲがあると感じるなら、「子供でも楽しめる」と読み替えてもらって構わない。

もし「ヒーロー映画として子供対応は外せない」と強く感じる批評家や観客が多ければ、レビューサイト等でスナイダー監督作品の点数はそりゃ下がるだろう。そのあたりがMOSやBVSやBOPやJOKER2が低評価になった原因じゃないかと私は思う。

そういう批判って、面白いかどうかじゃなくて、相応しいかどうかで判断してるでしょ?

アメコミ映画ってそういう批判的な感想が多いじゃん「こんなのスーパーマンじゃない」みたいなやつ。

皆の心の中に、それぞれの理想像があるから難しいよね。

そして会社重役も同じマインドなら、意にそぐわない監督は次回作の予定があっても契約解除されるかもしれない。

もしくはそういうポジションの人達は経営者として優秀だからたまたま映画会社の重役に就いてるだけで、自分の価値基準が無いから、シンプルに興行収入とレビューサイトの数字だけを見てジャッジしている可能性も高い。

現にWBD(ワーナー・ブラザース・ディスカバリー)社のCEOデヴィッド・ザスラフは、公開直前に『ザ・フラッシュ』を「これまで観てきたヒーロー映画の中で最高傑作だ」と褒め称えたことが報じられて、多くのヒーロー映画ファンの失笑を買ってしまった。

ザ・フラッシュのプレミアでの写真。
一番偉いザスラフCEOを端っこに追いやってポーズを決めるガンとサフラン。
(*個人的には厚顔無恥で非常に胸糞悪いと感じます)
これ、たぶんザスラフは二人になめられて財布くらいにしか思われてないね。
二人がザスラフにヒーロー映画界隈の事情を正しく伝えているかも疑わしい。

ヒーロー映画は制作に莫大な金額がかかるので、会社の上層部も納得させる必要があり、演出やテーマで攻めた映画を作るのは、ますます難しいと感じる。

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(了)

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まいるず
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