書評:覚悟の論理(石丸伸二)
頑張って読み進めたが、私には既知の内容が多く、あまり読む価値の無い本だった。
石丸伸二の話題の著書『覚悟の論理』を図書館で借りてきた。奥付を見たら3刷目でびっくり。すごい人気なのだな。
最初に断っておきたいのだが、私は石丸伸二をインフルエンサーとしては実力があると思っている。少なくないファンが付いているのがその証拠である。これは話術とかキャラの濃さも勿論であるが、年齢が40代に差し掛かった時にちょうど地元の市長が汚職問題で辞職するなど時流に乗っかったり、派手なSNS活動がそれなりに影響力がある人に見つかって大きくバズったり、都知事選に出馬するに際して巨額の資金援助をしてくれる資産家が現れたり、という「運も実力のうち」という考えも併せての総合的な評価である。
ただしインフルエンサーと政治家では必要な能力が大きく異なる。以下では、石丸伸二を政治家として、あるいはこの本を「政治家の著書」として読んだときに私がどう感じたかを書く。
●頭が悪そうに見える文章
政治家として活動されている方なので厳し目に言わせてもらうが、この本に書いてある内容は薄っぺらくて支離滅裂で、いちいちツッコミを入れたくなるので非常に読みにくい。
語感だけは調子良くて、例え話がどれも卑近なので、字面は読みやすい。論理的思考力が低い人や社会人経験の浅い学生、あるいは雰囲気だけ楽しみたい人は読んでて気持ち良くなれるのかもしれない。(*そんな人に限って自分は論理的思考力が高いと錯覚してる人が居たりするから、今でもソクラテスの無知の知という概念の重要性は高いと言えるのかもね。)
率直に言うと、この本の文章は論理的構成力が弱い。はっきり言って弱点である。タイトルに「論理」と掲げているからには、それなりに論理的な文章であることを私は期待したのだが、実際には語句の定義の厳密さにはムラがあり、話題は二転三転と飛躍する。よし今からこのトピックにまつわる深い解説に入るのかな、と思った矢先に話題を変えてしまうことが繰り返されるので、暖簾に腕押しとばかりに読み応えが無い。
なんというか、あまり地頭がよくない人のつまらない持論を、居酒屋で延々と聞かされる感覚と似ている。リアルの居酒屋なら「でもそれって●●●だよね」と反論や確認や軌道修正(いわゆる裏回し)ができるのでまだ良いが、本で一方的に聞かされるのは心底しんどい。まさに読む苦行である。
●雰囲気(だけ)は良い
たぶんこれでも、あの石丸伸二らしい自信あふれたハキハキした口調で演説すれば、なんとなく良いことを言ってる雰囲気だけは出せるだろう。YouTubeやTikTokの切り抜き動画や、5分間という異例の短さの街頭演説でなら、雰囲気で乗り切って「誤魔化せる」かもしれない(*私はあえて「騙せる」という恣意的な表現は避けておく)。
しかし雰囲気だけで済まされないのが市議会での話し合いである。
政治とは本質的に「住民から集めた税金の使い道を決める仕事」なので、そこには必ず利害関係が生じる。
これは「不正に利益をあげる人が居る」といった低レベルな話ではない。その議決によって、今回は損する役回りの人が必ず生じるという意味である。
そもそもお金の話をする時に、全員が平等になることは絶対に不可能である。もし完全に平等にしたければ、最初から税金を集めること自体がナンセンスである。全国民が自分で稼いで、自分の責任で暮らせば良い。しかし集めてどこかに大きな規模で使って初めて、自治体を形成する意味がある。そのバランスの取り方こそが政治の肝であり、政治家の腕の見せ所である。だから政治家は、きちんと論理的に筋が通る説明で議会や市民を納得させなければならない。
しかし安芸高田市議会で石丸伸二市長(当時)がその説明責任を放棄してきたのは周知の通りである。彼は敵対勢力の言い分の中に必ず生じる「どこかに利益が偏ること」を規模の大小や必要性の議論をすっ飛ばして短絡的に「絶対に許されない悪」だと見做し、敵対勢力の批判や揚げ足取りに執心してきた。
そして石丸伸二は自分の言葉では説明せず、抽象的な正論を反射的かつ支離滅裂に引用して見かけ上の論破ゲームに徹し、SNSを使って日本全国の部外者から賛同の声を集めることだけに注力した。だからこそ、石丸伸二の提案は「市民の声」を反映する市議会議員によってことごとく否決された。
この本と同じような支離滅裂さで毎回長時間演説してたから安芸高田市の議員たちはウンザリして閉口したのだろう。口は悪いかもしれないが人生経験も仕事経験も豊富な議員からすれば、「あんなバカには何を言っても通じやせんのじゃから、多数決で否定しとけばええわい。面倒臭い。いくらSNSで日本全国の人気者になろうが、儂らが議会でノーを出し続ければある程度は暴走を抑えられるし、次の市長選挙で落ちるのは目に見えとるわ」となる議員が出てくるのは当然だろう。
●胸糞な文章
この本から窺える石丸伸二の性格はとても悪い。
私は本人に会ったことはないので実際の人物がどうなのかまでは知らない。たぶん普通に街中で会って、挨拶して、軽く世間話するくらいでなら、感じの良いオッサンなんだろうと思う。それは都知事選の直後に生放送のバラエティ番組『オールナイトフジコ』に出演して女子大生と他愛もないおしゃべりを軽快にこなしている時に私が受けた印象である。中身が無い話をするときの石丸伸二はまあまあ強い。まあ共演者の芸人オズワルド伊藤の話術スキルに助けられた節も大いにあっただろうが、石丸伸二は決して下手ではなかった。
おそらく政府与党のおじいちゃん政治家にあれと同じことを求めても不可能な人が多いだろう。今でも石丸伸二を慕う支持者(信者)の人達もたぶん、彼のそういう軽快な側面を見て人間性に惹かれているのではないだろうか。
しかし、少なくともこの本から判断すると、石丸伸二はかなり性格が悪い人に思える。
この本で石丸伸二は、何度も「居眠り議員」や「中国新聞」を持ち出してチクチク攻撃する。あまりの性格の悪さに、私は辟易するのを通り越して、呆れて笑ってしまうこともあった。
●居眠り議員ディス
この本で石丸伸二が最初に居眠り議員に言及するのは第3章14節の「おかしいことはおかしいと言い続ける」である。
この節で石丸伸二は、議会と対立することを懸念する声に対して「仲良くしていれば政策が通る議会など、極めて不健全ではないでしょうか」と問題提起する。
実は周囲は「まともな議論をするために、無駄な敵対は止めれば?」と心配してくれているだけであって、「仲良くすれば政策が通る」なんて多くの人は言ってないので、石丸伸二は話をすり替えている。
このように相手が言ってないことに対して反論することは「ストローマン論法」と呼ばれる、詭弁の中でも基本的なテクニックの一つである。これだけで十分に嫌悪感を抱く文章である。
その流れで、石丸伸二はこう続ける。
ここで説明しているTwitterでの投稿はあくまで《対立が世間に認知された経緯》の説明であって、安芸高田で市長と議会の《対立が生じた経緯》の説明としては不適切である。つまり石丸伸二はここで二重に話題をすり替えている。
こんなに話題転換を繰り返してまで、「居眠り議員」を批判したかったのだろうか。
しかも石丸伸二は自分に都合の悪いことを説明しない。実はこの「居眠り議員」は病気だったことが後から判明しているし、石丸伸二は議員が提出した医師の診断書を見ないでシュレッダーにかけたし、このSNS炎上を受けて生じた「恫喝でっちあげ問題」があるのだが、そちらは裁判になって石丸伸二が負けた。
裁判で負けたことを自分から書きたくない気持ちは理解できるが、経緯を説明すると宣言しておいてこの部分を語らず、自分に都合の良い部分だけ切り抜いて、いきなり2年後まで話を飛ばすのは、石丸伸二が読者への印象操作を図っているようにも見える。
●居眠り議員ディス(Again)
居眠り議員ディスは別の場所でも出てくる。
例えば、第5章28節で「迷うのは戦略が固まってないから」と題した文章の中で、石丸伸二は漫画『沈黙の艦隊』で知って感銘を受けた仕事術、すなわち「①戦略②作戦③戦術の三段構造で考えて戦略は変えずに作戦や戦術を臨機応変にすること」の重要性を説く。これは年齢性別を問わず有益な情報だ。
しかしその文脈で、具体例としてこう書く。
…このお題目に、その話題で釣り合ってるのか?(笑)
これは書いてなかったのだが、誰に向けて発言したのだろう?
自分に言い聞かせたってことかしら?
はい、この一文については同意します。
本当に「機能不全」とまで言い切れるほど議会の運営が腐っていたのかは議論の余地があると思うが、「居眠りをする人がいるのは良くない」という主張に限定すれば100%同意できる。
なんでやねーーーーん!(爆笑)
まずは当該議員と直接会話をすることは出来なかったのか。
一般人が普通に生活してても学校や職場での他人の問題行動を、本人より先にSNSに書き込んで非難したら、人間関係が悪化しそうだし、第三者からも「とりあえずSNSに書き込むコミュ力の低い最近の若者」というレッテルを貼られそうなのに、石丸伸二には一般常識も危機察知能力も無いのだろうか。
これを裏アカとかじゃなくて、市長の公務としてやってるなんて、私に言わせれば「正気の沙汰じゃない」。(笑)
石丸伸二は市長と議会は二元代表制の下で対立することが必要になる場合もあると書いており、その点には私も同意する。しかし、リアルで人として嫌われる必要は全く無い。
上司と部下の関係ならまだしも、市長と議会は対等な立場である。むしろ信頼関係やリスペクトがあるからこそ、「あいつとは意見が異なるけど言ってることには一理ある;だから市民にとってどちらが正解なのかよく話し合って結論を出す」と冷静に対話が出来るようになるのに。石丸伸二は何か大事なことを履き違えてないか。
●居眠り議員ディス(Reprise)
さらに続く第5章29節「作戦の難易度を正しく設定せよ」でこう続ける。
まだ居眠りの話を繰り返すのかよ。(笑)
いや、確かに議会で居眠りをするのは是正すべき行為だけど、他にも書くことないのか。
これって詰まるところ石丸伸二の仕事レベルが低いか、そうでなければ石丸伸二が読者の知性レベルを低く見積もってるから、こういう「居眠りするな」とか「挨拶しろ」みたいな小学生レベルのことしか書いてないんじゃないのか、と疑ってしまう。(苦笑)
ちなみに、本書で何度も擦られる「居眠り議員」こと武岡隆文議員は2024年1月に脳梗塞で亡くなった。晩年はSNSでの誹謗中傷に苦しみ、それが原因の全てとは流石に言えないが、精神的な苦痛が病状を悪化させていただろうことは想像に難くない。であるにもかかわらず、2024年4月に発行した本書にはお悔やみの言葉ひとつなく、シンプルに「仕事をサボって居眠りしていたトンデモ議員」という記述に留まっている。若い読者を想定した人生の指南書のような本書において、武岡議員の健康問題を慮った記述は一度も無い。市長と議会のあの距離感で石丸伸二が訃報を知らなかったとは、およそ考えられない。石丸伸二はどういう神経をしているのか、私には理解できない。
●中国新聞ディス
第4章27節で「市長としての仕事を拡張し、インフルエンサーになる」と題した文章の中で、突然脈絡もなく中国新聞の名前を挙げて、以下のように書いている。
まったく性格の悪い文章である。本来は、同じYouTubeの土俵でライバル関係にある、例えば東京都や神戸市などSNS活動に力を入れている自治体と比較する方が適切であろう。神戸市なら向こうもTwitterで反応してくれてるし。
それにインターネットではないリアルの新聞社と比較するにしても、まだダブルスコアに近い数字で負けているので「これでもまだ中国新聞の50万部には及びませんが」と書くのが、日本人として普通の感覚であろう。しかし、ここで石丸伸二は痛烈に中国新聞を侮辱する。
なお中国新聞の名前も、本の中で複数回出てくる。
これらはひとえに石丸伸二が市長を勤めた4年間に一貫して中国新聞を敵としてパフォーマンスしてきたから、ファンに向けてのサービス精神で書いたものだと思われる。
今回はそもそも自分でお金を出したくなかったから、都民税サブスク本棚でもある区民図書館でレンタルしたが、もしこんな胸糞悪い弄りに溢れた書籍を定価で購入していたらと考えるだけで嫌気がする。
●怒涛のブーメラン連投
そんな気分が悪くなる本だが、実は最後の最後で、壮大な伏線回収のごとく盛大にブーメランを連投してて、少し笑わせてくれる。
第5章31節から引用する。
個人的に、ここは声を出して笑ってしまった。
この真意について、石丸伸二は「一見すると突飛な結論」でも、「一つ一つの因果関係を紐解いて」、「その結論に至るまでの考えを伝える時間を惜しまない」ことで、「自分の理想を理解して動いてくれるチーム」を作ることが大事で、市役所職員に対しては成功した、と自論を展開している。
その割には議員への答弁は雑だった印象が強いのだが…?これ市役所職員は名実ともに部下だからハラスメント気質の上司の言うことに逆らえなかっただけで、議会は部下じゃないから反発していた、という可能性もワンチャンなくないか?(笑)
それよりも、そもそも『風が吹けば桶屋が儲かる』って「世の中には論理でうまく説明できないことが多い」という、割と論理を否定する目的で、「理不尽なことでも受け入れる」ように促すニュアンスで使われることわざじゃなかったっけ?
一応、ウィキペディア貼っておきますね。
やはり、石丸伸二の超ポジティブな解釈は、個性的で独特だと言えそうだ。
次の引用に移る。
もう石丸伸二が自虐ジョークを言ってるようにしか見えない。(笑)
まず正論をぶつけることはマウントをとることではない。
マウントの取った取られたではないと考えるべきところを、石丸伸二はマウントを取られた方が悪いと断じている。これについては、個人の考え方の限りにおいては好きにしてもらって良い。だが地方自治体の首長として議会と政治をするのが職務なら、あまり適切なポリシーとは言えない。重要なのは市長のプライドよりも、市民の利益や幸福だからである。
次にダブルスタンダードの注意喚起をしているが、他ならぬ石丸伸二の答弁にダブルスタンダードはよく見られることだった。この発言がブーメランになっていることを本人は自覚しているのだろうか。
最も典型的なのは政治資金のやりくりについて既存の政治家を「政治屋」呼ばわりして断罪しておきながら、自身は東京都知事選で莫大な資金援助を受けたことだろう。
酒の席では酔ってる人に限って「酔ってないです」って言うよねー。(笑)
…と思ったらその直後にこう書いている。
どんどん墓穴を掘っているようにしか私には見えない。この本も最終章でまとめに入っているので石丸伸二のペンもどんどん加速する。
この本の発行は2024年4月なので、執筆時点で都知事選出馬の資金繰りの言及してなくても別に良いと思う。しかし、ここで石丸伸二が出してきたトピックは、詭弁を含んだ的外れなものである。
安芸高田市の議員定数(16)は安芸高田市の人口約26,000人と地域経済の規模に応じて昔から地政学的に定まってきた数字であって、副市長を2から1に変更する理由の反転で議員数を16から8に変更するのはいくらなんでも暴論である。「同じ50%だ」という詭弁に騙されないで、「そっちは1だけど、こっちは8だ」という論理にも目を向けた上で判断するべきである。
石丸伸二にはこんな簡単に論破されるトピックを持ち出さずに、石丸伸二がこれまで市議会とディベートしてきた内容から「反転可能性テスト」の考え方を実践している別のエピソードを選んで語って欲しかった。(*本当にあるなら)
ちなみに「反転可能性テスト」という語句は石丸伸二か周辺の人物による造語だと思われる。本来学術的な場面で使われる似た概念の語句としては「可逆性テスト」がある。それぞれインターネットで検索してみて欲しい。学術的な論文の出てくる数が全然違うから。
なお「反転可能性テスト」での検索上位には、石丸伸二が市長時代に作成して安芸高田市の公式ホームページで公開した『市政の動き(広報あきたかた令和4年7月号)』のPDFが表示される。これも「自分で考えて自分で言ってるだけ」という証拠になるような気がする。
石丸伸二のブーメラン投擲はまだ終わらない。
あれだけ市議会議員を侮辱する発言を繰り返してきた分際で、よくこんな文言を堂々と書けるものだ。もしかして、第5章なら流石にアンチはここまで読まないだろう、とか打算してたとか?(笑)
定例会において、議員からの一般質問(事前通告済み)を受けて、答弁に立つときに、いの一番に「何度も言ってますけどまだお分かりになってないようなので」とか「勉強不足です、勉強してください」とか「質問文がおかしい、国語の問題です」とか侮辱的な発言で物申して、相手のダメさを指摘するところから始める石丸伸二市長(当時)の映像が大量に残ってるのだが…(呆れて絶句するレベルだわ本当に)
石丸伸二も流石に「お前はクズだ」とか「人間が腐ってきている」とかまではアウトな発言してないとは思う。そこは細心の注意を払っているように見える。
でもさ、ハラスメントって議事録に残る文面だけじゃなくて、態度や話し方や前後の文脈も含まれるんだわ。答弁に立ってわざわざ大きな溜め息をついたり、議員を小馬鹿にするように笑ったり、勉強不足であると叱責するように喋ったり、以前に同じ質問に回答したから今回は回答しないとか、十分に人格攻撃をしているように見えるけどね、私には。
しかも百歩譲って相手に叱責されるのが妥当なミスや落ち度があったとしよう、それを「罪」だと形容している時点で、人格的にかなり問題があると思うぞ。
●感情と理性の狭間で
これはかなり被害妄想が強そうな記述だ。ご自身がそういうお考えだから、相手もそう考えていると疑心暗鬼になってしまうんじゃないですかね?
そんなの、議員やアンチは自分たちの評価を上げるために活動してるのではないからに決まってるだろ。(笑)石丸伸二の熱烈なファンや信者から嫌われてでも、間違っていると思ったことは言わないといけないと覚悟を持って議員やアンチは活動しているからだよ。特に議員はそれが市民を守ることに直結するという信念を持つのだから尚更である。
決して、感情に任せて反発しているのではない。議員を理性がない人物のように書いている上記は、名誉毀損に当たると思われる。
たしかに議員も時には議場で感情的な発言をするときはあったが、それは石丸市長(当時)が議会で、都合の悪い質問では答えをはぐらかして逃げ回ったり、ポイントのズレた内容で議員に説教したり、議員を不勉強であると人格攻撃を、日常的に繰り返して議員を怒らせたからである。
なんなら議場で一番生産性のない発言を繰り返していたかもしれない石丸市長(当時)には一番言われたくない言葉である。
●勝てない勝負はしない
第5章32節は「勝ちが見込めなければ勝負しない」と題している。
ファッ?
これ、大変なことを書いてるけど、正気なのだろうか。
コストカットは市長の権限で実行できるから衝突した、ってつまり「一部の仕事は議会との話し合いでの解決をしなくてもOKだから、議会と衝突した」という意味になるけど。
同じ本の中で、話し合うために対立が必要と書いてる人やで?
話し合うことから逃げてるじゃん。(苦笑)
石丸伸二はよく議員に対して「議会軽視である」と非難していた印象があるのだが、これこそ最大級の議会軽視ではないだろうか。
これが図らずも、後に有名になる逃げ技『石丸構文』(私はあえてサブウェイ構文と呼びたい;サブウェイは嫌がりそうだけど)を予言しているようにも見える。
この《戦いから逃げる姿勢》については、桜風涼(はるかぜすずし)の書評動画が詳しく説明していて興味深い内容だったので、そちらをオススメしたい。一応、私が桜風涼の動画を見た上で感想を書いた記事のリンクをここには貼っておく。
●印税問題
石丸伸二はあとがきにこう書いている。
そういえば印税問題はどうなったのだろうか。
Twitterで検索しても上記がトップにヒットして、続報が無さそうである。
石丸伸二は4月21日に自身のYouTubeチャンネルのLIVE配信で「これ安芸高田市から出すんですよ。なので安芸高田市の職員、特別職である市長が出すもので、出版社の取り分を除き、印税の著者分は全部、安芸高田市に入ります。なので本が売れれば売れるほど、市の財政の足しになるので是非買って下さい。と今、宣伝をしています」と語っている。
しかし発行日が5月24日の本で、実際の著者は石丸伸二になっており、安芸高田市に著作権はなく、つまり本がどれだけ売れても安芸高田市に著作権料は1円も入らない。
この点に疑念を持った人から質問されて、石丸伸二は9月1日に自身のYouTubeチャンネルのLIVE配信で語っている。
これもひどい話だよな。
性善説で見れば「石丸伸二はただの天然おっちょこちょい」という解釈もできなくはないけど、これまでの石丸伸二の優秀人材アピールエピソードとは全然「仕事できるレベル」が釣り合わないのよ。(苦笑)そりゃ、石丸伸二は安芸高田市を応援したい人達の善意に漬け込んで募金ネコババの如く印税を詐取しようとした詐欺師だ…という声が上がってもおかしくない。(←これ石丸伸二が有名な「恥を知れ演説」で使ったレトリックやで;笑)
(了)
最後まで読んでいただきありがとうございます。ぜひ「読んだよ」の一言がわりにでもスキを押していってくださると嬉しいです!