2017年版のジャスティスリーグのオープニングのホームレスの謎に迫る
この人、誰かに似てると思いませんか?
ホームレスの老人男性に合わせて表示されるスタッフの名前と、彼の足元に置かれたダンボールの切れ端に「I tried」と書かれた文字が、とある憶測を呼んでいるので考察します。
▼ホームレスの男性とは?:
2017年に公開された映画『ジャスティス・リーグ』の開始7分間は全てジョス・ウェドンによって脚本が変更されて追加撮影されたシーンが続きます。
これらは1つたりともスナイダーカットには出てきません。そして、いずれも何らかの理由でSNS上でネタにされています。スーパーマンの口ひげを消そうとしたCGが低品質で顔に違和感があることや、バットマンが最終的に強盗を捕まえずに去ってしまうことや、オープニングで紹介される街並みの強盗が可愛い(反抗期の中高生レベル)ことなどツッコミ要素が満載です。笑
さて、オープニングの終わりに一人のホームレスの老人男性が映されるカットがあります。彼はくたびれた服装で街角に足を放り出すように座り、足元にはダンボールで手書きの看板「I tried(頑張ったけど無理でしたという意味)」を置いて小銭を求めています。しかし街を行く人々は彼に視線を落とすこともなく足早に歩いていくだけです。彼の傍には同じように薄汚れた小型犬だけが寄り添っているのでした。
スーパーマンが死んでしまったことと、経済に問題があって強盗や失業者が出ることに何の関係があるんだよ?しかもこの男性は映画のラストで特に救われる様子(経済が回復するとか)もない。というツッコミが入るのですが、、、
この老人がジョス・ウェドンなのではないか?という説が浮上したのです。
▼ホームレス=ジョス・ウェドン説:
SNSに現れた説とは以下のような感じです。
この説は人によっては「ざまぁ」と愉快に感じるかもしれませんね。。。
ただ私は、成果主義のクリエイター業において、自らを卑下するような演出なんて絶対に入れないと思うんです。
だってそうでしょう?
もし、あなた自身がウェドン監督だったら、と想像してみてください。
ただでさえ、その作品が批評的または興行的に失敗したときに監督は責任を問われやすい立場です。そこにダメ押しで「自身が原因でした」と認めるようなシーンを入れることなんてできますか?一体どれだけ多くのお金と人が動いている映画なのか考えてから答えを出してください。そんなことしたら、それ以降に大きな仕事が来なくなるリスクや、場合によっては損害賠償で訴えられるかもしれませんよ。
・・・
だからこのホームレスの男がウェドンだという説は、あくまで周囲の他人が「作品が批評的にも興行収入でも失敗した現在の世界線」から見つめて後付けで当てはめているだけで、事実とは異なると思います。TwitterやReddit(海外版の2ちゃんねるみたいなもの)の住人が面白がって茶化しているだけです。
しかし映画には、本編の物語に全く関係ないホームレス老人がオープニングクレジットに写っているのは確かで、映像作品である以上、ここには作者ジョス・ウェドンの意図が含まれているのは間違いありません。
ではいったい何なのでしょうか?
そこで、私は別の説を提示します。
▼ホームレス=ザック・スナイダー説:
この老人はザック・スナイダーのことを指していると私は推理します。
ウェドンはザック・スナイダーが降板したジャスティスリーグのプロジェクトを引き継いで、ワーナーブラザースから要請されたように「テイストを明るくする」ために色々頑張りました。ジョークを追加して、敵のCGデザインを人間ぽく変更して、ストーリーを驚異の交通整理力で120分に短縮しました。
これはそのまま、あまり軽口を叩かない、敵のCGデザインが怖すぎる、映像でじっくり見せて伝えようとするので200分を超える、とすべての要素がスナイダーへのアンチテーゼにもなっています。
ウェドンは基本的に全部スナイダーの逆をやっています。つまり、ウェドンが発表した2017年版の映画の中ではスナイダーは敗者なのです。これは実際には2017年版が失敗した世界に住んでいる私達には分かりにくくて想像力が必要になるのですが、あくまで作者が意図していた「作品が批評的にも興行収入でも成功する架空の世界線」を意識することで見えてきます。
事実としてワーナー・ブラザースはウェドン版を正史として採用したので、少なくとも2017年時点では「オフィシャルな見解」としてはウェドンが勝者であり正しくて、スナイダーは敗者であり間違いなのです。
この地球上のどこにだって「自ら失敗するために突き進むような人」は(健常者の中には)いません。ましてや成果主義のクリエイター業なら尚更です。なのでウェドンは自身の正当性や成功を示すために、自分と真逆なスナイダーの敗北を暗示するような描写を挿したのだと考えられます。
ここから私は、ホームレスの老人=自分のやり方で頑張ったけど、スタジオからNGを出されて降板させられて、仕事がなくなった男=ザック・スナイダーを表している、というウェドン監督の隠しメッセージだと解釈します。
もう一度ホームレスが出てくる場面をカットごとによく見てみましょう。
実はウェドンの名前が出るよりも先に、老人の顔が出た瞬間に出る文字はザック・スナイダーなのです。2017年当時、数年前からこの映画を楽しみに待っていた人達の多くは「ザックの家庭に起きた悲劇と本作の降板」を知っているので、クレジットに彼の名前が出ることには敏感になっています。
しかもこの老人男性は鼻が大きくて眼光が鋭いので、どこかザックと面影が似ています。老人役なんて誰でもいいのに、ウェドンはあえてこの顔立ちの人をキャスティングしている点を忘れてはなりません。(ウェドンのことを暗示しているならどうして彼に風貌が似ている役者を使わなかったのでしょうか)
そして顔がアップになっている瞬間は身なりがほとんど見えないのでホームレスであるということも分かりません。アップから2カット目で引きの画になった時に初めてこの男性がホームレスだったことが認識できます。
まずザックの面影がある男性を見せて、ザックの名前まで出して彼のことを思い出させる。次に、男性がホームレスである現実を見せつける。これは「狙ってやった」と指摘するには十分な材料でしょう。
しかもトドメを刺すように、それに続くシーンではロンドンの空撮(ザックが撮影済みだった美しい映像)に切り替わり、ザ・シャードをなめて向こうにはスーパーマンを追悼する「S」の黒幕が掛けられたタワーブリッジが見えます。クレジットとして表示される文字は「Directed by Zack Snyder」おいおい、そこに書いてある「S」ってスナイダーの頭文字でもあるじゃねえか。まるでスナイダーの葬式みたいになってるじゃねえか。冗談も大概にしろよ!
・・・
プロの映像作家が映画を作るとき、そこには必ず意図があります。シーンをつなぐ順番も、そこで起用する俳優も、俳優に着せる服も、照明の当て方も、台詞も、音楽も、クレジットで表示する文字も、すべて意図があってやっています。
実際には、映画『ジャスティスリーグ』が批評的にも興行的にも失敗した世界線になったからこのシーンは「盛大なブーメラン」になっただけで、もしこれが興行的に成功してウェドンが優勢な世界線だったらと想像してみてください。私が今回解説した説(ホームレス=ザック説)が多数派になっていたでしょう。
▼ジョス・ウェドン監督の資質について考える:
最初に説明したとおり開始からオープニングクレジットまでは全てウェドンによる追加撮影です。(ロンドンの空撮と、ロイスとマーサが映るシーンのみ例外でザックのものです)スーパーマンのモニュメントの前で佇むロイスと献花する黒人の青年が交互に映るシーンがありますが、この青年のカットはウェドンによるものです。画面を暗くすることで巧妙に似せていますが、注意深く見ると、ウェドンのショットだけセットが安っぽくて照明に奥行きがないのが分かると思います。
時間がない中で作品を仕上げる必要があったウェドンが気の毒な面も多少はあります。しかし、いかんせん彼が差し込んだカットの撮影や台詞のレベルの低さや、後になって次々と判明したセクハラ・パワハラ・人種差別の問題行動の数々に、私は同情の余地をなくしてしまいました。詳しくは別記事に書いてあるので詳細を知りたい方はそちらを参照ください。
色々書いてきましたが、そんな悪巧みが完全に排除されて、ザックの意匠で純度100%で作られたスナイダーカットが、今の我々は観ることができます。下らないジョークや悪意の見え隠れする演出にモヤモヤすることなく、現代の新たな神々として活躍するヒーローたちの美しい雄姿を、是非堪能しましょう!
了。