【坂野義光】ゴジラを飛ばした男
2003年。72歳。GODZILLA企画スタート。
1981年。神戸。ポートピア81。ダイエー館。オムニマックス上映。
アイマックス方式。70ミリ、15パーフォレーション。(IMAX15/70)
坂野「日本には優れた科学技術があるのだから、日本独自の新しい大型映像システムを開発すれば良いではないか」
1985年。つくば博(国際科学技術博覧会)。東宝映像美術、電通。カメラ、現像機器、映写機の一環したシステム開発へ。カメラはセイキ、現像機器は東宝現像所、映写機はウシオ・ユーテック(10キロの水冷ランプが決め手)。縦20m、横24m。その名もジャパックス・システム。70ミリ、8パーフォレーション。
1989年。横浜博。三菱未来館。オールCG、フルカラー作品『イマジネーション』。フランスや韓国にも配給。
1990年。北九州市。スペース・ワールド。テーマ館。プラネット・クルーズ。予算3億円で10分間の映像。15年間で800万人来場。
坂野「これからは大型映像の時代だ」
2003年。大型映像によるゴジラ作品を企画。ゴジラとヘドラを使用。40分の大型映像制作の許諾獲得交渉を東宝と。著作権の窓口は東宝国際の寺田達。1998年に制作したトライスターからゴジラの権利は東宝に戻っていた。
2004年11月1日。先端映像研究所(代表取締役:坂野義光)がオプション契約金を支払って東宝と契約成立。
当初の制作費は6億円に設定。日本各地のアイマックス上映館はコンテンツ不足で閉館が続出。資金集めは難航。
2005年夏。シカゴ。『ゴジラ対ヘドラ』上映会。ドン・ケンプ(プロデューサー『ジョーダン・トゥ・ザ・マックス』)。ケンプ「ゴジラを3Dで制作できれば150館のアイマックス3D劇場にブッキングすることが可能だ」⇒2Dから3Dに企画を変更。制作費も6億円から9億円に増額。
2007年。北米の400を超す劇場が3D転換を決定。
別のアメリカ人プロデューサー「もし東宝から一般劇場用にゴジラのIP使用許可が取れれば、映画制作費を全額ハリウッドで調達も可能だ」
契約内容:40分のIMAX映画を制作する権利だけ(最大60分)⇒劇場用映画の制作権利獲得には最初の契約金の3倍の金額が必要。
信用ある会社から2億円の企画費を出資する契約を締結。振込期日が来ても契約は実行されず。日本の法令では不履行があっても取り立てができない。一方で東宝への追加契約金の支払期限は迫る。5億円の契約成立もまたしても実行されず。企画頓挫の危機。
ここでまさかの温情に訴える作戦。東宝の松岡功会長に手紙で支払期限延期を陳情。なんと受理される。
2010年3月。香港映画祭。フレッド・ワン(サロンフィルムズ社長)が主催のシンポジウムで、クリス・ブロウ(プロデューサー)と出会う。ブロウ氏の紹介でトーマス・タル(レジェンダリー・ピクチャーズ会長)と知り合う。その時、歴史が動いた。
坂野義光とトーマスタルのスキーム:
先端映像研究所のゴジラのIMAX映画化権をレジェンダリーに譲渡。
レジェンダリーが東宝と劇場用映画制作の契約。
レジェンダリーは別途先端映像研究所と契約してこれまでの経費を負担。
坂野義光はエグゼクティブプロデューサーに就く。
映画制作費はレジェンダリーとワーナーブラザースの折半に。
制作:レジェンダリーピクチャーズ
配給:ワーナーブラザース
エグゼクティブプロデューサー:坂野義光
謝辞:株式会社先端映像研究所
2010年10月1日。坂野義満がレジェンダリーを訪問。制作統括責任者ジャン・ジャシュニ、担当プロデューサーアレックス・ガルシア、そしてトーマス・タルと初めて面会。
タル「あなたが監督した『ゴジラ対ヘドラ』は実に印象的でした。中でもカラフルなアメーバのイメージが蠢いているところは素晴らしい」
余談:
ギャレスエドワーズ。BBCが主催したドキュメンタリーコンテストの優勝賞金150万円で機材を購入して、映画『モンスターズ』を撮影。監督、脚本、CGIまで一人で完遂。制作費5,000万円の低予算作品がタル会長に評価されてGODZILLAに大抜擢。
シナリオ制作経緯:
契約内容
・ゴジラとヘドラのIPを使うこと。
・40分のIMAX作品であること。
・テーマは環境問題に絞ること。
(松岡会長が許諾を与えた根拠はゴジラ対ヘドラの実績が大きい)
第1段階のシナリオは坂野自身が書いた。
問題発生。アメリカシナリオ作家協会の規定により「製作費の3%以下のギャラで仕事を受注してはいけない」。この時点で坂野の予定制作費30億円では3%の9,000万円を支払いできない。
⇒第3段階からは劇場用映画のシナリオ作成をレジェンダリーに移管。
マックス・ボレンスタイン、フランク・ダラボンが執筆。坂野は完成してハワイでの撮影に立ち会うまで内容を把握できず。
環境問題のテーマは水爆実験と原発事故として残る。人間の烏滸がましさを批判する渡辺謙のセリフもあり、坂野は安堵した。
坂野義光からの目線で語られるので肯定的なニュアンスに終始しているが、脚本のクリエイティブに一切発言権を無くしてしまったのは、まあ米国ではそういうルールだからとはいえ厳しいものは感じる。
すごく冷徹に突き放すなら、米国に札束の力で全てを持っていかれてしまった。今回はたまたま心ある人が担当してくれて良かったね、という所か。そういう運の良さも含めて坂野氏の人徳なのだと思うが。
第2章以降の坂野義光の生い立ち、黒澤組での経験談、地方博覧会への参加と通じての日本の大型映像システムの開発と普及に邁進する取り組みなどもかなり面白かった。
坂野氏については監督作品こそ少ないが、東宝映像技術の第一人者として常に先導する役割を担い続け、そうした努力の末にレジェンダリー版ゴジラの実現があったのかと思うと非常に感慨深い。
(了)