ホヴィンチコードと100ワニ

たぶん怖さだけでなら『ホヴィンチコード』が現在日本の最上級コンテンツだろう。毎日少しずつ進捗する、この不謹慎な高揚感は、100ワニと似ているかもしれない。

100ワニが特殊で楽しかったのは、Twitter(SNS)を通じて毎日必ず進捗があり、それをリアルタイムで共有してる感覚があり、そして不謹慎だが最後にはバッドエンドが待っていることを把握しているからだった。ホヴィンチコードは、まさに全く同じ理由で人の知的好奇心を刺激しているように思われる。

いや、何なら本家100ワニのように土壇場で、全部広告代理店が仕組んだ虚構コンテンツでしたーってスポイルして欲しいまである。これは虚構ではなくて現実として進行している現状は洒落になってない。切ない。


そういえば、私はこのタイトルに刺激されてNetflixで『ダ・ヴィンチ・コード』を視聴した。普通に面白かった。マグダラのマリアの逸話を知ってればそこまで衝撃を受ける内容ではないが、劇場公開当時はあまり有名でなかった気がするので、キリスト教が社会の基盤になってる欧米ではそれなりにセンセーショナルに受け止められたのだろう。

この作品は、日本に置き換えると「実は皇室がどこかで他の家系に入れ替わってました;この有名な絵巻物に描かれているコレがその証拠です」と国体の根本を否定するような筋書きなので、私だったら強い嫌悪感を覚えるね。まさに遺憾というヤツだ。技術としてどんなに高度なことを実現できている映画でも、高得点は付けられない。それが欧米の批評家でも起きていたと推察できる。

言論の自由だと言えばその通りだけど、影響力が大きな配給会社が携わる映画としては不敬罪に値すると思われる。まあ1947年に法改正されて、刑法では裁けなくなってるらしいのだけど。

不敬罪(ふけいざい、Lèse-majesté、lese-majesty)は、国王や皇帝などの君主・王族・皇族の一族と宗教・聖地・墳墓などに対し、名誉や尊厳を害するなど、不敬とされる行為の実行により成立する犯罪。

日本国内においては、1947年(昭和22年)の刑法改正により、天皇・皇后および皇族に対する不敬罪は廃止された。

https://ja.wikipedia.org/wiki/不敬罪

戦後日本ではGHQと日教組(≒日本共産党)の教育改革が何十年かけて上手く進んでしまったことで、古事記・日本書紀の知識がほとんど無い人が圧倒的に多いし、なんなら映画評論家には左派思想が多いので、もしそんな映画が制作されてしまったら、映画系インフルエンサー界隈ではむしろ絶賛されるかもしれないね。想像するだけで、遺憾であります。


Netflix関連で言えば。

先述の通り、私はNetflixを契約しているのだが、実はまだ『地面師たち』を観てない。最近は暇空茜のライブ配信にオロチくんとタクミさんがよく出てくるせいで、なんかもう観たような錯覚を起こし始めている。(笑)

(了)

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まいるず
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