『【「Vtuberには中の人がいる」という暗黙の了解について】と該当ツイートに対する意見・感想』に対する意見・感想・マシュマロ返答

ツイートと記事が多くの方の目にとまったようで、大変ありがとうございました。と、同時にRT先・引用RT・マシュマロ等で様々な反応をいただき、それが大変興味深いと感じましたので、こちらの記事にて補足説明や返答をしていきます。一部ツイートで返信したものもありますが、再び説明したいと思います。

また、ツイートの引用に関してですが、私の記事・ツイートの「引用RT」としてなされたものは、勝手ながらリンクを張らせていただきます。RT先やタイムラインなどで出された意見に関しては、引用のみで、匿名性確保のためにリンクやアカウント名は省略いたします。(この処置に関して多少なりとも不安があるので、どこか問題があればご連絡ください)

1.「黛灰の物語」を全てのライバーに適用してしまう考察に対して

今回のストーリーの進行に対して、その構成に感銘を受けた方も多いと思いますが、全てのリスナーが歓迎していたわけではありません。

トトロ

考察厨無理

返信不要

以上のマシュマロが私のところに送られてきました。また、それに対して以下のマシュマロも送られてきました。

オタクは声がでかい

バイアス

民度を信じる

むいてない

私は、「おそらく無関係なライバーまで巻き込んだ考察は、彼ら自身の世界観を踏みにじる行為ではないのか」という正当な論が、「考察厨ほんと無理」という語気の強い言葉と、マシュマロという匿名ツールの特性によって、いわゆるクソマロとして受け取られてしまう可能性があることを危惧していました。また、この意見が私のマシュマロとして開示されることで、「私に送られてきたもの」として広まってしまうのは、成果の横取りや剽窃のような気がして、多少の申し訳なさがあります。

以上のことを差し置いて、考察する人を批判する意見に対し「我慢しろ」「スルーしろ」「むいてない」と言ってしまうのは簡単ではありますが、正当な論を一蹴してしまうのは些か寛容性に欠けた行為でもあります。

ではなぜ、無関係なライバーまで巻き込んだ考察を人はしてしまうのでしょう? また、それに対して、なぜ不快に思うのでしょうか?

その原因が分かれば、お互いの軋轢は軽減するのではないでしょうか。

2.前提として、その次元に対する「事実」と「可能性」を分けて考える

私はマシュマロを受けて、こう返答しました。

言葉足らずですが、「自分が何を嫌だと思っているのか」を分析するのは、辛いけれど重要なことです。

「黛灰の物語」や、おなえどしが積み重ねてきたストーリーといった、「提示されたもの」を事実とします。(事実ではなく創作だ、という反論もあるでしょうが、ここでは「その次元」に対する事実を考えているので、これを事実とする前提が必要です)また、ストーリーなどに一切関与していないライバーの存在や、彼らが独自に形成していった物語もまた別の事実です。

事実から派生してリスナーが考察したもの、それをSNSやコメントで発信したものは全て「可能性」の一つです。

事実に対して不快に思うなら、離れるか克服するかしか対策はないでしょう。私としては、趣味に対して精神を摩耗するほど入れ込む必要性を感じないので、素直に離れることをオススメします。

しかし、可能性に対して不快に思うなら、事実を嫌ってまで離れる必要はないのではないか、と思うのです。可能性一つで居場所が失われることはないでしょうし、また一つの可能性を認めないからといって非難されるべきではありません。

突き詰めて言ってしまえば、「他ライバーまで巻き込んだ考察」も「それに対して他ライバーをないがしろにしているのではないかと発信すること」も、その発信する場所や最低限のマナーをわきまえていれば、等しく尊重されるべきです

勿論、ライバー本人に直接問い詰めたり、関係のない配信で話題を出すことはマナー違反ですが、個人的なTwitterで呟く分には自由なのではないでしょうか。

3.他ライバーまで巻き込んだ考察をしてしまう心理

他ライバーまで巻き込んだ考察をしてしまうのは、実は無理のないことです。実際、関係しているのかもしれませんが、現時点ではなんとも言えません。しかし、3Dお披露目のラストや今までのストーリーでは、そう思わせてしまうような仕掛けがいくつかなされています。

① 「2434system」という名前が、にじさんじ全体に関わるものという認識を招いてしまうこと

② 過去に、無関係だと思われていたライバーがストーリーに登場したことがあること(でびでび・でびる、勇気ちひろ、など)

③ 伏線が全て最初から用意されていたように感じてしまうこと

①について、実際関係しているかはそれこそ考察班が議論しているところでしょうが、Dr. Selvigというアカウントが関連しているなら信憑性は非常に高まると思います。(現在は動画が消されており、確定的なことは言えません)しかしこの場では、ストーリーに関する考察は置いておくことにします。とりあえず、名称が単純にあらゆる憶測を招きやすいということはあります。

②については記載してある通りです。今まで自分の推しは無関係だと思っていたが、突然登場して重要な役目を担った、という経験がある人は少なくはないでしょう。それを踏まえると、今無関係のように思える人の関与の可能性を考えてしまうのは不自然なことではありません。

③について、これは私の憶測ですが、「黛灰の物語」で提示された伏線は、必ずしも全てが伏線であるとは言えないのではないでしょうか。伏線のように提示されたそれは、いわゆる後付けのようなもので、それを後で伏線のようにつなげているのでは? という説です。

郡道先生が配信で黛に対する評価をして、それが3Dお披露目ラストで引用されましたが、おそらく郡道先生の発言が物語に組み込まれたのは完全な後付けです。後付けというと聞こえが悪いかもしれません。これはおなえどしが以前から行っていた、「リスナーの選択によって未来が変化する」リアルタイム形式の一部であり、リスナー参加型の応用でもあります。

それが、「黛灰の物語」を形成した人(メタ的に言えば中の人、ただしそれは認識されないことになっています)が最初から用意していたものだと受け取られてしまう。それによって、ありとあらゆることが伏線なのではないか? という疑心暗鬼を生んでしまうのです。だから、なんでもないようなライバーの発言も全て伏線だと思い込んでしまう人もいるのでしょう。

4.「無関係なライバーまで巻き込んだ考察は、彼ら自身の世界観を踏みにじる行為ではないのか」という論について

2で述べた通り、この論は正当性を持って受け取られるべきです。事実を吟味すると、なぜそうなるかは自ずと見えてくると思います。(ただし、本人がそうだと明言したわけではないので、以下の話は私の考察の一部だと思ってください。それを信じて受け入れるかは人それぞれですが、自身のスタンスを取る上での足掛かりになればと思います)

① 「黛灰の物語」という再生リスト

3Dお披露目が終わった後、物語に関する再生リストが作られました。そのタイトルは「黛灰の物語」です。「2434systemについて」でも良いような気がしますし、おなえどしが関わるなら「(自分の名前)の物語」というタイトルはふさわしくないように思えます。

なぜそうなったのかと考えましたが、おそらく元となったのは「出雲霞の物語について」でしょうか?

彼女はまた、自分の物語の受け取り方についてこう述べています。

これを踏まえると、リスナーは「物語など関係ない日常」であるならば、そのままバイアスをかけずに見ることが推奨されている、ということが分かります。

これは他の関係ないライバーにもおそらく適用できるので、リスナーは伏線かもしれないと疑心暗鬼になる必要はないわけです。

また、関係ないライバーに対して無理のある考察をすることは、そのライバーを通して黛を見ているという風に解釈されかねません。勿論、考察やその発信自体は自由ですが、それに対して不快に思う人がいるかもしれないということは、念頭に置いても良いのではないかと思います。

② 星川サラがいたこと ※完全な深読みなので読み飛ばしてくれてもかまいません

星川があの場にいたことは何かを示唆しているのではないか、という考えがいくつか見られました。私は、星川のような、全くストーリーに関わらない存在がいる、ということを表現しているのではないか、と考えています。

あの後、星川に対して「黛はどうなったの?」と聞いたところで、彼女は考察勢が期待するようなことを話してはくれないでしょう。全くの部外者の存在を立証するために、あのような立ち位置の人物が必要だったのではないでしょうか。おそらく、彼女に対してストーリー的な考察をすることはナンセンスだと思われます。

5.その他の反応に対する感想

以下、引用RTやRT先等でいただいた意見に対する感想です。

もしも黛灰の解釈が今後発展してひとつの答えに結びつくのだとしたら、これからVtuberを始める人にとっても新しい風が吹くのだと思う。あの配信のラストにはそれだけの価値があった。

厳密には全く新しいことをしたわけではない。しかし、多くの人に提示した、という行為は大きな意味を持っているのではないでしょうか? そのあたりが伝わったようでありがたいです。

Vtuberはかなり新しい概念だから自分は仮想生命(liver)/仮装生命(diver)という二つの定義を作って、完全に仮想生命になるには何が必要で何が足りないかをずっと考えてる感じだ
むしろ中の人がいなきゃなんだと思ってるのアニメの声優は認知してるのにVtuberの中の人否定してるの?
vtuberに対して、それをその人自身、それともキャラとして見るか。彼らからすれば自分は"自分"だが、無粋にも無意識的にも暗黙の中の人を透かして見られているわけで、あれば果たしてや"自分"はと。
うまく言えないけれど、当人にしてみればあくまでペルソナの一つでしかない側面……一人の人間にける氷山の一角が、そのまま活動してるって感じなのかなって。それはある種、二次創作すらも内包し得る多層性を持ったキャラクターなのかもしれない。

認識論に対する考察がなされていて面白いと感じたものをピックアップさせていただきました。仮想生命(liver)/仮装生命(diver)という定義は初めて見ましたが、言葉のキャッチ—さも相まって非常に興味深いです。これについても何か書けそうですよね。

アニメのキャラクターとVtuberの「中の人」という感覚の違いは、非常に説明が難しく、言語化に苦戦を強いられているところがあります。様々な記事を読んで、経験から総合的に理解をすることは可能でしょうが、それを他人に説明するのは難しい。私の記事を読んで疑問が生じるのは最もですし、私も全て説明できたような気がしませんでした。

ただ、先日SHOWROOMで行われた星井美希の配信と、それに対する分析は参考になるのではないでしょうか。

私はアイマスに関して全く知識がないですが、

VTuberが「虚構へスライドした実存」だとするならば、今日SHOWROOMで見た星井美希は、「実存へスライドした虚構」だった。

という文は、理解の一助になるかと思います。この言葉を借りるなら、「中の人という暗黙の了解に対するアンチテーゼ」は、「虚構にスライドしていった結果、実存が見えなくなるという可能性を提示した」のではないかとも思うわけです。

この記事はMZMのコーサカが言及したことにも触れているので、Vtuberファンが読んでも面白いと思います。

あの配信は「普段黛を見ていない人も黛のストーリー考察に合流参加する」力をめちゃくちゃ持ってる配信なのでたぶんこの事態はある程度黛も会社もおそらく他ライバーも織り込み済だろうな〜と思ってるのであとはマジでファン同士で注意を促すのはいいけど喧嘩するのはやめようね〜っておもう
 あの配信で黛のストーリーに興味持って他ライバーに侵食するんなら他ライバーのストーリーや世界観にも興味を持って大事にする感性も育ててほしいところではある
自分は一見舞台は広がったようでいて逆に関係してくるVを絞って線引きを明確にした気もする 今後師匠がVとしてデビューする日が来る可能性はあるし、関わりが増える可能性はあるけど、今まで走らせていた二本の大筋からは外れてない

この2つはフォロイーのツイートで、今回の論を組み立てる上で参考にさせていただきました。この場を借りてお礼申し上げます。

6.まとめ

これはもしかしたら一番重要なことかもしれませんが、1で述べたような「『黛灰の物語』を全てのライバーに適用してしまう考察をしてしまう人」は、全ての考察班が当てはまるわけではありません。また、それをしている人を糾弾する必要もありません。

考察をする人もしない人も、どちらにも居場所があります。ある意見に対して批判する権利は誰にだってあるし、批判される可能性は誰にでもあるわけです。

以前、なぜ私にマシュマロで送ってくるのだろうと疑問をこぼしたことがありましたが、それに対して

影響力

というマシュマロが返ってきました。

私は、インターネットに必要なのは「寛容性」であり、「サンは森で、私はタタラ場で暮らそう」のスタンスなのではないかと思っています。だから、どのような意見を送っても俯瞰して受けとってくれるだろう、と思われているのかもしれません。

ただ、私に影響力があるというのは、少し違うような気がします。影響力があるように見えるのは、おそらく「主張することを恐れていない」からです。(あとは文章的な技量でしょうが、これは誰でも身に着けられると思います)

正直、「俺のマシュマロに入れるの勿体ないから自分のツイートとして発信してくれ!」ぐらいには、人の意見を聞いて考えるのが好きなので、主張することを恐れずに発信していただけたら、と思います。見てないようで結構見てたりするので、参考にすることがあるかもしれません。

では、別の記事を書くことがあればまた会いましょう。

以上。

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