「にじさんすい」の評価がなぜ割れたのか
にじさんじを中心にVtuberを追っているが、最近公式のグッズ展開が止まらない。
もちろんグッズが出るのは嬉しい。自分はお財布事情や家族との関係もあって、そうそう買えることはないが、様々な需要を満たしていてとても良いと思う。特に、ボイスなどは場所を取らないし、手軽だしで、大変ありがたい。
しかし、しばらくTLを見ていないと乗り遅れるのもまた事実。ついこの前も、気が付いた時にはもう告知が出ていた。
にじさんすい。
で、これについての評価が真っ二つ、というわけだったのだ。
こんなことで争うのも馬鹿馬鹿しいと思う人もいるかもしれない。たしかに、グッズ一つ一つに文句を付けていたらキリがないと思う。
しかし、この一例は「vtuberはキャラクターなのか」という疑問に対する、人々の受け止め方の違いをよく表しているのではないだろうか。
そう考えて、記事にしてみようと思った。なるべく論理的に解説していきたい。主観も入ってしまうかもしれないので、ご指摘があればコメントなど、よろしくお願いします。
ちなみに、自分はこの商品について、批判するつもりはない。
実は、この手の商品は非常によくあるもので、何度も見かけたことがある。キャラグッズとしては、特に違和感のないものだろう。
というわけで、以下賛成派の意見としてまとめておこう。
賛成派の意見
前述したように、これはキャラクターグッズとしてよく見るものだ。
単純に例を挙げると、こんな感じのものである。
にじさんすい自体は、トルソーのような形に、かわいらしい制服デザインを生かした商品だ。
公式のリプ欄にも「ほしい!」という声が散見される。しかし同時に、反対派の意見も見られると思う。以下に述べよう。
反対派の意見
一口に反対派の意見といっても、ざっと三種ぐらい見られた。
① 水を売るのはライバーのグッズとしてどうなのか。
② 四肢切断のように見えて不気味だ。トルソーに対して恐怖を覚える。
③ 女性のライバーの女性性を売り物にしているように見える。ある種のアダルトグッズのように見える。
本記事では、①と②は趣旨から外れてしまうので、③について解説したい。③に関する意見が、なかなかに多かったように見えたのだ。①や②に関しては、また別の機会に。
女性型ペットボトルから受けるイメージ
そもそも、女性型ペットボトル自体に批判はないのだろうか。
昨今Twitterなどでフェミニズムが盛んであるので、これに対する言説・批判がありそうな気がした。
というわけで、TwitterとGoogle両方で検索をかけてみたところ、「買いづらいw」というような声はあったが、「卑猥だ」「女性を冒涜している」という意見はなかった。
完璧に調べたわけではないので、取りこぼしはあるかもしれない。しかし、今回のように大勢が言い出す、というようなことはなかった。
ただ、「買いづらい」「なんかエッチだ」というように、多少の性的なイメージはどうにも感じ取れるらしかった。
具体的なリンクは張らないが、この商品を「服を着た女性」として扱っているネタツイートもあった。
しかし、問題にはならなかった。マネキンが「卑猥だから撤去しろ」とは言われないのと同じだろう。
ちなみに、マネキンと性的イメージに関して調べてみたところ、以下のような記事を発見した。
この記事は2013年のものなので、およそ6年ほど前の出来事である。
詳しくはリンク先を見てほしいが、簡単に要約すると「ビキニ姿のマネキンは卑猥だから撤去しろ」という案があった。6年前のインドで。
この記事では、レイプ被害の多い国でそれを言っても説得力がない、男性の思考が異常なのだ、という扱いになっている。
以上より、「女性型ペットボトルのグッズは万事において卑猥だから発売をやめろ」という意見によって、にじさんすいが批判されているわけではない、ということがわかるだろう。
vtuber(ライバー)の人間性とは
ではなぜ、「女性性に対する冒涜」というような趣旨で、批判がなされたのだろうか。
ものすごく極端な例で考えてみよう。
下着姿の女性が生身の姿でマネキンとして普通にディスプレイされていたらどうだろうか。
大問題である。かなり特殊な状況(そういう芸術作品やAV)でないかぎり、公序良俗や人権の観点からして、問題である。
では、実在する三次元のアイドルをモチーフにした、女性型ペットボトルが発売されたら?
ここで私の思考は止まってしまった。実際に例として観測されないのだ。明確な証拠が存在しない。
しかし、それを逆手にとって「実在する三次元アイドルの女性型ペットボトル発売は、確実に問題になるのでどこもやっていない」ととらえることにした。かなり無理があるが、そう考えるしかない。私一人の倫理観には限界があるのだ。
となると、「二次元のキャラクターはOKでも、三次元の実在する人間には適用できないことがある」ということになる。
ではvtuberは?
というところで意見が割れているのだと思う。
要するに、「ライバーは二次元のキャラクター寄りの存在だ」と思っている人は賛成し、「ライバーは生きている私たちと同じような存在だ」と思っているひとは反対する傾向にあるだろう。
とはいえ、ここには「単なるトルソーのような商品を性的なものとしてみてしまう発想」と「公式のデリカシー」という対立構造があり、どちらが正しいのか全くつかめない状況にある。
そういう心理学の専門家がいればよいのだが……。論文等があったら紹介してください。
ちなみに、女性の体のラインとフェミニズムの関係について検索したが、ほとんど出てこなかった。未知の領域なのか、探し方が悪いのか……。
条件とタイミングが重なってしまった
今回、やや炎上気味になってしまった(こういう言い方は良くないのかもしれない。炎上したと言い切ってしまうと炎上したことになってしまうのだ。言葉には気を付けたい)のは、タイミングと条件がある。
まずタイミングについて。
ちょうどこの時期、vtuberに対するセクハラが問題となっていた。
もちろんセクハラはよろしくない。というかvtuberだろうがライバーだろうがリアルの人間であろうが女性だろうが男性だろうが、セクハラは犯罪なのだ。この場合、名誉棄損罪・侮辱罪にあたるだろう。
自分もかなり気を使っている。検索除け・ゾーニングという言葉は、vtuberを応援するうえで知っておかなければならない。
とまあ、一連の騒動(?)があったので、わりとファン側が敏感になっていた。敏感になること自体は別に悪いことではなく、いいことだ。ただ、結果として、以前よりは批判されやすくなっただろう。
次に条件について。
たとえば、にじさんすいの形状が、普通の四角いペットボトルだったら? 男性ライバーの衣装もラインナップに入っていたら?
評価は変わったかもしれない。
依然として反対派はいることだろう。前述の①と②の意見は、この条件にしても解消されないからだ。しかし③の意見は解消するのではないだろうか。
このように述べてきたが
以上、様々に解説や考察、引用を交えてみたが、はっきり言ってこの商品が適切か・不適切か、一個人が判断することは不可能だ。
しかし、これを書くにあたって感じたことがある。
それは、圧倒的にエビデンスが不足していること。
私自身の不勉強もあるだろう。そもそも調べ方が悪いのかもしれない。本を参考にする方法もあるだろう。
だが、vtuberのような存在の受け止め方、女性の扱いに対する心理のような分野は学問において、もしかしたらフロンティアなのではないだろうか。
未知の存在にぶつかったとき、我々は考えたり調べたりしなくてはならないと思う。そして、他人の意見を受け入れる柔軟さを持つべきだ。肯定はできなくとも、否定はしない柔らかさを持つことが重要だろう。
少なくとも私は、考えて調べて書いて勉強する、ということがとても楽しいので、将来はこういう職に就くのも悪くないな~と考えている。
最後のほうは関係ないことを述べてしまったので、ここまで読んだ人は稀だろうか。いたとしたら、お礼を言いたい。ありがとう。
また色々と展開していくつもりなので、よろしくお願いします。
以上。