【エッセイ】二年、筆を絶った

物を書き始めてから10年になるが、2019年と2020年は何も書かなかった。

いや、もっと正確に言えば、プロットとかアイデアはたまに出していた。ただ、完全に完成した作品を出すことはなかった。

更にもっと正確に言えば、2019年は二次創作ならそこそこちゃんとした作品を書いていた。2020年は全く、書かなくなった。

2019年は、熱量が二次創作に向いていただけで、書くこと自体には意欲的だった。その点では、筆を経ってはいなかったと言える。

しかし、2020年はダメだった。

2019年であれほど熱量を注いでいた二次創作に対して、限界を感じてしまったのだ。これが普通のアニメやらマンガだったらそういうことはなかったかもしれない。Vtuberで、小説の二次創作をすることのコスパの悪さに耐えられなくなったのだ。

Vtuberの活動を支援する二次創作において、小説の貢献性はほぼない。

配信内容をそのまま表現したイラストやマンガ、動画は貢献性が非常に高い。単なる立ち絵を描くだけでも、Twitterでたまたまその絵が目に入ったという理由だけで、新規参入を見込める可能性がある。小説にはそれがない。小説はあくまで、内輪のパロディや、解釈で盛り上がるものでしかない。

中にはそうではない小説もある。ランキングに載るような、純粋に人を楽しませるような、わくわくさせる小説は、やはり新規参入を見込めるかもしれない。

だが、自分の作風はそうではなかった。自分が書くものは、書きたいものは、人を楽しませることを目的としていない。人に考えさせたり、インパクトを残したり……あまつさえ人を傷つけることを目的としている。傷つけるといっても、中傷などではなく、心に治らない傷を残すような作品でありたいという意味だ。

ともかく、そういった作風とVtuberの娯楽性は、非常に乖離しているような気がした。元気よく、ユーチューバー風の挨拶をする推しを見ると、罪悪感があった。実際の姿と離れた作品があっても良いのが二次創作だが、自分がそれを続けていくと、現実の推しと自分の作品での推しの乖離が更に進み、そのうち推しの形をなくすのではないかと恐れた。それであるなら、二次創作である必要がない。元々自分は一次創作者なのだ。

さらに追い打ちをかけるようにして、カップリング系二次創作を表ですることが厳しくなっていった。

自分は、いわゆる関係性を重視する面が強く、セックスがあることを前提とした「左右」という概念のある二次創作を書くことができなかった。(読む側に立つ分には普通に楽しんでいる)

一度、無理矢理酒に酔うようにして(これは喩えだ)一気に書き上げたが、もう二度と書けない、と思った。まるで別人だが、まるっきり別人ではない彼らを、どう捉えればよいのか悩んだ。他人の作品を読んでいるときは全く気にしないのに、自分の作品となると、途端に目についた。

自分が積極的に書けるものはブロマンスに該当するので、本来なら表に出しても構わない領域ではある。しかし、それを表で出すには、あまりにも関係性を重く書く傾向にあり、それがコンビものです!と堂々とお出しされた暁には、異端者として吊るされるに間違いなかった。仕方がないので、隠れて出したが、その出した場所もタグの付け方も、正解とは思えなかった。

2020年は、一次創作者の自分も死んでいた年だった。

外に出ない日々が続くと、アイデアや気力は次第に狭まっていった。

元々、外に出て本屋や図書館をぶらついたり、一人で食事や買い物に出かけたり、授業を受けたり、歩いたり、道行く人の話に耳を澄ませたり、会話したり──そういったことを繰り返して、ふと、アイデアが天啓のように閃く、または様々なことから連想するタイプだった。

4畳半の部屋にいて、着ていく服を選ぶことなく、祖父母とだけ会話する日々は、有り余る時間を使って創作に向かわせる意欲をしっかりと削いだ。

無理矢理にでも出かければよいではないか、だって? 君は老人と暮らすという意味を、家族と暮らすという意味を理解していないようだ。「貴方が外に出かけて遊びに行くということは、持ち帰ったウイルスで私たちが死ぬ」という言い方が暗になされた。それは「私を殺さないで」という嘆願のような生易しいものじゃない。「いつでも『お前が私を殺した』と言う準備はできているぞ」という脅迫だ。君、それがコロナウイルスの正体だよ。

しかし、何も鬱でいたわけではない。夏には免許を取るという名目で逃げたし、秋には新しい趣味と仕事が自分を待っていた。逆に言えば、習慣的に外に出られるようになるには、秋までかかったというわけだ。

仕事は楽しかった。好きなことが直結していたし、同僚や先輩は良い塩梅で優しくも厳しかった。やりがいはあった。その分、忙しかった。そして、忙殺され、創作の時間はなくなった。筆は置かれたままだった。

文が書けなくとも絵が描けたのはよかったのかもしれない。表現に幅が出たからだ。絵なら、なんの気負いもなく描けた。二次創作だろうがなんだろうが、とにかく気の向く限り描くことができた。

そしてまた春がやってきて、2021年になった。就活が控えていた。インターンを考えなければならない時期、自分は気が狂ったかのように、他者の作品を読んだ。過食症の患者が夜中に冷蔵庫を漁るように。今まで無人島に放置され極度の飢餓状態にあった少年が助かった後食糧を貪るように。

この急激な栄養摂取が何を意味するのか、週5回は外に出る用事がある生活が何を意味するのか。家族を忌み嫌う気持ちが強くなっていくのは何なのか。

本能が、書け、と囁いている。幸い、アイデアは滝の様に溢れ出た。

私は、2年置いた筆を執った。

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