【エッセイ】家族と食べるのが嫌いだ
自分は食事が苦手だ。中でも、食卓が一番嫌いだ
一人で動画やTwitterを見ながら食べるのが一番楽しくて、楽だと思っている。友人と食べるのは、比較的苦手だが家族や親戚よりは気楽だ
栄養や食材の質までこだわった、薄味で体に良い食事は、世間的には良いものかもしれない。そこまで子供のことを考えて、食事にお金をかける家庭はもしかしたら理想的なのかもしれない
しかし、自分にとってはそうではなかった。なんなら、食事中になされる会話も苦痛だった
今はわけあって親戚と暮らしているが、実家にいたころよりも食べ物にうるさい。エナドリを買ってきただけでしつこく注意されるぐらいだ。
でも、そんなんで喧嘩するのは非常に面倒くさいし時間の無駄だから、いつも自分が折れて大人しくしている。叱責を、はいはいと受け流しながら飲む。または外でこっそり楽しんでいる
この家族の面倒くささや自分の食卓嫌いは、明確な理由がある
小さい頃から自分は、ものを早く食べられなかった
極端な小食で、出されたものを食べ切れなかったのだ。幼いころは、普通に子供用の皿で出されても1時間はかかっていた
小学生のころは、先生が食事が遅い子・小食な子に理解があったので、食事を減らしても良いことになっていたし、米が食べ切れなかったらおにぎりまで作ってくれた。その点で特に学校で困ったことはなかった
しかし家庭ではずっと怒られていた
食べるのが遅いと、テレビを見ているからだと言われ、食事ごと廊下に締め出された。廊下で泣きながら食べた。戻しそうになりながら胃に詰め込んだ
見かねた家族はすぐリビングに戻してくれたが、別にテレビを見ていて食事が遅いわけではなかった。本当に、胃に入らないのだ。その苦しさを紛らわせるために、テレビを見ていたにすぎなかった。それが、家族には伝わらなかった
それが、20年近く経った今でもずっと覚えている
今は早く食べられるし、極端な量でなければ胃には入る(それでも食べ終わると腹が膨らむのは体格の小ささが故かもしれない)が、相変わらず食卓は苦手だ。込み入った会話がなされるし、自分は極力家族には踏み込んでほしくないことを多く抱えている
そして、家族が食事の質にうるさくなったのは、母が病気にかかってからだった
自分が小学校低学年ぐらいの頃だったので、ほとんど覚えていない。一応今でも元気に生きてはいるが、当時は10年生きられるか、みたいなことを言われていたらしい
そこから、家庭での極端な添加物アレルギーがはじまった
やれ赤色何号だとか、なんちゃら酸がどうとか、お菓子を手に取っただけで指摘される。そうして買ってもらえないお菓子は多かった
病気の原因は食事にあったのだ、と考えるのは分かる。だが幼い子供は強制されて楽しいことなど一つもない。CMでおいしそうに見えるお菓子はだいたい添加物が云々で禁止されていた時期が長かった
今は自分で買えるので、色々買って楽しんでいる。今年やっと生まれてはじめてねるねるねるねを食べた(ねるねるねるねは今は添加物不使用だが、家では禁止されていた)。美味しいとまでは思わなかったが、良い経験をしたと思った
今でも、我が家の添加物アレルギーは軽減されたものの続いている。自分は食事にこだわりはなく、味とか質とかどうでもよくて、話題を摂取している感覚でものを食べたいので、この縛りが地味にきつい
はやく就職をして家から出たいものだが、「そのうち一人暮らしをする」と宣言すると苦い顔をされる
はっきり言ってしまえば、貧しい家でもないし虐待があるわけでもない。古くて立派で、傍から見ればお嬢の類に入るのかもしれない
だが家庭内で価値観のアップデートがされているのはごく少数だ。このひずみから早く抜け出たい
そのためには、早く大人になりたいと思う。本当の意味で