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「ミレイユの右へ」61

第六十一回 三人娘



 夕方、粉ゼラチンの使用説明を読んでいると、絹子さんが帰ってきた。
「ああ、重かった」
 大きなパイナップルが、差し出したレジ袋から頭を覗かせている。肩に掛けているトートバッグにも、何かいろいろ入っているようだ。
「何だか、いつの間にか話が広がっちゃってて」苦笑いをしながら、
「園の方に方々からいろいろ届いているみたい」
「方々って?」
「まず、本人が学校の先生に言ったみたい。小学一年生で篤君って言うんだけど、ホームルームでその話が出て、そこから各家庭に」
「噂って凄いんだね」
「道具も頂いたんだよ。これとか、果物をくり抜く奴かな?」
「わっ、フルーツボーラー! 丁度欲しかったんだ!」
 他にもグレープフルーツ用の皮剥きナイフとか、パイナップルの芯抜き器まであった。
「助かります」
 そう言って、ふと久埜が顔を巡らすと、開け放たれていた玄関の入り口と窓の辺りに人の気配があった。
「どなた?」
 そう言うと、明らかに小学生低学年の女の子三人組がおずおずと入ってきた。真ん中の子をあとの二人が押し出すようにして、
「あのー、これも使えたら使って下さい」と、消え入りそうな声で言う。
 手に持ったビニール袋の中には、真っ赤な球体が三つ。
「あー、ざくろだ」
「へえ、初めて見るわ」
「ありがとう。赤い色のものが無くてどうしようかと思っていたの」
 久埜がそう言うと、三人ともぱっと顔を輝かせて、
「よかった!」と言うなり、声を掛ける間もなく駆けだして行った。
「元気いいなあ」
「篤君の同級生かな?」
「多分そうだろうね」
「病弱そうな子を想像してたんだけど、結構モテモテなんじゃないの?」
「それはそれで、お祝いのし甲斐があるというものでは?」
 そこで絢は首を捻った。
「……けど、ひょっとして、この感じでは『お誕生会』にまでスケールアップしてるんじゃないの?」
「ええっ?」フルーツケーキ一個だけを考えていた久埜は仰天した。
「ちょっと、それは確認しないと」
「電話で訊いてもらおうか? ……お母さん?」
 玄関の引き戸を閉めに行った絹子さんは、ぼんやりとした様子で外を見やっていた。
 視線の先を見ると、さっきの三人組がじゃれ合いながら遠ざかっている姿がだんだんと小さくなっていく。
「いえ、あなた達もちょっと前まではあんなだったなあって思うと、懐かしくてね」
 そう言えば、自分たちもいつも三人組だったなと思った。
 早紀は、彼氏と一緒に家業を継ぐのがとっくに決定していて、花の寿就職だ。今頃は店の改装とか新メニュー開発だとか着々と計画を練っているに違いない。
「来年の今頃は、早紀は花嫁さんだなあ」
「何だか猛スピードだね」
「何につけても一番手が早かったからねえ」
「ウエディングドレスが合うように減量させないと」
 その時、反対側の窓からくぐもった声がした。
「……こいつら、くらしたろか(殴ってやろうか)」
 ――そこには当の本人が突っ立っていた。
 オレンジ色のライダージャッケットを着ている。
「早紀? 何でおるん?」
「ちょっと様子を見に来ただけやん。県内やし、日帰り圏内やし」
「ひょっとしてバイクの免許取った?」
「中免取った。商売には、意外と足もいるからね」
「バイク通らなかったけど? ……ああ、園の方から来たのね」
 それなら、家の裏側から来ることになる。
「寄って、道を尋ねました」
「……丁度いい時に来たわね」と、絢。
「本当に持つべきものは料理上手な親友だわ」久埜はいろいろと嬉しそうだった。
「何やそれ?」
 絹子さんに、篤君の家へ確かめてもらうと、やはり盛り上がったクラスメイト達が当日、家に集まってくるという話だった。
「それは、こちらで別にケーキとかを用意しますので」という親御さんの言葉もあったが、
「やっぱり、それではイマイチなことになるような気がする」という考えを最終的に久埜は持った。
「そんなわけで準備要員が必要です。はい、決定」
「何か知らんが、泊まりの用意なんかしてないし」
「いらんいらん、何でも貸してあげる」
「女所帯やし、遠慮なんかせんでいいよ」
 何だかんだで夕食は、スピード重視で早紀の中華料理となり、皆でチャーハンを掻き込んで交代で風呂に入った。
 その後は、台所に補助テーブルを置いて、ペティナイフが足りないので、持参した荷物から、刀身に「久埜」の彫金の入ったナイフも取り出し用意した。
「要するにフルーツ盛り合わせの用意やな。何か懐かしいな」
「一個はスイカの皮を利用してケーキ形に。その他はバラエティかな」
「お客さん分は、牛乳も使えるね」
「ゼラチンに入れて、それで区別できるようにしようか」
「絢はゼラチンの準備」
「オッケー」
「早紀は、そこのイチジクを櫛切りね」
「了解。なら、この『久埜』のナイフを借りるよ」
「私はキウイをカットする。絢、『ウィズ・オール・マイ・ラブ』のナイフどこだっけ?」
 久埜はナチュラルに口にしてしまい、集中していて気づかなかったのだが、絢は実に嬉しそうにその在処を教えた。



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