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「ミレイユの右へ」29

第二十九回 同人誌とシティポップ



 少女漫画の世界では、七十年代後半辺りから「少年愛」を扱った作品が現れ始めた。
 しかも、それが時代性において禁忌に近かった同性愛を正面から描いたというインパクト以上に、その芸術性で評価も高く、かつドラマ的にも名作揃いだったために後続のものに多大な影響を与えた。
 久埜にとってみれば、ティーン向けの雑誌にはその傾向のものが必ず入っていたため、実はそんなに嫌いではないのだが、一部には一般の商業雑誌ではさすがにどうかという描写の物があり、それらは専門の雑誌の上に移行して表現されているようであった。
 読者は、それらをこっそり「お耽美」とか、あるいはその専門の雑誌の名前を冠して呼称していた。
 先の少年愛ものの源流に位置する小説等が「耽美小説」とよく言われていたため、まだその雰囲気が色濃く漫画の上にも残っていた。後にはジャンルが増え、拡散が起き、もっと日常的な乾いた感じになっていくのだが、この頃はまだこういう風であった。
 出版数は徐々に増えていて、読者数も同様だったがまだまだマイナーな世界でもあった。 ファンは同好の士を求め合い、中には自分の表現を探求する者も多く、漫画を描ける者達の間では自分たちの本を作っていくことが流行っていた。
 所謂「サークル」の時代である。

 原稿の二、三枚目辺りは、おそらくドイツ辺りと思われるギムナジウムの内部が精緻に描き出され、少年二人の出会いが普通に始まっていた。
 少女漫画伝統のイントロなので、少し安心して四枚目をもらうと、いきなり個室に入ってベッドインである。
「そ、即物的すぎませんか?」
「うーん、結構イントロ引っ張ったつもりなんだけど」
「このシチュェーションに至るドラマ部分って、もう出尽くしているような気がするので、もう読者にお任せでいいんじゃないかと助言したの」
「お任せって……」
「何事も想像力が大事ってことかも」
 絢はそう言って、紅茶を啜った。
 五枚目は、もはや顔が火照ってどうしようもなかったが、絢はずっと平気なようだった。
「いやー、ごめんねえ。先生変な趣味で……。道を踏み外さないでね」
 あんまり真っ赤になっているものだから、木村先生が気にしだしたようだ。
「苦手だったら、別に付き合わなくてもいいのよ」
「いえ、大丈夫です」
 そうは言ったものの、先生のタッチは実に肉感的で、今までに無いような酷く官能的なものを感じた。
 きっと、先生自身の言っていたデッサンの力なのだろう。少年の白い肌に幾つかの線を描いただけで量感を感じるのは、内部まで想像して立体をイメージ出来ているからだろうと思った。……骨の構造や筋肉の動き。
 その視点で見ていくと、なかなか興味深かったが、内容は結構どぎつい気がした。
 ……これは、少女漫画の皮を被った、所謂「ポルノ」ではないのか?
「これは商業に投稿するんですか?」絢が言った。
「さすがに、いろいろ端折ってるのでそれは無理かなあ」
「じゃあ、同人誌?」
「いずれ纏めるつもりだけど、未定ね」
 美術部の皆の作品と抱き合わせで出したらとも絢は言ったが、在学中にそれをやるとバレた時が面倒だという話になった。
 やっぱり、ポルノ的な偏見に晒されるのか……。
 久埜は、さもありなんとテーブルの上の原稿を眺め下ろして、カステラを頬張った。
 卒業生の一部が東京とか関西で活動しているので、そっちに送ってもいいかもしれない、という話も出た。
 大都市圏では、同人誌の即売会と言うものがあるらしい。
「好きなことをやって、お金になるのっていいですよね」
「けどまあ、このジャンルってマイナーだしねえ」
「そうですねえ……」
 その後、その原稿の終盤の仕上げと、ベタの塗り残し、トーン張りを手伝うことになった。
 応接間のテーブルの上を片付け、墨汁や筆、ペン、サインペン等を持ち込み、絢の指導の下、俄に漫画家のアシスタント気分を味わう。
「こことここ、×の付けてあるところベタね」
「大丈夫かなあ」
「はみ出してもホワイトで修正できるから、緊張しないで」
 そうは言われても、初めてなので指が震える。
 線に沿ってその内側から筆を入れ、何とか綺麗に範囲内に収めた。
「そうそう、上手上手」
 いつもの褒め殺しか、と思ったが……まあ、気分は良かった。
 絢が手慣れた動きをして、結局の所作業は早々に終わってしまった。
 片付けをして、コミックスを二人共が大量に借りて、その日は辞去した。

 帰路、電車の停留所のベンチに座っていると、絢がデイパックから赤いウォークマンを取り出した。
「あ、新型、買ったんだ」
「入学祝いだったんだけどね」
「カセット、何?」
 ……まだ、あのアイドルの曲を聴いているのかな、とふと思った。
「竹内まりあ」
「へえ。あんまり知らない」
「聴く?」
 受けとって、イヤホンから流れてきたのは、イントロの長い、聞き慣れない都会的な旋律だった。
「ニューミュージック?」
「シティポップって、言われているらしいけど。それは『プラスティック・ラブ』って曲」
 どうも歌詞を聴いていると、恋愛に対してドライな感情を持った女性の独白に思えるのだが、抑え気味の旋律も相まって、第一印象通りの洗練された都会性を感じた。
「車のコンポで、これを聴きながら夜の高速道路を走ったら気持ち良さそう」
「あー、やっぱり久埜でもそう思うんだ」
「でも、って何よ。でも、って」







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