「ミレイユの右へ」20
第二十回 食事会
――そして、慌ただしく時間が経過し、食事会の当日になった。
微妙に各々の卒業式の日程が違っていたため調整し、三月の第三金曜の翌日と言うことになった。
久埜は当日の集合場所を自分の店に指定していた。その為、夕方になると早紀と連れ立って絢もやって来た。
絢の傷の具合は、かなり良かった。よほど目を凝らさないと傷痕は分からないくらいであったが、逆に言えば目を凝らしてしまうと、うっすらと白っぽい線が左の眉の辺りに見える。
本人は、特別気にはしていない風であったが、本当のところは誰にも分からなかった。
既に外出着に着替えていた耕が、成り行きで店番をしていたが、あれからあまり顔合わせも無く、その傷の具合が気になっていたのか時々カウンターの中から、チラチラと絢の方を見ていた。
……まあ、それはそうやろうな。と、それに気づいて久埜は思っていたが、
「あ、傷? こんな感じです」
と、急に絢がカウンターに近づき、前髪を上げて耕にその部位を見せた。顔と顔とが接近し、その別進行の何かに思わず少し胸に鼓動を感じた。
「……あ、ああ。なるほど。分かりました」
しどろもどろで、耕はそう声を絞り出した。
兄貴、メロメロやんか、と思って、早紀と目が合い、二人して吹き出しそうになった。
そして、そのタイミングで戸口が開き、えらく仏頂面の徳重さんが入店してきた。
少し遅れて、頭を掻きながらウールのスタジャンを着た真史が現れた。
アメカジで全身を纏めていて、一見、どこかの私立大学にでも通っていそうに見える。
「お邪魔します」
別に全然お邪魔じゃないんだけど、と久埜は思った。けれど、今、何故の親子入店なのか?
「……いや、そこで出くわしただけだ」と、誰も訊かないのに徳重さんは言った。
「どうも、思っていたより世間は狭いようだが」
久埜を横目で見て、そう続けると、いつもの酒を注文し、置いてあった新聞を広げた。
事情はどうやら既に伝わっているらしい。
説明の手間が省けたのは嬉しかったが、一体どんな風に伝わっているのかが久埜は猛烈に気になった。
別系統で池尻家には真史の情報は伝わっていたらしく、台所にいたはずの富美がいつの間にか耕と取って代わっていた。
雰囲気で察してしまったのだろう、一人で合点していたが、
「徳重さんの息子さんよね?」と、すぐに話しかけた。
「はい。次男の真史です」
「板前さんの格好をしたら、確かに良い感じやろうね」
……何でそんなことまで知っているんだ? という感じで徳重さんは新聞を下ろしたが、また持ち上げて続きを読み出した。
「いえいえ、全然まだ素人です」
「うんうん」と言って、にこにこする。
「……そろそろ行こうか?」
こちらは相も変わらず野球系のコーチジャケット等を着た晴彦と昭が座敷の方からのっそりと現れて、スニーカーを突っ掛けながら言った。
「行っといで」富美が久埜を見て言った。
「行ってきます」
「割烹・かまのと」を正面から訪れるのは初めてだ。少し臆したが、久埜が成り行きで幹事モドキになってしまっていたので、思い切って先陣を切った。
戸口を開けるとすぐに上がり框で、入り口で靴を脱ぐ形式の店のようだった。
女将さん風の四十絡みの女の人が待ち受けていて、久埜が口を開く前に、
「池尻様ですね。お伺いしています」と言い、案内をしてくれた。
テーブル席への通路とは別に、奥座敷へと伸びた廊下があった。皆でぞろぞろと列をなして歩いて行くと、二十人くらいが宴会出来そうな広間があって、そこに座卓と人数分の座布団がセットしてあった。
「へえ」
「広々として気持ちいいね」
各々が席に着いたが、座卓が二つなので、自然三人娘で一つを占め、もう一つが池尻家三兄弟とプラスアルファという構成になった。
「君も今度卒業なんやな」昭が隣におずおずと座ってきた真史に声を掛けた。
「はい」同い年だが相当体格負けしているので、気圧された感じでプラスアルファが答える。
「専門学校へ行く予定です」
「飲食関係だとか」
「日本料理に進みたいと思っています」
「堅い商売だ」
「兄貴も金属関係だから、相当堅いやん」耕が茶々を入れた。
昭は社会人野球関連の誘いもあって、地元の金属加工の会社に就職が決まっていた。
「けどまあ、不景気な業界だから、将来何がどうなるのか分からん」
昭は本当に不景気そうな表情でそう言った。だが、
「いやいや、今日はお祝いなんだから、そっちの話をしようぜ」と言い直し、久埜の方を見た。
久埜は新卒採用で忘年会幹事を押し付けられたサラリーマンみたいな心境で、式次第を反芻していた。
「えー、では乾杯の準備を……」
さすがというのかタイミングを推し量っていたようで、先ほどの女将さんがお盆に飲み物とグラスを乗せて現れた。
飲み物と言っても未成年しかいないので、ジュースとかコーラである。
女将さんが真史の前にグラスを置く際、真史は黙礼をしていたが、
「今日はお客様なんですから、それはいけません」と、窘められていた。
「では、最初のご挨拶です。晴彦兄さんにまず、お願いしました」
久埜が何か言って、早速乾杯だろうと思っていた者が大半だったので、意外に思い拍手が湧いた。そもそも、晴彦は無口な方なのである。
「えー、それでは」
幾分顔を紅潮させて、晴彦が立ち上がった。