見出し画像

「ミレイユの右へ」50

第五十回 イエスタディ



 家に帰って、部屋の引き出しの中を探してみると、「ウイズ・ザ・ビートルズ」をダビングしたあのテープは、じっと待ってでもいたかのように、そこにあった。
 耕に聞こえるとどうかと思えたので、ボリュームを絞ってラジカセで聞いていると、その歌詞がまるで予言ででもあったかのように、今の状況を表していることに驚いた。
 ――君がいなくなってから、とても寂しい
 ――私はここで、毎晩ひとりぼっちで座っている
 しかし、楽曲は希望の曲で、「君は帰って来る」。そして「それは長くはかからない……It Won't Be Long」と力強く歌い上げていた。
「……ビートルズは偉大だ」と心の底から思い、何か普遍的な力を貰った気がした。
 そのまま机に向かい、買ってきた葉書を取り出した。
 勝手にボールペンが動き出した。

 絢へ
 あの朝、急に絢達がいなくなって、びっくりしました。
 でも、お互いどぎまぎしていたので、仕方なかったかなと思います。
 新生活は、いかがですか。
 こっちと違って、まだ寒いでしょう。体調に気をつけて。
 
 ずっと友達でいたいので、ずっと手紙を書こうと思います。
 この葉書、偶然見つけたのだけど、気に入ってもらえるような気がします。
 五枚セットだったので、あと四枚は続きます。
 返信下さいね。
                               久埜

 あっという間にスペースが埋まってしまった。
 読み返して、これが今の自分の気持ちなんだな、と納得し、そのまま切手を買いに出て、近所にあるポストに投函した。

 一週間後、返信が来た。
 やはり葉書で、同じビートルズをモチーフにしたシリーズのものだった。
 「イエスタディ」の歌詞が印刷してある。
 それをよけるように、サインペンで几帳面な絢の字が並んでいた。

 久埜へ
 いろいろびっくりさせてしまってごめんなさい。
 言いたいことは、あれだけだったので、もう、書くことがないんだけど、心配させてしまいそうなので近況だけ書きます。
 体調は、むしろいいです。
 あの温泉と、こちらの澄んだ空気で良くならない方がおかしいくらい。
 こちらの学校も、皆よくしてくれて、イジメなどもありません。
 やっぱり、北九州弁が何かの弾みで出ちゃうんで、よく爆笑されています。
 つくづく私にとっての故郷は、そっちなんだなあと思います。
 豚骨スープのラーメンが食べたい。
 ではまた。
                              絢

 元気そうな文章だったが、背面にある「イエスタディ」の英詩を読んでいて、久埜は涙を抑えられなかった。

 昨日までは すべてうまくいっていたのに
 今は何もかも 崩れ去った
 昨日よ もう一度 来たれ

 突然 私は元の私ではなくなってしまった
 あまりにも突然に……

 五枚セットの葉書はすぐに無くなったが、文通はゆったりとしたペースで更に続いた。
 お互いの何気ない日常の近況。
 電話は、どちらもなかなか提案しなかった。
 暑中見舞いの葉書の後に、初めて絢から封筒が来て、それには青森での同級生との写真が何枚か同封してあった。
 浴衣姿での楽しそうな様子。
 久埜は、何だか初めて安心したのだが、それに続くようにして、絹子さんからの封筒が届いた。
 ……これは、文通なんかやめてくれという手紙だと思い、固唾を呑んで封を切ると、

 久埜さんへ
 ご無沙汰しております。
 いつぞやは、ご挨拶もせずにいなくなってしまい大変ご無礼を致しました。
 遅れましたが、お詫び致します。早紀さんと、真史さんにもよろしくお伝え下さい。

 さて、絢のことですが、こちらに移ってしばらく気塞ぎが酷く、大変心配な状態でした。
 ですが、久埜さんの葉書が届きだしてから、嘘のように見る見る元気になりました。
 お察しでしょうが、私は母として、絢の気持ちにはどこまでも賛同するわけにはいかないと思っていたので、引っ越しを機会にそれを断絶しようとしたのです。
 ですが、やはり、何か重大な絆がある人とは、全てを切り離すわけにはいかないのではないかと最近では思うようになりました。
 ですので、どうぞ、絢がご迷惑をお掛けすることもあるかもしれませんが、今まで通り友達として接してやって下さい。
 うまく書けないのですが、もっと緊密な友人というものであっても、容認する所存です。
 絢は、久埜さんが身近にいたから精神的にバランスが取れていた感じがするのです。
 全く、久埜さんにとっては迷惑でしかない話だと思うのですが、お嫌でなければ伏してお願い致します。
 絢の父が、今は福岡市にいます。いずれ、絢が会いに行くこともあると思いますが、その折りに立ち寄るかもしれません。
                     小鳥遊(たかなし)絹子 拝 

 ……あの絹子さんに、こんな文面を書かせるなんて、やはり絢は当初鬱然としていたんだな、と久埜は思った。
 あの絢のことだから、計算尽くなのかもしれなかったが……。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?