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「ミレイユの右へ」47

第四十七回 片思い




 いつまでも泣き止まず、たまに顔を上げても虚脱したような表情の絢の手を引き、元の宿に戻った。
 どうしても、はっきりと目を合わせられない。
 久埜も気が動転して、道々全く言葉が出なかった。
 絢は結局露天風呂からこっち何も口を開かず、絹子さんの部屋へ当たり前のようにそのまま真っ直ぐ歩いて行く。久埜は、どう声を掛けていいのか分からず、お互い気恥ずかしすぎるし今日のところは仕方がないと、つい思って何かを避けてしまった。
 ……あれは、本気での「同性愛」の告白だったのか?
 だとしたら……どう答えていいのか……本当に分からない。
 もちろん、絢は嫌いではない。
 嫌いではないが、一線を越えるものを求めてくることであれば、それは無理である、
 ……いや、無理なのか?
 考えたこともないが……やはり……。
 旅館のロビーに設置してあるホールクロックが、傍で急に時報数打を始めて、いつの間にか高鳴っていた自分の鼓動と同調したような気がした。
 ……そうだ。家に連絡すると約束していた時間だった。

 久埜達の部屋に置いてあった絢の荷物は、久埜がロビーの公衆電話を使っている間に絹子さんが取りに来たらしく、寝具も宿の人が移動したとのことだった。
 急に広くなった部屋の布団の上に早紀が神妙な面持ちで座っており、それを伝え終えると、いつまでも口を開かない久埜の様子をじっと窺っているようだった。
「……で」
 冷水をたくさん飲んで、ようやく汗が引いた。久埜は、ひょっとしたら、絢の気持ちに気づいていなかったのは自分だけなのではないのかと、早紀の様子を見ていて思った。
 絹子さんだって、どうも青森に引っ越すにあたって絢の気持ちにけじめを付けさせたかったのではないのか。
 もう終わりだと。
 そんな気持ちは不毛だから、捨てて行けと。
 この旅行自体、そういう企図のものだったのではないのか。
「……いつから気づいていたのよ?」
 わざと主語を大幅に削ったのだが、
「昔から、絢は久埜のこと大好きだったじゃない。いつからって……」
 全く会話に影響が無く、久埜は逆にがっかりした。
「久埜のいない時に絢と話すと、大抵『久埜がねえ』とか『久埜はこう言った』とか、『久埜なら……』とか、そんな感じなんよ。中学に入ってからもずっとそんな調子だし、最近大人っぽくなってきてからもそれだから、嫌でも強烈な愛を感じたわ」
「愛って……」
「愛としか言いようのない真剣な気持ちだと思う」
 早紀は自身も真剣な表情で、
「だから私は絢の気持ちに茶々を入れることは出来なかったし、久埜にも何も言えませんでした。ごめんなさい」
「……いや、謝られるようなことでは」
「まあ、黙っていたのは謝るべきポイントかもしれんので」
 いつもの口調に戻ってきた早紀の表情で妙に和んで、ようやく久埜もリラックスしてきた。
「で、さあ」早紀が、これもある意味真剣な表情で訊いてきた。
「何よ?」
「やっぱり……振っちゃったの?」
「……振ったって」
「お母さんの部屋に引き籠もっちゃったじゃない」
「何も言ってないわよ」
「すると、含みは残してあるわけだ」
「どんな含みよ」
「いや、相思相愛ならハッピーなわけで……」
「……それ、あり得ると思う?」
「そういうカップル知ってるよ」
「ええ?」
 何でも女子バレー部のOBと三年生が、中学時代から両思いで今でも付き合っているのだという。
「……あり得るんだ」
「わりとあるんだよねえ。そう言う噂」
「でもそれ、どど」
「どど?」
「どこまでの関係なのよ?」
「分かんないけど、デキちゃってるという周囲の見立て」
 何がどうデキちゃっているのか、さっぱり分からないが、そういう風に暈かされている部分が大問題なのではないか。
「当人達はそれで幸せなんだろうか?」
「ラブラブだわ」
「もし片思いだったら、どうだったんだろう」
「悲劇だけど、その手の事例は本当、星の数ほどあるかもしれない。女子は多いと思うよ。誰でもちょっと好きな先輩とかいるよね」
 ……でもそれは、思春期によくある疑似恋愛だと思っていたのだが。
 中には本気の恋愛もあるのか。
 しかし、急にその当事者になっても、全然気持ちの受けとめ方が分からなかった。
 同性愛なんて……。
 ……同性愛?
 そう言えば、それに詳しい人物がいたではないか。――木村先生だ。
 久埜はそこまで考えてから、たぶん木村先生も絢の気持ちを察していたのではないのかと気づいた。
 ……相談してみないと。

 なかなかその夜は眠れず、うっかり朝寝をして遅れて待ち合わせ場所のロビーに行くと、戸惑った表情の真史がいて、すぐに駆け寄ってきた。
「絢ちゃんと絹子さんが、早朝にチェックアウトしてもう出ちゃったそうなんです。ハイヤーを呼んだとか……」





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