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「ミレイユの右へ」34

第三十四回 ビジネス



 最初意味が分からなかったが、念を押して訊くと、赤星社長は本気でその描かれている「フルーツ盛り」の現物を、実際に目にしたいのだと言った。
「こういう食べ物の類いは、本当に作ってみると、いろいろとイメージと違ったり不具合が起きるものだ。君だって、どう構想とズレが生じるのかは興味あるだろう?」
「え? でも……」
「無論、材料費は僕が出すし、場所と道具も提供しよう。何ならスタッフを付けてもいいぞ」
 どこまで行っても本気のようだった。しかし、何でそこまで興味を持つのか分からず、些か気味が悪い。
 ……まさか、私の気を惹きたい?
 思わず胸をかき抱く。
 そう言えば、お金持ちのはずなのに、何でうちのような一杯飲み屋にいつも足繁く来るのか?
 噂に聞いたロリ……。
「で、だ。ここからはビジネスの話だ。ずっと話そうと思っていたんだがな」
 ……違ったようだった。
「ビジネス?」早紀と声がハモった。
「うちの会社は、ナイトラウンジとかパブとかの夜の店をやっているのは知っているな?」
「キャバレーもやってるよね」と、早紀。
「そうそう。今、景気が良くてな、客が良く酒を飲む。……するとどうなる?」
「酔っ払う」
 つい視線を酔っ払いに向けてしまい、カウンターの客が隅の方へ逃げていった。
「酔っ払うと? 客の懐は温かいぞ」
「気前が良くなる?」
 早紀が正解を出したようだった。
「ああ、女の子に奢るんだ。お酒とかフルーツを」
「その通り。しかも、今はフルーツ盛りも豪華な奴が流行なんだ。これが結構実入りがでかい。世相がそうだから、フルーツの原価の数倍付けてもまず文句は出ないんだ……。だが、盛り上がっている席に、しょぼいそれを出してしまうと逆に客の不興を買ってしまって非常にまずいんだよ」
 なるほど……。そういう経緯か……。と、久埜はようやく納得した。
 しかし、ビジネスとは?
「デザイン料やない?」根っから商売っ気のある早紀は、ずっと考えていたようだった。
「久埜にデザインさせて、幾らかをくれるとか」
「と言うより、これは真面目な商品開発なんだよ。いろいろツテを頼って見て歩いたが、お嬢ちゃんのそれが、一番……何というのか、納得できると思うんだよ、お客さん達が」
「久埜、凄いやない!」
 当の本人は、どうもピンと来なくて突っ立っていたが、後ろの仕切りが開いて富美がのっそりとした感じで現れた。
「お話は聞かせてもらいました」
「はあ」と、赤星社長。何だか顔が強ばっている。
「まだ中学生のうちの娘におかしな誘いを掛けるな」と、どやしつけられると、てっきり思い込んでいたのだが、
「で、その場合、歩合なんですか?」
 現役の商売人の言うことはひと味違っていた。
「あ? ああ、商品……店に出せるようなフルーツ盛りが出来て、それが売れたら……そうだな、売り上げの一割を出そう」
「……一割?」
「あー、そうだ。お嬢ちゃんの作っていたカクテル・デコレーションも使わせてもらえるのなら、コミコミで一割五分で……」
 富美は、まだ首を捻っていたが、無言で赤星社長のコップに新しいビールを注ぎ入れた。
 商談成立、などとはっきり言わないのが嫌らしいところだが、まあ、フルーツ盛りを作ってみるところまではお許しが出たようだった。
 だが、久埜本人は、まだはっきりとした返事をしていない。
「いいの?」富美の方を見る。
「好きなことで、見込まれたんやろうも」
「……うん」
「……それにねえ、そこにあるナイフ」
 久埜の銘の入った、あのペティ・ナイフに目を落とした。
「それが来てから、あんたはいろいろ変わったし、それがどこにあんたを連れて行ってくれるのか、見てみたい気がするんだよ」

 翌々日、粉雪の舞う日に教えてもらった住所を訪ねることになった。
 何でも赤星社長の会社には拠点となる大きな厨房があり、そこからビルの中や近辺の店舗にお摘まみやフルーツ等を一括して供給しているらしい。
「あれれ……?」
 一人で行くのはさすがに不安だったので、早紀を誘ったが、久埜は道行きの途中で足を止めて首を傾げた。
「ここって……」
 久埜も周辺の様子で、すぐに気がついた。
「この住所、『かまのと』の裏道沿いじゃ……」
 そんなまさかとも思ったが、その住所の雑居ビルの裏手は、しばらくご無沙汰の割烹料亭「かまのと」の、ご丁寧にも斜向かいに面していた。
 裏口から来てくれと言われていたので、よくよく縁のある通りだと思って歩いていく。
 いつか夜中に迷い込んで以来、何度も来ていたわけだが、こうやって見ると外灯の古び等が幾分過ぎた時間を感じさせる。
 この辺に来ると、いつも真史の白衣の背中が見えてきたものだが……。
 だが、「かまのと」の屋外の流しの場所には誰もおらず。うっすらと雪が積もっているだけだった。
「あ、ここやん」
 早紀が鉄扉に嵌め込まれた、小さな「大慶商事」の看板を見つけた。
 少し開けて、「ごめん下さい」と呼ばわる。
「はいはい」
 コックコートを着た女性がすぐに現れた。
「あー、社長から聞いています。いらっしゃい」
「初めまして」
 だが、初対面のはずだが、何となく見覚えのあるような……。




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