稽留流産の記憶
今年の初めだった。
記憶だけでなく記録に残しておきたいと思っていたので、書き留める。
稽留流産したときのことを。
長文の上散文で掲載を迷ったけど、当時は稽留流産のことを書いたブログにずいぶん助けられたので公開してみる。
妊娠発覚〜稽留流産確定まで
2021年1月11日。年明け急に、夫に長期出張命令が出て、福岡へ行ってしまった。2ヶ月間も。
その時はコロナウイルスがかなりの猛威を振るっていて、緊急事態宣言が自宅の大阪にも、福岡にも出ていた。
普通は出張中でも土日に帰宅したりできるのだが、会社命令で往来禁止となり夫は一度も帰ってこれない。(毎日ビデオ通話で1〜2時間話していた)
私は、大阪には知り合いがいないし、仕事は完全在宅勤務となり、必要事項以外を話すような仲でもないので、完全なひとりぼっちとなった。
といっても、一人暮らしも1人でいることも割と好きなので、「ふっふーん、ダイエットしたり1人で気ままにすごそーっと」くらいに思っていた。
夫が出張してから1週間後、生理予定日になっても生理がこない。
1週間ほど遅れることはたまにあったし、寂しいストレスかなと思っていた。それに、以前化学流産を経験しているので、フライングで妊娠検査してもその後流れたら無駄に悲しい思いをするので、生理予定日から1週間経ってから、検査しようと思っていた。
予定日から1週間過ぎてもまだ生理が来ない。満を辞して?検査薬を使うとなんと陽性だった!
早速夫に報告し、2人して喜んだ。
前月は意識して妊活はしていなかったので正直驚いた。おそらく年末休暇でUSJに行く前のウッキウキの時だったなと思い当たる。(逆にいえば妊活にストレスは本当に良くないんだな)
その日から、どんどん体調が変わっていく。
とにかく一日中眠い。仕事中も眠すぎて在宅勤務で助かった。ときどきベッドで寝た。
車の運転も怖くて出来なかった。
7週で近所の産婦人科に行き、胎嚢が確認できた。心拍はまだ見えなかったので、1週間後に来てと言われた。
エコーの写真をもらった。とても嬉しかった。
でも、8週前の頃、急に眠気が消えた。
前日まで、朝は特に眠くて眠くて起きられなかったのに、その日はとってもスッキリ目覚めた。
「なんだろー今日めっちゃ目が冴える〜!」くらいに思っていたが、振り返ればその時に細胞分裂が止まったんだと思う。
その後、婦人科に行ってもまだ心拍は見えなかった。
胎嚢は少し大きくなっているからまた1週間後、と言われた。
それからの1週間は赤ちゃんが成長していることを祈りつつ過ごした。でも、茶色のおりものがでていたし、眠気が急になくなったこともあり、もうダメかもとも思っていた。とにかく心が落ち着かず、一人で泣いた。
1週間たち、婦人科に行った。9週で心拍見えず。先生の顔が曇る。かなり難しいと思うけど、3日後に来て、と言われる。
3日後に行く、状況変わらず。院長先生がいる日に来て、と言われる。(なんだこの病院)
4日後、院長がいる日に行く。稽留流産が確定となる。
私としては、8週目の時点で覚悟していたし家で泣いていたので「やっと確定した言葉をもらえた。」と思っただけで特に感情が動くことはなかった。
祝日などの関係もあり、掻爬手術の予約を1週間先に取って帰宅した。
夫にも毎日状況を話していたので覚悟はしていたのか、2人で電話越しに「残念だね」と言った。
そして、夫はなんとか出張期間を少し短縮して、2月21日に帰ってこれた。まだお腹に赤ちゃんがいるときに会うことができた。
稽留流産 自然排出
ここからは、流産の時のことを書いています。
生々しいかもしれません。ご注意下さい。
そして2月23日(祝)の深夜0時頃。
激しい腹痛で目が覚める。
手術の日を待たずして、流産が始まった。
それまで、色々なブログで稽留流産の自然排出の記事を読んで流れはわかっていた。
一応夫を起こす。(当然オロオロしているだけだった)
私には、最後にやることがある。赤ちゃんが入っている胎嚢を見つけて保管すること。
染色体検査をするから病院に持ってきてと言われていた。
そんなこと言われたって、胎嚢を見たことがないしネットにもモザイクがかかった写真しか載ってなかったのでわかるか不安だった。(見ればわかると書いてはあったけど)
なにより、流産中、激しい腹痛と出血。パニック状況。
レバー状の赤い塊がぼたぼた出てくる。赤ちゃん、赤ちゃんどこだ、わからん。
初めはお風呂場でふんばる体勢でいたけど、あまりの痛みにつらくなり椅子に座りたくなった。
トイレに移動し、股から塊が落ちていくのを感じながら時が過ぎるのを待った。
こんなこともあろうかと、トイレは毎日掃除していたので後で手を突っ込んで胎嚢を探そう、なかったら諦めようと考えていた。
1時間ほどたったか、出血と腹痛が治まってきた。疲れ果てていて胎嚢を拾うのはほぼ諦めていた。一旦トイレから出て休もうと思い、ペーパーでお股を拭った。
そのペーパーを見ると、レバーの中に白くて丸い小さな塊が見えた。この中に赤ちゃんがいる!一発でわかった。
流されないように毛にしがみついてくれていたんだね、最後だけど会えたよね、ごめんね、ありがとう。
自分で赤ちゃんを抱っこできたと思えて、悲しさと嬉しさを同時に感じた。
その後、ブログで学んだ通り胎嚢を生理用ナプキンに包んで、ジップロックに入れてふかふかのかわいいタオルで包み、病院にいくまで冷蔵庫にいてもらった。
次の朝、またお腹が痛くなって残っていたレバーが何個か出てきたら、嘘みたいに痛みが消えた。
全部出たんだな、妊娠は終わったんだな…と理解した。
数日後、病院に行き見てもらったらきれいに全て排出できていて手術の必要はないとのこと。
胎嚢の検査結果も病気が原因の流産ではないということだった。
あなたにまた会いたい
近所の産婦人科は毎回診てくれる先生が違い、判断を先延ばしにされ、何度も通う羽目になった。その都度全額自費でお金を払っているし、本当に勘弁して欲しかった。
流産は、天国から地獄に突き落とされるというが、私は真綿でじわじわ首を絞められてるような感覚だったな。どっちも嫌だけど。
この病院にはもう2度と行かない。
でも、病院のぐだぐだ対応のおかげで、私は1人の期間中、毎週婦人科に行く用事ができたり考え事に忙しかったり、夫が帰ってくるまで赤ちゃんと一緒だったので寂しくなかった。
夫も少しだけ赤ちゃんに会えたし、自然排出となったので抱っこができた。
なんだか、色々とタイミングがあってるなと思った。
私が知らない土地でひとりぼっちになるから、赤ちゃんが慌てて来てくれたのだと思うことにした。
それで、お父ちゃんの顔もちょっと見れたし、一旦帰るわ〜と赤ちゃんの待機所のようなところに帰ったと思っている。
先週、卵管造影検査の写真を見た主治医から「私の所見だと、両側閉塞と思える。でも以前自然妊娠できたのが不思議だね〜」と言われた。妊娠、そして出産は本当に奇跡なんだ。
父ちゃんと母ちゃんの準備が万端整ったら、、またきっと会えるよね?
奇跡が起きる可能性を1%でも上げるために、できることは全てしよう。安心して来てくれますように。