塚ちゃん物語#2小学野球編
どうも、ジャムクロ塚谷です。
第2話の今日は小学校編を書いていきます。
張り切っていきましょう🙌🏻
僕が小学生だった時はどんな時代だったかというと、2002〜2008年ですね。
(昔すぎてあまりピンと来ない💦)
小学時代の塚ちゃんを語る上で外せない3つのことをお話ししていきますよ🙆♀️
まず1つ目が、スポーツだよぉぉぉ!!!(急になした)
僕はおじいちゃんの熱烈な野球愛のおかげで3歳からプラスチックバットとおもちゃのボールで野球もどきをしていました(ほぼ洗脳に近いよ!!)
おじいちゃんは巨人ファンなので巨人の試合ばっかり見てました。
毎日、キャッチボールをして、バッティング練習をして、、、
『野球が1番面白いスポーツだ!!』と言われて育ちました。(洗脳だ!!!)
時を同じくして、なんのきっかけか忘れたけど、空手の見学に行きました。
なんかよくわかんないけど、母ちゃんに『やる?』と言われて『やる』と答えてしまったらしいです。
なんで、やると言ったのかわからないけど『やる』と言ったことだけ覚えてます。
5歳のことです。
空手を楽しいと思ったことは一度もないけど、なんかトロフィーが増えていった覚えがあります。
空手が好きな子よりも得意になってしまって申し訳ない気持ちになったのを覚えてます。
あ、大変申し上げにくいんですが、まだ小学校入学してません。
空手と野球に勤しむ日々を送っていた塚ちゃんがいよいよ、小学校へ入学します。
言わずもがな、本別中央小学校です。
小学校へ入学するや否や同級生の男の子たちに『野球入ろうぜ!!!!』と片っ端から声をかける塚ちゃん。
今も昔もバイタリティーがバグってます。
一通り片っ端から声をかけた辺りで母ちゃんから衝撃の一言が、、。
『ごめんけど、野球入れないよ。』
へ??😅😅😅
いやいやいやいや、毎日毎日じいちゃんに野球しこまれたじゃん!!
絶対やるやつだと思うじゃん!!!
もう、片っ端から同級生に声かけちゃったよ!!!!
『いや、空手の役員やってて、あと2年は空手辞めれないから🙋♀️』
『あす。🙇♂️』
そんなこんなで、ど田舎の小学校で異例の野球少年団に一気に小1が20人くらい入るという伝説を残し、僕は空手を続けることになりました。
空手は5歳から小学3年生まで続けたんだけど、黒帯の2個手前までいきました。たぶんあと1年続けてたら黒帯取れてたんじゃないかな?
まあ、黒帯に執着なかったし、早く辞めたかったから野球入るタイミングで辞めました🙆♀️
【いよいよ野球編】
そんなこんなで、すったもんだあって、同級生に『お前入んねーのかよ!』『お前に誘われて入ったんだけど?』的なこと言われながら2年の時が経ち、小学3年生で野球少年団に無事遅ればせながら入ることになりました。
野球少年団に入ると、部員が60名を超えていて、1軍と2軍に分かれていました。
僕の同級生は1人を除いてみんな2軍にいましたよ。(いやー、安心安心)
ところが、僕が入って少しした頃、僕の同級生が続々と1軍に上がっていったのです。
やばい!!!と思っていたところ、1軍のコーチが2軍に視察に来て、僕のキャッチボールをみて、1軍へ昇格させてくれました。
同級生が3年かかって1軍に上がるところを僕は1ヶ月で上がりました。
おじいちゃんとのコソ練(コソコソ練習)はここで活きたんですね。
1軍に上がった小学3年生の塚ちゃんに更なる試練が訪れます。
野球には9つのポジションがあります。
つまり、試合に出れる人数は9人です。
ここで、衝撃の事実が明らかになります。
9つの各ポジションにはもうすでに3〜4人ずつ選手が配置されているのです。
(もちろん、上級生含めです)
じいちゃんは学生時代ずっと内野手をやっていたので、孫の僕にも内野をやらせたかったみたいですが、この状況を見て考えます。
『いいか、優一郎、見てると、動きの良い選手は内野に多い。外野が手薄だ!外野を取りに行くぞ!』
『わかった!じいちゃん!!』(巨人の星かよ)
そうして、鬼の外野ノックの日々が始まりました。
毎日、学校行く前に、300球のトスバッティングと、200球の外野ノックをやりました。(やらされました)
休みの日はそれの倍はやりましたね。
(やらされました)
そして、迎えた5月の公式戦。
小学3年生の僕らはまず、出られません。
そもそも6年生に比べると身体がちっちゃいです。小学3年生の当時の僕の身長はおそらく130cmもなかったかもしれません。
そうして、なんの緊張感もないままスタメンが発表されました。
『9番ライト塚ちゃん』
おいおい、まてまて、どうしてそうなった、、6年が睨んでるぞ、、
こわ、、
まだ、入って2ヶ月だぞ、、
そうして、ユニホームだぼだぼのチビちゃんが試合に出ることに。。。
こんな早いデビュー戦を迎えるとは誰も思っていませんでしたが、特に派手なミスをすることもなく終えたことを覚えています。
そんなこんなで外野手としてメキメキと成長し、頭角を現した塚ちゃんですが、
いよいよ、5年生の新人戦から自分らの代になりました。
僕らの代のキャプテンは誰になるんだ問題が発生するのですが、代々1つ先輩たちの多数決でキャプテンが決まるシステムだった気がします。
その結果まさかのキャプテン塚ちゃんが誕生しました😅
『え、僕すか、、?』が正直なところでしたが、断るのも悪いので引き受けることにしました。
一応肩書きはキャプテンですが、チームをまとめたり、リーダーシップを発揮して、、
とかは1ミリもなかったです。
ただ、先頭に立って、ただ、号令かけて、ただ、監督にメニュー聞いて伝えて、
とかその程度ですね。
あとは、試合の時の先行後攻ジャンケンとか(ばか懐かしい!!!!)
あと、選手宣誓とかもやりましたね。
野球選手としてはどうだったかというと、
『超守備と小技がうまくて、超打撃がしょぼいやつ』でした。
守備が超うまくて、試合でエラー1回もしたこと無かったです。
打撃は超だめだめで、打率1割とかでした。
それなのに5番を打っていました。
5番はどんなやつかと言うと、3番、4番、5番はクリーンナップといってチームで1番打つ人がやるとこですね。
僕は打てないのに5番だったのですが、(監督頭わりぃ!!)ビヨンドというバットの芯のところがゴムになってる超飛ぶバットを使ってました。(じいちゃんに買ってもらったよ!!)
すると相手のキャッチャーは5番でビヨンドを使ってるってことはこいつはやべえ奴に違いねぇ!!!ってことで、
『5番!!!!ビヨンド!!!!外野バックー!!!!』
とかなんとか言って外野を後ろに下げるんですね。
僕はチビで非力だったので、内野と外野の間に『ぽてん』と落ちるような打球を打って出塁するというコスい手で活躍してました🙌🏻
(よ!塚ちゃん!!)
小学校の頃、野球をやっていて楽しい!と思ったことはないですが、おじいちゃんや、親たちがすごく楽しそうに応援とかしてくれてたので、頑張ってやっていた記憶があります。
野球編終わり!!
次回は【テレビオタク編】お楽しみに!!
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