お父さんに教えてもらった癒しの精神
ヒーリング(癒し)とは何だろう?
精神病を患い、社会で仕事することができず、半分引きこもりの生活を送っていた20代の頃、「癒しとは何か」と自分に問いかけていました。20代の頃は、自分の独特の心の問題を解決してくれそうな英雄的ヒーラーという存在に憧れていました。そのイメージは日常からかけ離れた専門家っぽいもので、今となっては、医者や正規のトレーニングを受けた才能あるセラピストなどの専門家の意見に頼るという社会的条件づけから出てきたイメージであって、本質ではないように思えます。
先月2月24日にわたしにとって大きな存在だったお父さんが亡くなりました。
現在、お父さんの生き様と死に様を見せてもらったことによって、癒しのエネルギーを浴びているところです。これを機に、ますます自分の追求してきた「癒し」とは?「ヒーラーとは何か?」という問いに対して、今の時期だからこそ出てくることを書きたくなりました。欠点も長所もあからさまにさらけ出し生き、そして死ぬということを見せてくれたお父さんのおかげで、癒しに対する理解の花が一つパッと咲いたようです。
これまで、インパクトの強すぎるお父さんのことはあんまり書いたことがなかったのですが、今回初めて書いていきます。
自分のお父さんのことを書くのって結構大変!人の人生は、善も悪も渾然一体となっているということ、「わたしってかっこ悪いわー」ということをお父さんとの関わりの中で分からせてもらっているからかもしれない。
弁護士のお父さんは、裁判で闘うということを仕事としていて、攻撃性が高く、決断力のある、リーダーシップのある人だった。その一方で学歴偏重主義で、口が悪く、学校の成績がよくないわたしには非常に苦しい存在でしたた・・・自分の仕事のことや遊びのこと(グルメ、旅行、ショッピング)に手いっぱいで子育てにも直接関わらないようにしていた人でした。なのでわたしは10歳くらいの頃からお父さんをほとんど避けてきたのです。子供をキャンプに連れて行ったり、自電車の乗り方を教えてくれるような爽やかなお父さんに憧れました。
ですがお父さんにはわたしにとって強力な教育的サポーターでもありました。高い論理性を要求される職業の人でありながら、野生の勘の強い、直感の強い人でもありました。勉強はできていなくても直感と国際性などで道を切り開くタイプのわたしを口ではバカにしながら、そして直接関わらなくても、微細なレベルで絶大に支持してくれました。人間解放と友愛の精神を育む京都精華大学を「お前にぴったりの大学や」と勧めてくれたのもお父さんでした。わたしの人生はそこから変容し、開花したのですから、そこを認め、感謝しないわけにはいられません。それにわたしの生来的な奔放さも、自分が奔放なので結構認めてくれました。きっと、わたしのようなエキセントリックな人間には絶妙なお父さんだったのでしょう。
普段のお父さんは裁判に勝つことのみに執念を燃やしていて、自分の健康管理には全く無頓着でした。ストレスのかかる仕事をしていたにも関わらず、運動もせず、暴飲暴食の生活を送っていました。
そのため、61歳の時、裁判で闘っている真っ最中に脳梗塞で倒れました。でもそれにめげることなく退院後も仕事を続けました。脳梗塞で半身が麻痺し、あまり舌が回らなくなったにも関わらず、龍谷大学のロースクールで教鞭をとり、持ち前の迫力で若い弁護士を鼓舞し、勇気づけました。自分の経験と知識を結びつけてわかりやすく説明する教師として慕われていたそうです。そのかたわら、引き続き裁判所で闘うという過酷な生活を送り続けました。
そのため、この14年間でなんども道で転んだり、どこかに頭をぶつけて意識を失うといったことを繰り返し、腎臓病、心臓病を併発し、ついに排泄も人のお世話になるしかならないという状態になっていきました。普通なら生きているはずがないと医者に言われている状態で、生きる意欲が満々な人なので結構、長く生きました。寝たきりになってからも自分の専門であった国際人権問題を扱う仕事を引き継ぎたいという若い弁護士の方が、なんどもお父さんのお見舞いにきていただいたそうです。母いわく:親類、同僚、依頼者の方達もお父さんの攻撃性のある独特の個性に刺激を求めてお見舞いにきていただける方が絶えなったそうです。
その間、お母さんが経過した苦労は並大抵ではなく、苦しみから暴言をはく父の介護に耐えました。お母さんもお父さんに負けないほどの戦い系なので、お父さんの挑発に対して互角に闘っていた様子が、見ていただけのわたしが言うので申し訳ないけれど、ユーモラスでもありました(二人とも申年生まれで猿同士の喧嘩みたいでした)
わたしは痛み・苦しみから罵倒するお父さんを見ていると、幼児期から子供時代にバカにされたような気分になったことや追い詰められたことを思い出して苦しくなるので、お父さんを避け、介護もはっきり言ってほとんどしていません。オーストラリアで子育てをしていたからということでうまく介護からすり抜けました。わたしは、お父さんに子供時代に苦しめられたので、その仕返をしたのでしょう。そんな自分に若干罪悪感もあります。わたしが若い頃に病気になったのは自分のせいかもしれないと自分を責めていた、しっかりものの母がわたしに気を使って、過酷な介護という仕事を免除してくれてしまったような気がします。
お父さんが亡くなる1ヶ月前に、娘のグレースと一緒に最後のお見舞いに行きました。お父さんが、ほとんど力の入らない体でなんとかして車椅子に乗りたがったので、看護婦さんに頼んで車椅子に乗せてもらいました。グレースと二人で交代でお父さんの乗った車椅子を押して病院の廊下を3人で散歩しました。お父さんのエネルギーはふわっとしていて、車椅子は滑らかなフロアの上をスムーズに前へ進んでいきます。とても気持ちがいい。オーストラリアに行ってしまった子どもや孫ともっと楽しい時間を共に過ごしたいというお父さんの気持ちが伝わってくる。わたしはそれを認めるのが辛すぎて泣けなかった・・・シンプルな至福の時間でした。
お父さんのお葬式に参列する前、「お葬式の時にわたしはきちんとした対応ができるだろうか」など、いろんなことを心配していました。ふとメッセンジャーを見ると、お友達のなおさんが今のわたしへのメッセージとして引いてくれたカードが入っていました。
「このメッセージはジャルさんのお父様のメッセージかもしれません」
あーお父さん、そしてなおさん、ありがとう!
「ヒーラーとは?」「癒しとは?」という20代のわたしの問いに対して今はこんな風に思います。
ヒーラーとは、日常生活の中で密接に関わる人たちとの間や、自分が直面しているチャレンジのなかで露わになる自分の性質、弱さや強さ、矛盾、今受け入れられることだけでなく、今の段階では決して受け入れられないことなどを、そのままただ受け入れるしかない普通の人の中に浮上する精神なのかもしれない。
自分をよく変えようとか、理想を追いかけようとかすることとはちょっと違う。
それは、時間をかけて、人生を生きることでしか育たない精神なのだと思う。売り物ではなくて、正規のコースを受けて「セラピストになる」ということとも直接関係はなく、形にこだわることでもなくて、その人が体験を通して内面で深めていっている理解に関係があるように思う。
癒しは、自分の生命のプロセスを抱きしめることで起こる何かなんだろう。
お父さんは最後まで自分らしく生きました。わたしはお父さんが亡くなった時にオーストラリアにいて、その場にはいなかったのですが、亡くなる前に目を覚まし「おい」と普段のお父さんらしく力強く人に呼びかけ、看護婦さんの手をぎゅっと握ったそうです。
お葬式の2月27日に見たお父さんの顔はスカッと成仏したような清々しい顔をしていました。
常に自分自身とは何者かを明快にしていたお父さんの生き様、そしてそのスカッとした死に顔からは、魂の完全性を感じ、癒されます。
お父さん、全てのことにありがとう。
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