不器用な人のためのアレクサンダーワーク
グレグの1年間のBodyMindedアレクサンダーコースに2月に入会してからのプロセスが、けっこう山あり谷ありでおもしろいのでシェアしたいと思います。
今年4月に開催された4日間のグレグのワークショップに出てから、2ヶ月くらいグレグのトレーニングクラスに通い、はりきってアレクサンダーを勉強していました。しかし解剖学が得意なグレグは解剖学用語を使いながらアレクサンダーのクラスを展開していくことが多い。科学的な思考が苦手な私は、クラスの中で使われている言語に疲れてしまいました。今になって思うに「勉強」に対するあのはりきりが問題だったように思います。
そのため、自分の中に解剖学的アレクサンダーに対する反抗心がめばえ(私のアレクサンダーを勉強しているときのいつものパターン)2ヶ月ほどグレグのクラスをサボることになりました。
グレグのコースをサボっているあいだは、保育所で子どもたちと遊び・学ぶ生活をし、1ヶ月間の会費を払ってコンテンポラリ、ピラティス、バレエなどのクラスに通いつづけました。私はダンスの振り付けを覚えるのがかなり遅いし、体も硬い。でもとにかくクラスの時間に踊れるのが楽しいのと、少しずつ、前できなかったことが今はできるようになっているのが確認できる時があるのがうれしい。そして、ほそぼそとではあっても、10歳のチェロ奏者の方に自分の思うアレクサンダーワークを教えていました。
そうこうしている間に、アレクサンダーワークに対する抵抗感が柔らかくなってきました。何度か解剖学のテキストをパラパラとめくっていると、解剖学は苦手でも、興味が全くないわけではないということも確認できました。ワークに対して新鮮な気持ちをもつために、気楽な気持ちでグレグのコースにもどろうと思いなおし、10月1日から4日間開催されたワークショップに参加することにしました。
からだが縮んでしまう決定的瞬間
ワークショップの2日目の午後のクラスでグレグがみんなに言いだしました「さてみなさんは、全身のボディマッピングレクチャーも全部聴いたことだし、そろそろ教える時期にさしかかっています」
わたしはティーチングと聞くといまだにぎくっとする。私にとってそこが一番恐怖を感じやすいところなんです。人前でティーチングをしているときに恐れという感情にむきあい、不器用な姿をさらけ出すのはどうしても好きになれない。よく知らない人に教えることに対して強迫観念をもってしまう。
頭の中に妄想が浮かびました。
「コースの参加者は、生徒さんを何人も抱えるプロの音楽や演劇の教師ばっかり、そういう人たちに教えるのなんか怖い〜ぎゃ〜アレクサンダーはあくまでも自分のペースで続けるのが良いとおもうから、今日はパスしよ。代わりに、今から翻訳したいと思ってた英文があったから翻訳でもしよう」
そう思ってグレグに何も言わずに、ズームの下の方の"Leave"ボタンを押してズームルームを去りました。
それからしばらく翻訳していると、自分がその場をさってしまったことに対して後悔のねんがおこりました「あ〜あ、ダンスクラスで下手でも踊ってよろこんでるみたいに、下手でもいいからその場でティーチングしたかった〜」
これこそが自分の本音のような気がしました。
それでクラスに戻ろうとしたのですが、コンピューターの操作がうまくいかずクラスルームにもどれない。
クラスの後、グレグが心配して電話をくれました。
「だいじょうぶですか?何かあったんですか」
自分よりも体のことをよく知っているように見えるプロフェッショナルな人たちにティーチングすることの恐れについてや、クラスを途中で退出したことで後から後悔したことなどをグレグに正直に打ち明けました。
グレグ:「あ〜なんだ、そういうことだったんですか。だいじょうぶですよ。ティーチングというよりも何をしたらうまくいくか、いかないかを参加者どうしで探求するためのじかんでしたから。アレクサンダーに関してはあなたの方が知っていますよ。他の参加者の人たちはアレクサンダーを始めてから1年も経っていない人ばかりです。みんなにあなたの知っていることを教えてください」
わたし:「ティーチングを探究のための時間とかんがえるのっていいですね。この2ヶ月ほどアレクサンダーのクラスをさぼっていましたが、アレクサンダーは20代に始めた探究なので、なんだかんだ言ってどこかで気になるのでまたもどってきたんです。次回のティーチングのエクササイズの時は逃げずにやってみます」
それから3日目、4日目のクラスに参加しました。
その間、ティーチングエクササイズの時間が4回ありました。4回とも違うグループに入って教える時間でした。
お互いに教え合うことは、わたしの妄想とはかけ離れたものでしたー小グループで、体のどこかに痛みがある時も頭と体全体を思い出すこと、体の関節に可動性があること、地面からサポートをもらっていることについて、みんなで気づかせあうことなどが楽しかったです。
ティーチングの間は、自分の強固な習慣に圧倒される瞬間もありました。ズームの画面に写っている人にどうアドバイスして良いか分からなくて不安なとき、あんまり呼吸していないことにもきづきました。その問題についてその場でみんなに正直に言えばみんなからサポートがもらえたはずなのに、ひと前でカッコをつけたがる習慣のため、その発言をさっと都合よく抑圧してしまいました。
最後に参加した小グループは、人の話を聞くよりは、自分の考えを前面に押し出す情熱的な女性たちがいたので、「ああしたら、こうしたら」とどんどん提案が出てきて、混乱するほどでした。
でも、この最後のグループで一緒だった人が言ったひとことが最高に心にひびきました「アレクサンダーって、まるで外国語を学ぶみたいに学ぶことが多くて複雑ですね」
ふだん、英語という外国語をオーストラリアに住むことで学び続けている私には、アレクサンダー・ラーニングを、外国語を学ぶことにたとえることがおもしろく感じました。
たしかにアレクサンダーを学んでいると、外国語を学んでいるときと同じように、自分が慣れている思考とは、全く違った思考へとみちびかれます。今回のワークショップで特に印象的だったことは、グレグは正しい動き方とか正解答について教えているわけではなくて、自分の心身の状態をジャッジせずにありのまま認め、動きの自由を探求する場を提供しているということがわかったことでした。こうした学び方を脳が理解するためには、思っている以上に時間がかかるような気がします。わたしたちの脳ははみな正しいやり方を教わり、世界をコントロールすることにものすごい投資しているように思います。
グレグがワークショップの中で言った次の言葉が気に入りました。
「アレクサンダー教師としての私の役割は、生徒さんに何かをさせることではありません。生徒さんが自分で選択できるような場をファシリテートすること、提供することです。」
彼はこれに関してフルートで大学を受験しようとしていたフルート奏者の高校生のレッスンを例に説明してくれました。
受験生の彼女は、受験のプレッシャーに圧倒され、フルートを全く練習しなくなりました。心配した彼女のお母さんが、彼女をグレグのレッスンに送りました。彼女はフルートを持ってレッスン室に訪れましたが「フルートを吹きたくない」と言ったそうです。そこでグレグは「フルートは壁の近くに置いといてください。アレクサンダーについて教えます。」と言いました。レッスンのたびにフルートを持ってくる彼女に対して「フルートを吹いてもいいし、吹かなくてもいい、その選択はあなたにお任せします」ということをはっきり意図し、言い続けたそうです。
そして彼女がレッスンの中でフルートを吹くことはついになかったそうです。
それからしばらくして彼女のお母さんからグレグに電話がかかってきて「娘は今、積極的にいろんな場に出て行って演奏しています。レッスンで何を教えたのですか?」と質問されたそうです。そしてまたしばらくすると、「娘は見事フルートで大学受験に合格しました」という連絡が入ったそうです。
むかし、20年以上前に通っていた京都のKappa 教師養成コースで、ブルース先生が言ってたことを今もおもいだします
「ただしい、まちがっているという判断をしない場所、そこでお会いしましょう。」
この学びは、あれから20年たった今も私の探求テーマです。
今回のレッスンはティーチングに関する自分の思い込みに出会い、ティーチングを探究として考えるという選択を選ぶことでなんとかみんなと楽しく交流しながらティーチングを練習できたのが面白かった。そして自分は不器用に感じながらも、いろいろ動いて実験したり探求することが好きなんだな〜ということに気づけたことがよかったです。
オーストラリア、ニューサウスウェールズ州、アラゴンレークにて。頭と脊椎の関係がうつくしいカンガルー
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