初めての本作り 防災と困難と 後編
のっけから「その本は、売れるのですか?」という、地獄の使者がささやくような言葉を受け、のっけけから心が折れそうになりました。
しかし、これも編集者として通過儀礼だと思うことにし、企画書を練り上げることで、心を奮い立たせました。
編集をサポートしてくれる校正者さんに企画書を見せると、「これは面白いですね。」と、ポジティブな言葉をいただき、暗い底をから光が刺してき多様に感じました。
書籍制作のスタートラインに立つべく、校正者さんと一緒に、当時名古屋大学名誉教授だった中田実先生に著者になっていただくためのご挨拶に伺いました。
ご挨拶も早々に中田先生に「町内会の本を作りたいので、つきましては中田先生に書いていただけないでしょうか?」とお話しすると、
「これはまた珍しい、町内会の本ですか?こんなこと言っては失礼かもしれませんが、そんなに売れるとは思いません.....が、せっかくここまで来て下さっさったのですから。ご協力いたしましょう。」
「しかし、この企画書ですと、とても私一人では書けませんので、それぞれの専門的な知識を持っている先生たちと協力する形で進めさせていただきます。がよろしいでしょうか?」
「はい。よろしくお願いいたします!」
心の中では、「著者が増えた~。こりゃ大変なことになったぞ~。汗」
横にいる校正者さんも、名古屋名物「ういろう」をお土産にもらったような微妙な笑顔で固まっておられる。(ういろう大好きです)
著者さんにまで、売れそうにない。と言われ、さらに著者が4人に増えるわで、著者さんが決まってホッとしつつも、「底ってまだあるんだなぁ~。」と、この先の不安感が募ってくるばかり。
名古屋まで来て「売れない本」という冠を戴いたこの企画。
もはや売れないというのは正義でなはいのか?という、わけのわからない、怒りにも似た義憤に駆られていく私。
『死して屍拾うものなし』
「子連れ狼」の拝一刀が殺伐とした荒野を一人歩くような、そんな気分だった。
そして企画から1年が経ち、4名からなる著者さんの原稿がようやく揃った。
1年も経過してようやっと原稿が揃うという遅いペース。もはやこの企画はなかったのでないか?という雰囲気が周囲から漂ってきたなか、私は逆に原稿を目の前にがぜんやる気と根性が出できた。
校正者さんの丁寧かつスピーディーな仕事もあり、その後はスムーズにあっという間に本が出来上がってしまった。
ホッとする間もなく今度は編集者としての仕事から一転、売るための営業がスタート。
ただの編集者ならここで終わりだが、私の場合は、作って終わりではなく、自分で書店営業もしなければならない。
営業は得意だが、売れない本を営業して回る辛さは人一倍知っている。
いや、売れない本なんて誰が決めたんだ。まだ売ってもないじゃないか!と、自分を奮い立たせて営業に向かう。
ここで、とんでもない問題が露見する。
「う、売り場がない!」
まさか、書店の売り場にこの本を置いてもらえそうな棚がない。
そう、あまりにもニッチすぎたのである。
書店営業マンとしてなにが一番困るかって、「どこに置いてもらえるほんなのかわからない本」ほど、厄介な本はない。
営業して回って分かったことは、中小規模の書店には、この本を置いてもらえるジャンルの棚がない。
大規模書店には、【政治・自治・地方自治体】というジャンルの棚があるにはあるが、勉強嫌いな子どもの机の上の本棚程度の棚幅しかない。
その時の私には、【政治・自治】ジャンルの棚周辺が、人間を拒む深くほの暗い森のような雰囲気が漂っているように感じた。
それでもなんとか勇気を出して担当書店員さんを探し声をかけるが、
森を守る番人(書店員さん)は、「町内会の本?なんですかそれ?配本でいいです。」と、にべもなく断られる始末。
どこの書店に行っても同じように断れ続け、青い鳥もお菓子の家もない薄暗い森をさまよう子供のような状態に…。
書店FAXで返信が来た注文書と自ら足で稼いだ注文書の冊数を合わせて、結局50冊にも満たず。
注文冊数がほとんどない新刊短冊を抱え、これ以上小さくなりようがないくらい身を縮めて、最後の関門である取次(流通問屋)に見本だしで持っていったときには、担当の窓口の人に、
「こんなの誰が買うんですか?書店注文も全然ないし。なんでこんな本作ったんですか?」
ぐうの音も出ないほどの言われように、膝頭を強く握って耐えるしかない始末。
ガンダ~ラ♪ ガンダ~ラ♪ ゼイ セットワズ イン インディア~♪
なぜか頭の中で鳴り響く、ゴダイゴの「ガンダーラ」
発売前から在庫の山はチョモランマ...、あぁインドでも行きたい。
しかーし、長く営業をやっていたおかげか、根性だけは人一倍。
「売れないなら、売るしかないぜ。豆鉄砲!はとっぽぽっー!」
天下は取れずとも、責任は取るしかない。
ここまでくると、何としても売ってやる!と、逆にエネルギーがわいてくるからあら不思議。書店営業で鍛えた根性が沸々とわいてきた。
売れる方法はただ一つ、欲しい人を探して目の目に差し出す。
そのためは、なぜ売れると思ったかを冷静になって思い返し、読者をリアルに想定していった。
ネットで調べても、ホームページがあり連絡先を載せている町内会・自治会など、まったくと言っていいほどなかった。しかし、市役所や区役所が、その地域の町内会自治会を管轄していることがわかり、部署を調べそこにFAXで営業をかける戦略を立てた。
お金をかけたくないので、当然のことながら自分でネットから各市役所のHPを調べ、一つ一つFAX番号を取得していくこと1か月。
毎日残業し、執念で集めた数千件ものFAX番号。
あまり得意ではない注文書も作り、祈るような気持ちでFAXを送った。
送った次の日から、毎日のように注文のFAXが届いた!
たった1冊の注文がこれほど嬉しいとは、他の人が作った本を営業をしていていては感じることのなかった喜びがあった。
中には町内会連合会という団体から70冊という注文が数件あり、積みあがった注文は500冊を超えていた。
この勢いと実績に乗じ、「読者との年齢層も合うので、ぜひ新聞広告を出してほしい」と上に掛け合うと、すぐにOKがでた。
広告は出せばいいというものではなく、出した分、かけたお金以上に売れなければ意味がない。しかし、この時の私には自信があった。
絶対に新聞広告が効果的だと。必ず注文が来ると。
見事に予想は的中!!
新聞広告を見た!という電話がじゃんじゃんかかり、初版3000部は見事になくなり、あっという間に重版が決まった!
周りが静かになるほど、売れた。
こうして、
企画当初から売れない本。
書店では売れない本。
誰も売れると思っていなかった本。
ルーキーから、‟売れない三冠王”を獲得していた「町内会の本」
が、毎年重版を重ねる‟売れない本”として、
じゃこめてい出版の歴史、私の本の歴史を飾る本となったのでありました。
おわり
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?