短編小説「トラブリング・スカイ」(ジャンル:サスペンス)
書く筋トレ第7回。
こちらのサイトでランダムに吐き出された3単語を使って、短い小説かエッセイを書きます。今日のお題は、「昼食、空港、水滴」
※ランダムテーマジェネレータより:http://therianthrope.lv9.org/dai_gene/
小説「トラブリング・スカイ」
「仕事がある」ということは間違いなく良いことだ。
武井剛史は、頭の中で自分に言い聞かせるように繰り返した。「良いこと」なのだから、感謝しなくてはならない、と。だが、武井に仕事があるということは、即ちトラブルが起こったということで、素直に喜ぶべきかわからなくなる。
そんなことを考えながら警備室に入ると、禿頭の警備部長の仏頂面がそこにあった。
「リー・ジーハイ。中国人の男、35歳、黒いトレンチコートにメガネだ」
挨拶もなく告げられ、A4用紙の束を渡される。見ると、パスポートの写し、監視カメラのプリントアウトだった。武井は、今から自分が捕まえるべき相手の特徴を頭に叩き込む。
「入国審査後に犬が鳴いてな。警備をすり抜けて逃げた。向かったのは国際線出発ロビー方面だ。すでにキムが行ってる」
武井の後輩にあたる女性職員の名前だ。武井の頭に不安がよぎる。
「いいか、武井。こいつを空港の外に出すな」
***
東京都蒲田国際空港。日本最大級の国際空港にして、東京の空の玄関と呼ばれる場所だ。
ここで近年深刻化しているのが、密輸問題だった。持ち込まれるものは麻薬、武器、偽造カードと多岐にわたり、手段も様々だ。数年前の隣国の規制強化をきっかけに日本が違法物売買の場として狙われてしまい、密輸事件の発生件数は日を追うごとに増え続けている。
ただ、幸いなことに税関の水際対策はある程度功を奏している。その要因は主に2つ。1つは、AIを用いた最新機器による徹底した検査。そしてもう1つが、武井たちの存在である。
表向きには知られていないポジションだ。そのため呼び方も定まらず、「特殊警備員」だの、「ウラ捜査員」だの好き勝手言われているが、武井が好むのは「トラブルシューター」という言い方だった。
税関が入国時に密輸犯を取り逃がしてしまうケースは、残念ながら多少なりともある。密輸品をとがめられてヤケになっての強行突破や、複数犯の一人を取り逃すケースなどである。捕まれば重罪だ。相手も必死になる。
たとえ容疑者を取り逃したとしても、分刻みで運行する空港全体を一人の犯罪者のためにロックダウンするわけにはいかない。そこで登場するのが、武井たちというわけだ。
常駐している数名が有事の際に出動し、容疑者が空港から出るまでに確保する。1日20万人が利用する蒲田空港で1人の人間を捕まえるのは、容易な仕事ではない。相手もそれをわかっていて、様々な手段で姿をくらまそうとしてくる。
仕事があるのは良いことだ。しかし武井にとって、仕事があるとはすなわち、それだけ密輸犯が横行していることを意味しているのだった。
「キム、どこだ。応答しろ」
無線機に呼びかけると、ややあって甲高い声が返ってくる。
『武井さん、3階西トイレです。容疑者のものと思われるトレンチコートと眼鏡を見つけました』
「仕事が早いな。いいか、ホシを見つけても接触するなよ」
前回の二の舞はごめんだ、と言いかけてやめる。その代わり、
「前回のアレ……。病院には行ったのか」
と聞くと、少し間があり、先ほどより少し低い声で返答がきた。
『……骨が折れただけですから。それぐらいで大騒ぎしてもしょうがないですよ』
「だけ、ってお前……」
通信を切り、西トイレに急行する。到着すると既に空港スタッフが集まっており、トレンチコートと眼鏡を「証拠品」として回収していくところだった。輪の中心には、見慣れた金髪が見える。
「武井さん、遅かったですね」
金髪にスタジャン、デニムのホットパンツ姿のキムは、どう見ても新大久保辺りにいる若者の出で立ちだ。
「相変わらずすごい耳してるな」
「あ、これですか?可愛いでしょう。穴開けられないんで、イヤリングですけど」
見ると5センチほどの折り鶴が、キムの両耳からぶら下がっていた。
「武井さんはどんなカッコしててもマトリにしか見えないですよ。もっと臭い消さないと」
「これでも気を付けてるんだがな」
武井も、スポーツメーカーのトレーナーにジーンズを合わせたラフな出で立ちだった。この仕事は容疑者に気づかれずに接近する必要があり、皆空港職員らしからぬ服装をして周囲に溶け込もうとしている。しかし、武井の15年の麻薬取締官としての経験は、なかなか肌に染みついて落ちないようだ。
元マトリ、元警察官に始まり、興信所出身者や元格闘家……。「トラブルシューター」たちの経歴は多岐にわたる。
「容疑者は?」
「手前の売店で聞き込みをしました。この10分で男子トイレから出てきた人間は、小さな子供一人を除き全員あそこに行ったとのことです」
そう言って、通路突き当りの扉を指さす。ガラス戸に印字された「スカイデッキ」の文字が遠くからでもよく見えた。
「なるほどな」
「ただ、あそこは行き止まりですよ。わざわざ袋のネズミになりに行くでしょうか」
「もうすぐ12時のピークタイムだ。外でメシを食う客で一気に混雑する。それに紛れて逃げようって魂胆だろう」
キムが神妙にうなずく。犯罪者は考え方が似通るのか、武井にとっては何度か経験したシチュエーションだった。
「10分もすれば人がどっと押し寄せる。そうなると相手の思惑通り、こっちの仕事はしづらくなるぞ。急ごう」
午後の国際線出発ラッシュを目前に、チェックインを終えた客が殺到する時間だった。武井とキムは、足早に「スカイデッキ」への扉をくぐった。
途端に、真上から容赦ない陽光が降り注ぐ。じりじりとした熱に目を細め、周囲を見回した。スカイデッキは、テニスコート4面分ほどの広さがある屋外バルコニーである。点々とパラソル付の机椅子が並べられており、飛行機が離着陸する様を眺めながら食事や休憩を楽しめる場所として、空港利用者に人気のスポットとなっている。
昼食時前で、まだ人影はまばらだ。
「見てくる。出口を塞いでおけ。戻るまで誰も出入りさせるな」
「了解です。急いでくださいね、暑いですし」
「万が一容疑者と対峙しても戦おうとするなよ。前みたいなことになると俺が監督責任を問われる」
キムの顔を見ないで言う。視界の端で彼女が口をとがらせているのが見えたが、何も言い返しては来ないので武井はそれを了承と受け取ることにした。
足早に、点在する利用客たちのもとに歩を進める。ざっと見まわして、容疑者の特徴に合致する30代男性は、4人。1人は家族連れ、後の3人はめいめい1人で座っている。
ここで相手に逃げられてはたまらない。逃亡犯が誰か確実に判断できるまで、ことを荒げてはならない。しかし10分もすれば、やってきた人ごみに紛れて逃げられてしまう確率が高まる。慎重に、かつ迅速に逃亡犯を特定しなくてはならない。
まずは家族連れに近づいて、様子を観察する。夫婦と幼い子供が2人。テーブルに弁当や飲み物を広げて、昼食を楽しんでいる様子だ。一見して怪しいところはない。
続けて1人で食事中の男性を観察する。弁当をかっ込み、お茶を流しいれる姿は粗野そのものだ。警備部長から受け取った写真より少し大柄に見えるが、どうだろうか。
その奥にいた男は、スナイパーライフルのように望遠レンズの付いたカメラを構えて、離陸する飛行機をフィルムに収めている。カメラで顔が隠れて見えづらく、判断がつきにくい。近くには弁当とコーラのペットボトルが無造作に置かれているが、手を付けていないようだ。
最後の男は、テーブルに突っ伏して寝ている。顔が全く見えないが、背格好は写真の男に合致するようにも見える。この男も食事をとる予定らしく、未開封の弁当とミネラルウォーターがテーブルに放置されている。
誰だ。誰が逃亡犯だ。
ざっと見て怪しいのは寝ている男だが、もし違ったら、と考えると無闇に声をかけることはできない。
男たちはまだ、武井が空港職員であることに気づいていないはずだ。ここで万が一武井が別の男をつるし上げてしまうと、気づいた真犯人が逃亡しようと出口に駆け出し、キムと対峙することになる。以前起こった事態を考えれば、それは避けたい。
座るところを探している風を装って、もう一度男たちを観察する。わからない。
ドアが開く音がして、入り口を見る。老人の団体がスカイデッキに入ろうとして、キムと押し問答になっていた。まずい。時間がない。
武井の額を玉の汗がつたう。直射日光の暑さからか、焦りからかは判然としない。ハンカチを取り出し、汗をぬぐい――
汗?まさか……。
慌てて、男たちをもう一度順番に見る。家族連れの男、食事中の男、カメラを持った男、寝ている男……。
そうか。なぜ気が付かなかったのだ。ことは思ったよりも単純だった。
つかつかと一人の男に歩み寄る。武井はもう確信を抱いていた。逃げられないように、相手の背後から近づき、二の腕を強くつかんだ。
「リー・ジーハイだな。入管だ。連行する」
腕を掴まれた逃亡犯――家族連れの父親が、驚いて振り返った。事態を把握してか、子供も母親も一瞬の驚きのあと、鬼の形相でこちらを睨んできた。
「ガキと女はどっから出てきた?役者でも雇ったか?……って日本語わかんねえか」
男は武井の腕の中で精いっぱいの抵抗をしようとするが、後ろから掴まれて身動きを取れない。あとは手錠をかけ、キムと2人で連行すれば終わりだ。その時――
「把这个家伙带走!」
男が中国語で何かを叫んだ。その瞬間、武井の両足に衝撃が走る。2人の子供たちが、渾身のタックルをかましてきたのだ。予想外の攻撃に重心が崩れる。まずい、手を放してしまう。
俺としたことが、油断していた――。武井の胸に後悔がよぎる、その一瞬で男は武井の腕を振り払った。襟首を掴み直そうとするが、子供たちに阻まれて伸ばした手は宙をかいた。男が、出口に向かって走り出す。
「キム!」
出口を見ると、事態を把握したキムが仁王立ちしているのが見える。
「キム、よせ!」
男がキムのもとに突進していく。キムを払いのけようと、男が手を伸ばしたその瞬間――。
男の身体が宙に舞った。
続いて、破裂音に似た嫌な音がスカイデッキに響き渡る。人間の身体が、コンクリートに叩きつけられる音だ。元柔道家のキムによる、見事な一本背負いが決まったのだった。
「よせと言ったろう」
慌てて駆け寄ると、投げた本人はしゃあしゃあとしている。
「加減したので、死にはしませんよ」
「生きてりゃいいわけじゃないんだよ」
キムの足元に転がっている不憫な逃亡犯を見る。咄嗟のことに受け身が取れなかったのか、完全に伸び切っていた。
「前回お前が投げた男は、打ちどころが悪ければ下半身不随になってたんだ。幸い肋骨骨折で済んだが。病院には行ったのか?」
「別にいちいちお見舞いなんてしないですよ。骨ぐらいで騒ぎ過ぎなんですって」
「勘弁してくれ、俺の監督責任問題になるんだ」
「武井さんがあっさり取り逃がすからですよ」
痛いところを点かれ、武井は閉口せざるを得なくなる。
そうこうしているうちに空港職員や警察が到着し、男とその家族(と思わしき者たち)を連行していった。
「そう言えば、どうしてわかったんですか?」
「何がだ?」
「いや、家族連れの父親が逃亡犯だって。私だったら真っ先に除外してました」
「ペットボトルだよ」
キムが怪訝な顔をする。
「この太陽光の下で中身の入ったペットボトルを置いておけば、結露して周りに水滴がつくだろう」
寝ている男、カメラの男、食事中の男、そして家族連れの男。全員が偶然にも、ペットボトル飲料をテーブルの上に置いていた。よく観察すれば、家族連れの男の前に置かれたペットボトルだけには、まったく水滴が付着していなかった。子供や母親の前に置かれたペットボトルはしっかり結露していたにもかかわらず、だ。
「つまりあの男だけが、今さっきここに来たってわけだ」
「なるほど…あっ」
「どうした?」
「イヤリング、なくしました」
見ると、柔道家特有のギョウザ耳の下で揺れていた折り鶴が、片方なくなっている。
「相変わらずすごい耳してるな」
「武井さん、大変です。探してください。きっとさっき投げた時に飛んでったのかも」
「あんなでかいもの、なくなってたまるか」
這いつくばって探し始めるキムを尻目に、武井は大きくあくびをした。
(おわり)
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