短編小説「映したくないもの」(ジャンル:ミステリー)
書く筋トレ第8回。
こちらのサイトでランダムに吐き出された3単語を使って、短い小説かエッセイを書きます。今日のお題は、「一昨日、ネット上、爪先」
※ランダムテーマジェネレータより:http://therianthrope.lv9.org/dai_gene/
小説「映したくないもの」
「中村リサーチ」と書かれた扉を開けると、見慣れたハンチング帽が目に飛び込んできた。「お疲れ様です」と声をかけると、ハンチング帽がぬっと持ち上がり、その下から無精ひげが顔を出す。
「おう、ワトソン。何度も言ってるだろう、ホームズと呼べと」
「知りません。それに僕は田中です」
来客用のソファに寝転がってくつろいでいるのは、家達さんだ。
家達さんは、僕がアルバイトを務める興信所「中村リサーチ」に勤める探偵である。「いえたち」という名前から、「ホームの複数形でホームズだ」と周囲には喧伝しているのだが、誰かからそう呼ばれているところを僕は見たことがない。
『あいつはホームズって感じじゃないね。安楽椅子じゃなくて、地道にコツコツ頑張るタイプだから』
というのは、「中村リサーチ」のボス、中村所長の言説だった。探偵として成功し何冊か本も出している彼の言葉には説得力があり、家達さんの軽薄な言葉には説得力がない。
「連れないな、まあちょっと座れよ。面白い話を聞かせてやろう」
家達さんはソファから体を起こして、対面して置かれた革椅子を勧める。
「いや、僕タイムカード切らなくちゃいけないんで」
「そんなもん俺が後でちょちょっとやっといてやるから。今何時だ?17時?じゃあワトソン17時出勤な」
「そのワトソンってのやめてください」
僕がアルバイトとして入所したその日から、家達さんは僕のことをワトソンと呼ぶが、これも全く浸透していない。だいたい名前も一文字も被っていなければ、僕の専攻は医学ではなく経済なので、そう呼ばれる謂れがなかった。
渋々勧められた椅子に腰を下ろすと、自称「ホームズ」は芝居がかかった咳払いの後でゆっくりと口を開き、彼のお気に入りのフレーズを言った。
「これは、俺が華麗に解決した事件の話だ」
***
その日、俺がアサインされたのはありふれた人探しの話だった。
5年前に置き手紙一通残して失踪した弟を探してほしい、とかそんなやつだ。そこの家の父親が倒れてな。母親はもう亡くなってるし、父が生きてるうちに弟の顔を一目見せてやりたいってことらしい。
生きてりゃ今年で23歳だが、出てってからこっち手紙も電話もない。働いてるのか、どこか学校に行ってるのか、そもそも生きているのかもわからないそうだ。元々どうしようもない不良息子で、いなくなった当時から本腰入れて探すようなことはしていなかったらしい。
「それが、2週間ほど前に急に、家に来たみたいなんです」
そう話す依頼人、木曽雪乃は、いかにも幸の薄い感じの三十路女だった。ガリガリにやせ細ってて、小動物みたいに常にビクビクしてたのが印象的だった。
「家に来た”みたい”、というと?」
「これです」
そう言って依頼人は一葉の写真を出してきた。不思議な写真だった。ほとんど真っ黒で何も写っていない。下の方だけ辛うじて何かが見える。よく見ると地面と、白い靴を履いた足のようだった。
「これは?」
聞くと、依頼人は入り口のドアの方をぼーっと見ていて聞いちゃいない。
「木曽さん?」
名前を呼ぶと彼女は驚いたようにビクッとしてようやくこちらに注意を向けた。俺は「中村所長を探してるんだろう」と思って気にしないことにした。中村所長の名前で持ってるような事務所だからな。依頼人も有名な探偵に仕事を頼めると思って来てるから、俺が担当するって言うと悲しいかな良い顔しないことが多いんだよ。まあ、あの人は世間に顔が売れすぎて、もう探偵の業務はほとんどできないんだけど。
まあ、聞けばその写真は、彼女の家のインターホンを録画したもののスクリーンショットらしい。
「最近、録画機能のあるものを取り付けたんです。ほら、勧誘とか、何かと物騒でしょう」
「画面が黒いのは?」
「多分ですけど、こうしたんだと思います」
依頼人は人差し指を突き出すしぐさをする。指でカメラを隠したと言いたいのだろう。指をさされているようでいい気はしない。
「なるほど。で、これがなぜ弟さんだと?声を聞いたんですか?」
「いえ……」
もともと悪かった歯切れがさらに悪くなる。彼女が再び口を開くまでしばらく時間がかかった。
「……靴です」
「靴?」
「こんな靴、弟がよく履いてたんです」
再び写真を見た。白い靴が辛うじて移っているが、画質も荒く、ぶれていてはっきりとは見えない。ピントが合っているのは爪先部分だけである。ただぼやけた輪郭の大きさを見るに、バスケットボールシューズのようだ。
「バッシュってやつですか。しかし、失礼ですがそんなの誰だって履いてるのでは?」
「いえ、弟が履いていたのは少し珍しい靴でして……エア・マキシムってご存知でしょうか」
お前の年じゃ知ってるかわからないが、エア・マキシムってのは90年代に一世を風靡したスニーカーだ。なかでも95年モデルは品薄になって、あまりに高値で取引されるもんだから街に「マキシム狩り」なんてのが現れたぐらいの代物だった。
その場で画像検索してみたが、たしかに写真の人物が履いてるのはその95年モデルに見えた。
「なるほど、つまり弟さんが持っていた、かなりレアな靴を履いていたから、弟さんだと思うと」
「ええ……。すみません、こんな手掛かりと呼べるかわからないようなもので。ただ……」
「ただ?」
「弟は悪い友達と付き合って、その、カツアゲ、とかもしてたみたいなんです。ただ、靴だけは自分でバイト代を貯めて買ってたので……5年たった今でも、大事に履いていると思うんです」
依頼人から聞けた情報は、それがすべてだった。
***
「さあ、ワトソン君、ここでクイズです。このあと俺は、この情報だけを頼りに依頼人の弟を見事見つけるわけですが、どうやって見つけたでしょう」
そこまで一気にまくし立てると、家達さんは僕の目をまっすぐ見つめてきた。話の途中、僕は時計を見たり、あくびを噛み殺したり、様々な「サイン」を送っていたのだがこの人には関係ないようだ。
「あの、僕ちょっと部活で疲れてるんで、続きはまた今度でもいいですか」
「馬鹿野郎、大学生にもなって運動部でさわやかに汗流しやがって。学生はもっと自堕落に生きるべきなんだよ」
「知りませんけど」
「タイムカード、付けてやらんぞ。今来たことにしてやる。15分遅刻だな」
絶句して、しばし見つめあう。まったく、子供のまま大人になったような人だ。仕方ないので、もう少し付き合うことにする。
「で、なんでしたっけ。5年前に失踪した不良の弟を探したい。手がかりは2週間前にインターホンカメラが撮影した靴の爪先だけ、でしたよね」
少し、考える。弟は靴を大事にしていた。もしインターホンの人物が弟本人だとしたら、まだ靴への執着を持ち続けている、と考えられそうだ。
「たしか、都内には何店か、レアなユーズドのスニーカーを扱ってる店がありましたよね。靴を収集する趣味がまだ続いてるなら、依頼人の弟もそういった店に出入りしている可能性が高い。だから、その手の店に片っ端から聞き込みしたんじゃないですか」
言いながら、家達さんの顔が喜色に染まっていくのがわかった。僕の推理は、家達さんが言って欲しかった内容通りだったというわけだ。つまり、的外れということ。
「ハズレだ。君はいつも、ちょうどいい一般人的な回答をしてくれるねぇ。俺の引き立て役として申し分ない」
「ワトソンは別に、ホームズの引き立て役ではないと思いますけど」
家達さんは僕のツッコミは無視して、おもむろに立ち上がる。
「さ、ワトソン。お茶を入れてくれ」
「嫌ですけど」
「俺にじゃない。依頼人にだ。そろそろ来るはずだから」
何のことですか?と僕が聞きかけた瞬間、中村リサーチのドアが開いた。見るとそこには、ガリガリに痩せた、いかにも幸の薄そうな女性が立っていた。
「木曽雪乃さん。お待ちしておりました、どうぞおかけください」
***
応接ソファに腰掛けた依頼人の木曽さんは、家達さんの話にあった通り、何かに怯えているかのように常に視線をキョロキョロとさせている。とりわけ僕の方を見ないようにしているようで、居心地が悪い。
「ああ、気にしないでください。図体はデカいですし、あちこち生傷だらけですが、こいつはただのバイトです」
「あ、田中と言います。よろしければどうぞ」
お茶を差し出すが、木曽さんはまるで武器を突き付けられたかのように縮こまってしまった。
「あの……解決したんじゃなかったんですか?」
小声で家達さんに聞く。すると家達さんは白い歯を見せて、
「ああ、解決したよ。だからこれから依頼人に話すんじゃないか。まあ、お前も座れよ」
そういうことか。なんだか脱力してしまって、家達さんの横に力なく腰を落とす。
「単刀直入に申し上げましょう。弟さんの居所は、すでに判明しております」
依頼人が、顔を上げる。表情が心なしか明るくなったように見えた。
「弟さんと思われる人物が履いていた、エア・マキシム95について少し調べさせていただきました。この写真をご覧ください」
そう言って家達さんはスマートフォンを取り出し、画面を依頼人に見せた。横から盗み見したところ、白い靴を履いた人物の脛から下をアップで撮影した写真のようだった。
「これです。弟の履いていたものと同じです」
依頼人が、声を弾ませて言う。家達さんがにやりと笑う。
「これ実は、ネット上のオークションサイトで見つけた画像なんです。エア・マキシム95が、一昨日から出品されてましてね。ただ長年履き古された品物のわりに設定金額が高くて、誰も落札していない。そこで私、買いたい客のフリをして、連絡を取ってみました」
そこまで言って、家達さんはわざとらしく咳払いをする。
「結論から言いましょう。出品者は弟さんでした。どうしても手渡ししてほしいとゴネて、直接お会いしたので間違いありません。その後少し尾行をさせてもらいまして、現在のお住まい、勤め先もすでにわかっています」
本当に解決していたのか。僕は少し感心し、家達さんはさぞドヤ顔をしていることだろうと隣を見る。すると予想に反して、自称"ホームズ"は神妙な顔つきをしていた。
「その情報をすぐにあなたにお伝えしても良いんですが……その前に一つだけ。実は、あなたのことも少し調べさせていただきました」
相手の表情が一気に曇った。
探偵調査において、依頼人自身を調べること自体はよくある。今回のケースで言えば、もともと弟なんて存在せず、精神疾患の依頼人がでっち上げた存在、なんてことがあれば笑えないからだ。今の反応を見る限り、この木曽という女性にも何か事情がありそうだった。
「ここ2,3年ですね。お父様が職を離れ、ギャンブルにはまって借金ができた。取り立ての過労で倒れられたお父様の代わりに、今はあなたが必死で働きながら少しずつお金を返している――。もし弟さんも返済に協力してくれたら心強いですもんね」
直接的な物言いに心配になり依頼人を見ると、目に涙をためているように見え、いたたまれない気持ちになる。
「あの、依頼料はきちんとお支払いできますから……」
「ああ、ご心配なさらないでください。うちは無い羽根をむしるようなことはしないので、ツケでもなんでも。ちなみに、差し支えなければお金を借りてる会社の名前をお聞きしても?」
「……クリア・リースです」
アルバイトの業務である、資料整理の中で見た名前だった。たしか「西高蔵組」とかいう暴力団が背景にいるヤミ金業者だ。だとすると、目の前に座る依頼人を取り巻く状況はかなり切迫しているはずだ。ここへ来てからずっと何かに怯えている様子だったのも、日常的に彼らに追い込みをかけられていることが影響しているのかもしれない。
「でしたら録画機能付きのインターホンを取り付けるのは良い判断でしたね。違法な取り立ての証拠を押さえられますから。ただ――」
依頼人と僕は、家達さんの次の言葉を固唾をのんで待つ。
「ただ、一つだけ確認させてください。弟さんの現在の状況を知ることで、あなたは難しい決断に迫られることになるかもしれない。それでも、お聞きになりますか?」
木曽さんは、困惑した表情を沈めて、黙りこくってしまった。
事務所内に静寂が訪れる。空調の音がやけにうるさい。家達さんも、僕も、彼女が口を開くのを辛抱強く待った。
「あの……」
1分も経ったころに、彼女がようやく口を開いた。その顔には決意のようなものがにじんでいる。
「弟に借金のこと頼れればって思っていたのは事実です。ただ、やはり父ももう長くありません。私は、そのときが来るまでに弟に会いたい……。教えてください。弟のこと」
それを聞いて、家達さんは深くうなずいた。
「わかりました。ではお話ししましょう」
家達さんはお茶で口を湿らせてから、話し出した。
「気になっていたことが2つありました。5年もの間、連絡一つもよこさなかった弟さんが、今になってなぜインターホンを鳴らしたのか。そして、失踪前から大事にしていたというエア・マキシムを、なぜオークションに出すようなことをしたのか。その答えは、非常にシンプルでした。不良少年だった弟さんが、家を出てからどこにいたのか――」
「え、それってまさか」
思わず口をはさんでしまった僕を、家達さんが制す。
「そう、そのまさか。不良少年が、先輩のスカウトだなんだでそっちの道に行くことはよくあるみたいですね。言いづらいですが、弟さんは暴力団、西高蔵組の世話になっていたようです」
依頼人の顔から少し血の気が引いたのがわかった。
「弟さんは、数か月前から西高蔵組が経営する金融業者で、債務者への取り立てを任されていました。あなたもよくご存じの会社、クリア・リースです。インターホンを鳴らしたあの日、偶然なのか、上司にたばかられたのかはわかりませんが、弟さんはあなたの家に取り立てに来ていた」
5年も帰っていないとは言え、住み慣れた家を前に、彼はきっとどうすべきか迷ったのだろう。結果、自分の顔を見られないように指でカメラを隠してインターホンを押すという、中途半端な行動に出たのだ。
「現実は残酷です。弟さんは他でもないあなたから借金の取り立てを行わなければならなくなった。彼がもし拒めば、あなた、もしくは弟さん自身がもっと酷い目に遭う可能性もある。そして私も迷いました。今ここであなたと弟さんを引き合わせることは、西高蔵組にあなたの身元を引き渡すことに等しい」
依頼人はこれまで以上に深くうつむいてしまった。重苦しい空気が体にまとわりつくようで、僕も思わず視線を落とす。
「しかし、私はそれでも、あなたは弟さんに会うべきだと考えます」
家達さんが、再びスマートフォンを取り出し、依頼人の前に置く。オークションサイトのページが開かれていた。
「その理由がこれです。ここから先は私の憶測にすぎません。が……借金のことを知った弟さんは、きっと考えたのでしょう。どうにかして家族を救うことはできないものかと」
依頼人は、食い入るように画面を見つめている。相場よりもはるかに高値で売りに出された、履き古されたシューズの写真を。
「大切にされていた靴だったんですよね」
それだけ言って、家達さんは立ち上がる。
「会いに行きましょうか、弟さんに」
***
「家達案件、一件落着か」
家達さんと依頼人が去ったあとの応接スペースを片付けていると、事務所の奥から中村所長がぬっと出てきて言った。
「あの人、ひどいんですよ。もしヤクザが出てきたらこいつがタックルするんで大丈夫です、とか適当なこと言って」
「なんだ、天下の明鏡大ラグビー部でも、ヤクザは怖いか」
「当たり前ですよ」
テーブルの上には、一葉の写真が置かれたままになっていた。手に取ってみると、どうやら件のインターホンの写真のようだった。たしかに辛うじて爪先だけがはっきりと見える。
「あの、思ったんですけど……というか、これ言っていいのかわからないんですけど」
「なんだ?」
「今回の件、弟さんの靴がたまたま珍しいものだったから何とかなっただけで、別に家達さんが華麗に解決したわけじゃないですよね」
中村所長が苦笑する。
「まあ、そのたまたまを引き寄せるのも実力ってやつだ。あんまり意地悪なこと言ってやるなよ、あいつのワトソンなんだろ?」
「そのワトソンってのもなんでなんですかね。僕田中ですし、別に医学生でもないですし」
「なんだ、あいつ言ってなかったのか?」
中村所長の拍子抜けした表情に、こちらもきょとんとせざるを得ない。
「シャーロックホームズの相棒ワトソンは、ロンドンの名門ブラックヒースでラグビー選手をやってたんだよ。わかったか、ラグビー少年」
どうやら、僕はまだしばらくワトソンと呼ばれることになりそうだった。
(おわり)
写真:PIXABAYより(https://pixabay.com/ja/)