短編小説「地上6階建ての棺」(ジャンル:サスペンス)
書く筋トレ第5回。
こちらのサイトでランダムに吐き出された3単語を使って、短い小説かエッセイを書きます。今日のお題は、「霧、螺旋階段、偽り」
※ランダムテーマジェネレータより:http://therianthrope.lv9.org/dai_gene/
小説「地上6階建ての棺」
乾燥した両目を、モニターから引き離す。
壁の時計を見ると、深夜0時を回っていた。一日中数字と格闘していた体をねぎらうように、大きく伸びをする。肩の骨がぽきぽきと鳴る音が、誰もいないオフィスに響いた。
経理部長になってからというもの、年末は毎年このありさまになる。「部長」と言えば聞こえがいいが、飯島が務めるカネマツ商業のような小さな専門商社において、経理スタッフは少ない。
部下と呼べる存在は、村井と田島という若い社員だけだ。2人ともいかにも今どきの会社員らしく残業をしたがらず、加えて家族を持つ2人には振りづらい仕事も多いため、結局独身の飯島が業務を抱えることで仕事を支えていた。
「飯島さん、まだいたんですか」
声をかけられて、ドキッとして振り返る。飯島のデスクからオフィスを対角線に横切った先で、廊下へ続くドアから営業部の中野がひょっこり顔を出していた。
「ああ、中野くん。ひょっとして下はもうみんな帰った?」
「ええ、5階まではもう誰もいないッス。僕も帰りますから、鍵お願いしますね」
そう言って中野はドア近くの棚に鍵束を置く。飯島のいる経理部は、カネマツ商業の自社ビルであるこの建物の最上階、6階にある。
中野はそのまま出ていくかと思いきや、ドアを半開きにしたままじっとこっちを見つめてくる。ラグビーで鳴らした185センチ、90キロの巨体の前には、ドアが小さく見えるから不思議だ。
「どうした?忘れものか?」
「いや、飯島さん。気を付けてくださいね。ほら、脅迫状のこともありますし」
それだけ言って、今度こそ出ていった。
脅迫状か、そんな話もあったな――。思い出して、ため息をつく。最初に届いたのは、半年前だったか。朝出社した社員が、会社の外壁にコピー用紙がベタベタと貼り付けられているのを発見し、一時騒然となった。
それ以来、何度か同じことが続いている。内容は「お前たちはもう終わりだ」「震えて眠れ」「すべては無に帰す」など抽象的なものが多く、経営陣はいたずらと判断して警察には届けていなかった。
再び、モニターに視線を戻す。
一度目を離したせいか、画面の光がまぶしく感じる。気にせず作業を進めようとしたが、目がチカチカして、痛みすら覚えてきた。思えば既に何時間もぶっ通しでモニターを見つめ続けている。
小休止が必要だ。クシャクシャになった煙草の箱と安いライターを背広のポケットに押し込む。部下の村井も田島も嫌煙家だったので、煙草は飯島にとって深夜残業の楽しみの一つでもあった。
よろよろと立ち上がると、うまく血が巡らずにめまいがした。はっきりしない意識のまま、灰皿のある非常階段に向かう。
そのまま転がり出るように外に出た。12月の冷たい空気が肌に突き刺さってくる。
踊り場にしつらえられた灰皿スタンドへ向かう。頭上の火災報知機にしっかりカバーがかけられているのをたしかめてから、煙草に火をつけた。一度別の誰かがそれを忘れたせいでスプリンクラーが作動し、消防車が来る大騒ぎになったことを思い出す。
煙を吐きながら、ようやく気持ちが落ち着いてきた。そこで時間を見ようとしてポケットを探り、舌打ちが出た。どうやら携帯電話をデスクに忘れたらしい。仕方なくデスクに戻ろうと、オフィスに通ずるドアに手をかけ――。
血の気が引いた。
ドアが開かない。
疲れからか、単純なことを忘れていた。非常階段につながる扉はオートロックで、内側からしか開かないようになっている。普段なら、止め石を置くか、鍵を持って外に出るところだが、今日に限ってそれを忘れていた。誰かを呼ぼうにも屋内にはもう誰も残っていないはずだ。通信手段も持っていない。
中に戻れないと分かった途端に、外気が急に冷たさを増したような気がする。コートも着ていない身に寒風が堪える。
どうしたものかと、周りを見渡す。非常階段は、周囲の雑居ビルに囲まれた狭い路地に面しており、深夜ともなると周囲に人の気配はない。
「ああ、畜生……」
悪態をつく。自分の阿呆さに無性に腹が立った。
1階まで下りれば、通用口から外に出ることはできる。しかしビル内に戻るには、明日の朝誰かが出社してくるのを待つしかない。
しかしそれでは今日済ませたい作業は終わらないし、もっと悪いことに財布も携帯も家の鍵も、オフィスの中に残したままなのだ。
少し迷ったが、寒さにはかなわない。とにかく何かせねばと、1階に降りることにした。
カンカンカンカン――。
飯島の靴が非常階段を叩く音だけがむなしく響く。らせん状の階段を下りながら、ダメもとで各階の扉を開けようと試みるが、どこもビクともしなかった。朝までどう過ごしたものか、頭の中で様々な可能性を考えては消しながら、1階にたどりついた。
するとそこには、異様な光景が広がっていた。
外に出るための通用口の扉に、鎖が巻き付いている。ただ扉を引き留めているだけではなく、中にいる者を絶対外に出すまいという執念のようなものを感じるほどに、執拗な巻き方をされていた。外そうと手をかけてみるが、よく見ると南京錠で固定されており、動かせる気配すらない。
先ほどまでとは違う類の冷や汗が背中をつたう。異常な鎖の巻かれ方に、何者かの悪意のようなものが垣間見えてゾッとした。
ドンッ
突然、飯島の背後、オフィスの1階部分へと通じるドアの奥で、何か物音がした。恐る恐るドアに近づき、ドアにはめられた細いガラスから中をのぞく。
暗い廊下の奥に、何か大きなものが転がっているのが見える。あれは、あの、大きな肩幅は……
「中野…?」
はっきりとは見えないが、廊下の奥に先ほど言葉を交わしたばかりの中野が横たわっているように見える。その瞬間、飯島の脳裏に彼の言葉がよぎった。
『気を付けてくださいね。ほら、脅迫状のこともありますし』
飯島の脳内で一つの可能性がジグソーパズルのように組みあがっていった。
カネマツ商業に脅迫状を出してきた人物が、社員のいないこの時間をねらってオフィスに侵入してきた。目的は不明だが、その何者かは通用口を鎖でふさぎ、建物内に戻ったところで帰りがけの中野と遭遇した。姿を見られたことに焦った何者かは、中野を――。
そこまで考えて飯島の鼓動が早くなる。巨漢の中野を侵入者が倒したとなると、その人物は凶器を持っている可能性が高い。
そのときだ。
頭上でドアが開く音がした。呼吸が粗くなる。白い息があたりに広がって消える。音の距離からして、3階か4階だろうか。
音の主は、カンカンと音を立てて階段を下りてくる。慌てて息を殺し、体を縮こめる。周りを見るが、身を隠せそうな場所も、武器になりそうなものもない。足音はどんどん近づいてくる。必死で止めている息が苦しい。飯島はどうすることもできずに、目を閉じた。
ガチャリ
頭のすぐ上で、鍵を開ける音がした。続けてドアが開き、閉まる音。
何者かは、2階に入っていったようだ。
深く息を吐く。が、安心したのも束の間、再び頭上でドアが開く。とっさに身構える間もなく、今度は足音が上に向かって遠ざかっていった。
2つ、わかったことがある。
1つは侵入者は建物の鍵を持っていること。そしてもう1つは、侵入者は家探しでもするようにオフィスを動き回っていること。探しているのは、モノなのか、人なのか――。
ふと自分のデスク周りを思い出して、頭を抱えた。闖入者が、煌々と明かりがついた6階のオフィスと、電源の入った飯島のパソコンを見たらどう思うだろうか。途端に、先ほど聞こえた物音が、自分を探し回る恐怖の足音に変わったように思えた。
恐怖と寒さで、歯の根が合わない。侵入者と対峙することは恐ろしい。しかしこのまま外にいるにも、肉体的な限界が近い。
すべきことは一つしかない。どうにかして侵入者から鍵を奪い、建物内に入らなくては。
何か使えるものはないかと背広のポケットをあさる。こんな時に限って何も入っていない。持ち合わせているものは、煙草とライターだけだった。
その瞬間、飯島の頭に1つのアイデアが浮かんだ。
***
螺旋上の階段を、音を立てないよう靴下で登っていく。冷えた鉄骨に体温を奪われ、足の指先の感覚がなくなっていく。
幸い誰にも遭遇することなく、6階にたどり着いた。精いっぱい背伸びして火災報知機のカバーを外す。
これが鳴ったあとのことはわからない。しかし消防車は5分と立たずに来るはずだ。5分であれば、どうにかして侵入者から逃げることが出来るかもしれない。急いで煙草を取り出し、火をつける。
そのときだった。足元すぐ下、5階のドアが開く音がした。それとともに何者かがものすごい勢いで階段を駆け上がってくる。
飯島は、焦りで煙草を落としそうになる。何者かは、今にも飯島の目の前に現れる距離に迫っていた。
ジリリリリリリリリリリリリリリ
けたたましいサイレンの音が鳴った。同時にスプリンクラーから水が飛び散る。途端に、霧の中にいるかのように周りが見えなくなった。煙が火災報知機に届いたのだ。
突然、霧の中から、覆面を被った男が姿を現した。飯島は咄嗟に目の前にあった灰皿スタンドをつかんで振り回す。灰皿スタンドから確かな手ごたえが飯島の両腕に伝わった。短い悲鳴と共に、何者かが倒れたのがわかった。
だがその刹那、背後で6階のオフィスに通じるドアが開く音がした。振り返ると、覆面の男が姿を現した。もう一人仲間がいたのだ。飯島は、灰皿スタンドをもう一度振りかぶろうとしたが、相手の方が一歩早かった。男は手に持っていた金属バットで飯島の腕を強く叩いた。思わず、灰皿スタンドを落としてしまう。
飯島に致命的な一撃を浴びせようと、男がバットを振りかぶる。
もうだめか。
飯島は、運命を点にゆだねて目をつむった。
だがいつまでたっても、予想していた衝撃は訪れなかった。恐る恐る目を開けた。男の背後に大きな影が見えた。
スプリンクラーが作動し終わり、徐々に視界がはっきりしてくる。
霧が晴れたとき飯島の目に映っていたのは、金属バットごと覆面の男を羽交い絞めにする中野の姿だった。
***
「飯島さん、危ないところでしたね」
そう言って笑ってみせる中野は、頭から血を流していたが、無事だった。元ラガーマンの胆力には敬服せざるを得ない。
中野と飯島はネクタイを使って、覆面の男2人の両手を階段の手すりに縛り付けた。男たちは抵抗したが、中野の前にはなすすべがなかった。そのまま中野は、2人の覆面を取ろうとする。
「やめろ!」
中野が驚いたように振り向く。
言ったのは、覆面の男たちではなく、飯島だった。
気付いたのは、スプリンクラーの作り出した霧の中でだろうか。いや、もしくは、もっと前、オフィスに侵入者がいると分かったその瞬間にだろうか。飯島には、男2人が何者であるか、すでにわかっていた。
中野が飯島を無視して、2人の覆面を外す。
村井と田島。飯島にとって見慣れた部下2人の顔がそこに並んでいた。
「お前ら、どうしてこんなことを…」
中野が弱弱しく言う。その声は明らかに動揺していた。飯島は懇願するように2人の目を交互に見る。頼む、何も言うな、というメッセージを込めて。
「俺たちじゃなくて、そこにいる飯島部長に聞いてくださいよ」
村井が仏頂面で答える。続けて田島が観念したように口を開く。
「俺たちは、内部告発のための証拠を取りに来たんです」
飯島は、心臓に針を突き立てられるような痛みを覚えた。
「飯島部長がやってる”粉飾”のね」
中野が混乱した表情を飯島に向けた。飯島は何も答えられない。
「おかしいと思ってたんですよ。なんで飯島部長が毎日こんな遅くまで残ってるのか」
「俺たちに見せられない"作業"があったんですよね」
「そうか、あの脅迫状もお前たちか…」
飯島がつぶやくと、村井が首を縦に振る。
「あれを貼っても警察に届けなかった時点で、確信しましたよ。痛い腹を探られたくなかったってわけですね」
「飯島さん、あんた…」
中野が飯島を振り返る。その眼には疑念がありありと浮かんでいる。
「違うんだ……。社長に命令されて……。私は仕方なく……」
カネマツ商業の経営はすでに風前の灯火だった。数年前社長室に呼び出された飯島が命じられたのは、社内外を騙して、会社を延命させることだった。
言葉を探す飯島をしり目に、村井が続ける。
「発覚して会社が倒れれば路頭に迷うのは俺たち社員です。家族を守るために、黙って見てるわけにはいきませんでした」
「飯島さん、こいつらの言ってること、本当なんですか?」
中野が飯島の目を覗き込むように見つめる。既にその視線には、糾弾の色がにじんでいる。
「お、お前らはいいじゃないか。まだ若いんだ。能力もある。どこへだって転職できるだろう?だがな、私にはもうこの会社しかないんだ。ここと心中するしかないんだよ!」
焦るあまり、飯島の口をついて出てきたのは、そんな言葉だった。こんなことを言いたいのではない。とにかく、なんとかしてこの状況を切り抜けなければならない。
そうだ。2人が会社に侵入して、中野に怪我を負わせたのは事実だ。
逆上した中野が2人を殺して、反撃されて自分も死んだことにすれば――。名案だ。しかしそれには武器が必要だ。武器、武器はないか。
バットだ。金属バットがある。
「飯島さん、何を――」
床に転がった金属バットを拾おうと、飯島が床を蹴る。
しかしスプリンクラーで濡れた床はスケートリンクのように滑って、飯島の足をすくった。後ろ向きに転倒しそうになり、飯島は咄嗟に何かをつかもうと手を伸ばす。その手が空を切るのと同時に、飯島の体はらせん状の非常階段を転がり落ちていった。
***
飯島の体は、1階まで転げ落ちてようやく止まった。
遠ざかる意識の中、ようやく到着した消防車のサイレンが聞こえる。全身を鋭く突きさす痛みのなか、指の一本すら動かすことができない。
死を迎えるその瞬間まで、飯島の脳内には数秒前に自分が放った言葉が反芻していた。
「私にはもうこの会社しかないんだ。ここと心中するしかないんだよ」
(おわり)
写真:PIXABAYより(https://pixabay.com/ja/)
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