見出し画像

ねぇなんで無視するの?と言われて

だれしも、傷ついた過去があり
傷つけた過去もある人もいると思う

そして、人生で初めて出会う

親、という存在に困惑したり
自分が傷ついたり
辛い思いをしてる人もいると思う

だれもが幼少期、親に怒られたり躾されたと思う

その中で、いつからか思い込みが派生する

ーーしないと、怒られる

ーーしてないと、ハブられる

社会に適応するために自分の枠を狭めてしまう

その中で、自分のことを信じることが

困難になっていってしまうこともある

私もそのうちの一人で、かなり枠に縛られてる

本当は、世界一周しながら、桜を植えるとか
楽しそうだなぁと思ったりするすっとんきょんな発想を持ったり(今現在ふと来たやつ)

夢を見る自分を、叶えられそうにない夢を
見てしまう自分に対して、かなり軽蔑……というか許可してあげられてなかったなぁと思った

夢をみるのは、自由なはずなのに。
それを叶えられるか、叶えられないかなんて、
他人が親が予知でもなんでも分かるわけないのにね。

叶えられるのか?
現実的なのか?
それをして、どう思われるのか?
それをしたことで、傷つかないか?

いつの間にかできた、保守的な自分がいつも
私の夢の行く手を阻む。

本当に、お前なんかが出来るのか?

お前なんかにできるわけねーだろ。

書いてるだけで、ダメージくる笑
いつも、その声に屈してきた。
私の書く文は人を傷つける
私の表現は、人を傷つける
そうして、正直な自分の声殺してきた

今現在こうして、書くことのリハビリ中だ。

なんせ、平和主義なのだ

できるなら、みんな手を繋ぎみんな仲良く
みんな調和する手を取り合う世界がいい。

けど……なぜか、対立は生まれてしまう。

怒りの中にはいつもわかって欲しい!
期待がある。

この期待は他人に向くと、応えてもらえないことにより、がっかりする。
がっかりすると悲しくなる
悲しくなると、大事にしてもらえてないと思う

ああ、自分なんて。

そんな思い込みになるかもしれない。

だから分かってもらおうと人に話すのかもしれない

素直に、思ったことを話しても伝わらないこともあって

伝わらないことにもどかしさも悲しさも怒りも
色んな感情を感じるけど、
なんか他に手立てはないのかまだ探す自分もいてなんとなく、もやもや。

対立しない方法はないのかなあなんて、
考えて、さがしてみたり。
わかったら、またかこう。でわ。

#私日和 #ありふれた日常