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【夫公認】5人目 鋏という名前の人①【善行としての不貞行為】

 平日昼過ぎの池袋を、カツンカツンという靴音をさせながら聡子は歩いていた。
 10月を半ばも過ぎると陽光がさしていても肌寒い。トレンチコートのボタンを締め、スマホで待ち合わせ場所への道順を確認した。コートの中で、心臓がどくどくと音を立てている。お臍の下は痛いようなもどかしいような引きつりを訴える。不安にうめく心臓と期待に踊る臓器の相反する熱を身体にかかえ、ようやく目的地に辿り着いた。ホテルの入り口の近くに、男が一人立っていた。背丈は自動販売機と同じくらい、長く伸びた手足、金茶に輝く頭髪が彼は異郷の住人であることを示している。
女の気配に気がついた男がゆっくりと近づいてきた。聡子の前に長い影が落ちる。男の長く伸びた身体が太陽を遮っていた。

 付き合い始めて8年、入籍して3年経つ聡子と夫の間には子供もいなければ若夫婦らしい肉体的な結びつきも、もはやない。
 夫婦が共に暮らし続けれるのはよく言えば友情、打算的に言えば節約のため、悪く言えば惰性によるためだ。その惰性が限界に来た時、聡子が提案したのがお互いに配偶者以外と肉体だけの関係を持つことで、予想に反し、夫はその提案に快く同意したのだった。
 それ以来、月に一度夫は女を買い求め、聡子は回遊魚のように日本に辿り着いた異国の男たちと関係を持っている。
 今年の春から始まったこの奇妙な夫婦生活により、聡子はすでに3人の男たちと関係を持っていた。
 夫以外を知らぬままに結婚した30女が、不特定多数の男と関係を持つことは実に不道徳な話だが、聡子にとってそれは善行に他ならなかったのだ。


「こんにちは、ごきげんいかが。」
「良いです、あなたは」
「良いです、ありがとう」

 初めての英語のレッスンで交わすような言葉の後、タッチパネルを使いチェックインを行った。
 ホテルの予約は聡子の名前で取ってある。名前を入力するときは素早く終わらせるようにしている。しかし男の手は聡子の左肩に置かれていた。男が30㎝の身長差を利用して画面を覗き込んでいることは想像できた。
 異邦人といえども、休暇や仕事で日本を訪れる男たちが日本語に暗いことは稀だ。彼らにとって会話や漢字の読み取りは非常に難解だとしても、ひらがなやカタカナなら認識できる。   ABCが言えるようになった日本人はappleをアップルと発音をすることはできないのに、あいうえおを習えば「あさださとこ」を正しく口に出せてしまう。
 初めて関係を持った男、今日の男と同じくドイツ人だった、がエレベーターに乗るなり
「なぜ偽名を使った。どっちが本当の名前だ」
と聡子の顎を掴み迫った時に感じた恐怖を、聡子は忘れてはいない。

 1004号室は改装されたばかりなのか、ユニットバスも備え付けのテレビも最新型で、清潔感のある部屋だった。
 コートをハンガーにかけ、「歯磨きをしても良い?」と言って浴室に入った。シャワーを浴びる前に迫られた場合に備え、下着を変えておきたかったのだ。
 聡子が部屋に戻った時、男は靴とジーンズを脱いでベッドに座っていた。白くまっすぐな脚に目が釘付けになる。聡子が近寄ると、男の頭が彼女の肩ほどの位置になる。頬に手を添えるとざらざらとしていた。青とも灰色とも言えない双眸の迫力にたじろぎ、誤魔化すように髪の毛を撫でた。
 「おいで」
 一瞬の衝撃ののち、聡子の背中に柔らかなベッドの感触があった。天井を映していた視界はすぐに男によって塞がれた。顔を齧られるような感触がして、キスをされていること気がついた。男の背中に手を回そうとしたが、彼女の腕は精一杯伸ばしても肩までしか届かなかった。



つづきます。きょうはここまで。 



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