【パートナーシップ】マインドというものの真髄 想いつれづれ 日刊サワコ 瓦版
■ パートナーシップマインドというものの真髄 想いつれづれ 日刊サワコ 瓦版
人は死をもって無言のメッセージで残された人にたくさんの想いを齎してくれる。。亡き志、無念の想い、生きた魂その燃やし続けた炎を🔥命終えても絶やさぬように想いというエネルギーを受け継ぐのは、残された人にしか出来ないこと。。人は死して見習いなさいというメッセージを、無言に最後にこの世に置いていってくれて、まさにそれが死に様。。死に様とは、まさに、生き様の集大成かなと感じています。
形骸的に制度の中にある立場がゆえに責任だけを果たす生き方よりも、真に自分を信じて邁進した生き方によって結ばれた今生の繋がりは、我田引水的な自分達にだけの好都合思考の損得勘定など下世話な感覚では計り知れずに。。自分の事だけを信じて愛してくれる人、そんな人だけを求める心はコンプレックスの愛着障害の名残り、そんな心の人間で自らいられることが、真の余裕を感じさせるオトナマインドかなと。。どどのつまりは、求め合いではなく、与え合い。。それが、真の愛と調和の姿だから。自分自身を信じあった結果として齎されたパートナーシップマインドかなと💕
必要と必要の交換は取引、取引とは、金の切れ目は縁の切れ目、縁の切れ目も縁の切れ目、、。損得勘定の前提条件無くして成り立たないのは、条件付の偽りの愛が醸成します。。無自覚に。お取引先より、もっと大切な愛で結ばれた関係は、ご贔屓先です。一生の好待遇です。人を一生の好待遇を見返りなく出来ている人だけが、一生の好待遇の浮き目に遭うだけです。これが、日本が欧米ビジネスマインドに毒されるより以前から、大切にしてきた商マインドです。。とはいえ、士農工商、商とは、江戸時代まで最下位の身分でしかありませんでした。。士は精神造り、農は身体造り、工は物造り、商は金造りだからでしょうか。動機付けが。歴史に育む、日本人が大切にして来た身分の序列の意味かなと感じています。
日本が誇る愉快人たる偉人、福澤諭吉先生(実態は、アヘン売買、人身売買、遊郭売春婦気狂い)の、天は人の 上に人を造らず人の下に人を造らずを、私は、常に小脇に抱えて生きていますw人に上下なく、役割にしかない上下感を、人間にまで持ち込む企業精神に魂奪われた人の哀しいサガよと、、笑ってしまうだけですねwお取引先よりご贔屓先を大切にする方が、私は好きです。世の中すべて、人間の依怙贔屓で創られています。不満をはいてもご贔屓されることはありません。不満を吐くという人間性を下げる行いをして、ますます人から見放されていくだけです。美人と美人でない人が、この世に存在している限り、依怙贔屓はなくなりませんw人間のサガです。
真のパートナーシップとは、自分を依怙贔屓してくれる人を求めるのではなく、依怙贔屓し続ける人を永遠に持つということです。依怙贔屓心で人に与え続けることです。与えた見返りを求めるのは、愛ではなく取引です。期間限定親切君の哀れな性分の真髄です。与えられる喜びから、与える歓びを実態感し与え続けられる人に、一生の契りが齎されるのです。死ぬまで一緒に死んでも一緒に、裏切りという言葉が辞書にない関係。。形骸的、形式的契約の継続ではなく、真の関係性の契りは、ヤクザなものよ、のようなことです。
親友関係、肉親の信頼感、無二の友、ご贔屓先、真の伴侶、ビジネスパートナー、ライフパートナー、自分の我欲の成就のためのもの扱いの人間ではありません。大切に重宝して、尊重して人を生かすことです。自分を生かしてくれた上司が一生の恩人になります。自分を生かしてくれた親も一生の恩人です。自分を育ててくれた恩師は、一生頭があがりません。一生頭があがらない人がいる人は幸せです。一生頭があがりませんと恩を感じる人に、人は依怙贔屓してくれた恩を返す生き物だからです。
孝行、恩に報い、恩は遠いところから返せよと人は言います。人類への孝行、人類への報い、地球人として地球から与えて貰う恩恵、自然の恵みに感謝して、感謝を形にして生業にする。価値を人に与える仕事、そんな感覚で結ばれた人が、公私問わずの伴侶関係、パートナーシップの絆かなと感じています。
お金💴は人が生かすもの、お金に魂奪われては、お金のしもべ、人間失格 太宰治ですwお金も感情も、人が信じてやまない単なるエネルギーでしかないからです。
お金の切れ目が縁の切れ目ではなく、お金の切れ目が縁の深まりなる人が、真のパートナーです。見誤らないように、お金のメクラにならないように、心眼を開眼しましょう。損得勘定で自分をはかり、損得勘定で世の中を観ている人は、心眼が曇っています。公私の割り切り、分断を心に齎さします。人間をあげる公私のわきまえではなく、公私の分断は人間をさげていきます。私は、幸福勘定、愉快勘定で生きる方が、豊かさに繋がっています。私も周りも幸せかな?私も周りも愉快かな?だけです。違和感は、神様からの贈り物。。自分の中に調和というエネルギーで満たすためにです。
自分の心の調和とは、自分や他者への不信感を手放すことです。自分への不信感が他者への不信感を生みます。自分に真の自信が足りないからです。自信を自己顕示欲やプライドと見誤っているからです。不信感から人を裏切るのは、自分を裏切っているに他なりません。人のせいにして自己慰めして内心の正当化を繰り返す癖です。とどのつまりは、自分の不信感や自信のなさを棚に上げてです。何も解決しません。心に孤独感が醸成され、たくさんの人と一緒に居ないではダメと乱痴気騒ぎをするのです。単なる現実逃避です。また1人に返って孤独感。。。満たされない自分の輪廻転生を今生で繰り返しているだけですw
自分を満たすのは、自分自身にしかできないと悟りましょ〜。人に自分を満たして貰うようにと求める人が、人から与えられるのは得の恩返しくらいです。自分自身を満たして、信じきった平常心が存在として愛おしさを感じるのです。何してくれなくてもいいから、そばに生きていてくれたら良い、それが真の愛、親心のエネルギーです。親友のエネルギーです。
出来ることをやらない。見守る。相手を出来た人間にしていく。真の関係性、リレーションシップは、親愛のエネルギーの上に成り立つものです。人生も生業も仕事もすべて、人間としての営みは、、、。そう信じて生きて来ました。そう信じて生きて行く気がしています。私はね。例外的日本人でも、日本でははみ出しても、地球人の🌏周波数からは、ずれていない気がします。
日本暮らしより、地球暮らしが幸せで愉快です。すべては、これまでの人生で出会った人が、教師となり反面教師となり教えてくれたことです。出逢う人すべてが師なりは本当でしたとさ。自分の中の本質が現象化されるのが人生です。現象を後追いしても自分の本質は観えてきません。胸に手をあてて、自分の声なき声に耳を澄まして、声なき声を聴きいれて、心聴することかなと感じます。孤独感は、自分の有難い親友なのですから。
今日も一日、はつらつと張り切って生きましょう。お元気で。ご機嫌よう。さよなら。また逢う日までw😆😎😬
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