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想いつれづれ、日刊 サワコ瓦版 無償の愛は、無料の愛とは違うってことについて、、、

無償と無料の違いとは?モヤモヤして言葉にならない。。愛は無料と潜在意識で捉えている人には、落胆し、自分の期待値の憶測の見誤り感を感じる。。その原因は、言葉と態度の違いの見極め感に終始する。まだ、自分は甘いなぁと。。無償の愛には、賛美賞賛を感じる。。言葉には、なりにくいものの、自分の心の反応が違うのだから、違うものだろうと憶測はつく。。

愛は無料と、無意識、潜在意識で捉えている人は、無料のサービス、相手の意思に関係なく、無料であることを期待していて、時にそれを求めてくる。いわゆるフリーライダー的生き方をしている。チャリティとか、宗教的背景があることが多いけど、私は、相手の意思を尊重しないとするら、至極ナンセンスにうつる。。良いことやってる俺ってすごいとナルシスト感と自己顕示欲に浸っている。。

無料ボランティアの強要は、相手の動機付けを無視しているから。。奉仕とは、無料奉仕、有料奉仕があって良いと思う。自発的な意思が尊重されることは、人として基本の手習いと心のエチケットと感じます。動機の繊細な色合いを見定めることも、心の感度が高いかなと。。まさに、意思を尊重することが、人を生かすこと。

価値観を押し付けるのは、至極ナンセンスだから。

お金の💰話ではなく、人の意思の尊重、、意について、私は、一番大切に取り扱いたいと捉えているから。尊重し合える関係を築けることは、尊敬に値するかの大切な見極めで。。無言でも、不快感や無視みたいな態度を振りまくのは、ある意味、稚拙で幼稚な人格だから。結果的に相容れない。。

こういうことに、まだ、遭遇するのは、私の自分自身の見極めが甘いのだなと。当事者意識を持てないもの、親切の安売り、無料の親切だけを期待している魂胆には、共感し得ないとかなと。。フリーライダー。。だからといって、お金を払えば良いかというのも違う。。お金ではなく、あくまで意思の話。。人間性のことなので。人としてのサガ、の、見極め。

さて、無償の愛情とは?そもそも、償いとは?罪の償いとは?損害賠償と言うお金の話というより、能動的な自発的な埋め合わせの心、を意図しているのかと感じます。反省とは、自発的、能動的意思に基づかないと意味をなさないから。。求められて、謝る気もないのに、口先だけの謝罪に意味がないのと同じで。。自発能動的に動機付けられているか?自他共に、の視点は、とても、私は、重要視している。。それが、人を突き動かすエネルギーだからです。人になんといわれようとやる、その源泉は、自発能動的な動機からしか生み出されないのです。。

その償いが無いとは、どういうことなのでしょうか。。人に条件付けをしない、前提を作らない、気持ちの取引をしない、理解し信頼関係を作ることを大切にする。自分の価値観を押し付けずに、人の話を聞く、、。何があっても、主体性を持って受け止める。。そんなことかなと。。無償の愛情を与えられるに相応しいか、そんな関係を構築してきたか、の部分は、大切で、愛情は与え合うもので、求め合うものではなく。求め合うのは、愛情ではなく、欲求、要求なのですから。

与え合いの気持ちをお互いに持てる関係なのか、求め合いに終始するのか、心の成熟度の話のような気がします。

もっと成熟したいと思えば、自分より成熟度が増している人に魅力を感じ、未熟さとは、縁遠くなる。。若さという年齢だけでなく、若いのに成熟度の高い人もいる。

人気取りに走るより、人望持ちに。
有名になることを渇望するより、人徳、陰徳を積み、、。

自分を生かして、結果としての報酬、謝礼が巡る環境に自らを置くことが一番大事です。お金になるからより、自分が生かされているか、、、お金は、目的ではなく、結果です。その結果を齎そうと協力し合う関係が、機能し合う関係かなと感じるわけ。。有機的な人の繋がり合い、友達と、仲間、同志の違いってこのあたりかなと。。

リーダーの役割は、結果として得られた報酬の分配の采配かなと。。いわゆるさじ加減。。それは、その人の価値観に、付随していて。。価値を何に観ているかが、何より大切なのです。価値観は、生き方、生き様に直結しているから。。

仲間をdisる、知り合いの悪口で盛り上がる、そんな悪趣味な価値観には、私は、嫌悪感なんです。。協力しあってこそ仲間、長短補い合ってこそ仲間。。心なきdisり合いとか、単なる顔見知りなだけ、、。フランスにも、人の悪口で盛り上がるってる日本人の群れが居たなぁって。。。フランス🇫🇷まできて、何やってんだろ、この人たち、、って観察対象としては失笑クラスに滑稽ながら、残念極り感満載な感じでしたけど。。😆自己顕示欲の見栄の張り合いとか。。そもそも、生き方がナンセンス。。時間共に生きる価値ないなと見極める。。人種というより、生き方の価値観の違いなだけ。。人間として。

笑い合って、失敗も補完し合って、楽しみ、愉しみあってこそ仲間であり友達かなと。愉快な価値観、許し合える友、自分を楽しみ、人を楽しませる余裕、歓迎歓待する心、、そんなステキなエネルギーに包みあえる環境がいい。

時空間、繋がり。人生劇場の主人公として、人の人生の助演やエキストラとして、主体性を持って、自分の人生劇場のキャスティングはします。付き合う人は、選べ。それが、自分の人格形成に直結するから。。

そんなことが新人時代の上司の教え。大統領であろうとホームレスであろうと、表面的なペルソナ社会的パッケージ次第で自分の態度が変わるような人間ではありたくない。。自分自身の人間性を保つ、常に、生身の人と人として接していきたい。これからも、これまでも。。自分自身は、どんな人間でありたいのか、、。誰に何といわれようとも。。それが、今回の人生の心の羅針盤な気がします。

#日刊サワコ瓦版

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