想いつれづれ 日刊サワコ瓦版 受けた恩情・計らいへの挨拶という仁義の斬り方。。
ご縁への仁義、計らいへの仁義、受けた恩の感謝をきちんと返す、これが挨拶という礼儀。これがないとその恩恵が再び巡ることはなく。。自分の目先の利益に感謝して終わるだけだから。。身につけるとは、無意識、自動操縦で出来るようになるまで、その型をカラダに刻み込むしか方法はありません。やりたいやりたい人より、やっちゃった人が見込みがあるのは当たり前です。言動より態度がすべてだからです。
挨拶がきちんと出来ている、人の道理に弁えがあるか、これは、こんな自発的な挨拶な仕方で、お育ちは感じて、通じて、わかられてしまうのです。厳しい躾、すなわち、身の美しい生き方は、取り繕っても、身の程は心の発令として、立ち振る舞いに染み出すのです。お育ちと家柄に相関関係があるようでない事もあるように、お育ちは偏差値や学歴、社歴とか名刺の記載事項ではありません。人となり、人と在り、人の在り方そのものなのです。。
どんなに家柄が良くとも、本人のお育ちが良くない人も居ます。家柄に関係なく、早くオトナの階段上がったような育ちを経験して、素晴らしい人格や人間性という立ち振る舞いを身につけている人もいます。人間を見極めるのは、言動と態度の差分です。自分の出した言葉に、どれだけ誠実に、自分が真実の人生を生きているかなのです。
自分自身の自分自身への誠実さ、それが周りに染み出しているから、だけなのです。口ばかりで態度でやらない人。それは、自分で自分に嘘をついて生きて来たのです。生き方の癖です。中身の薄い一見だけの薄っぺらい人間です。周りにも同じです。自分へ嘘をつく人の信頼、信用の蓄積は、中に貯まっていないのです。それが、まさに、目に見えないけど、感じることのできる徳です。それを見栄に表明したら、無粋、元の木阿弥、即消滅します。陰徳が表沙汰にさせられたからです。人気があっても人徳の無い人もいます。薄情な人は薄幸です。厚情な人は、福が巡ってきます。
人の心に通じているか、匠であるか、言葉ではなく、すべて自発的な態度、立ち振る舞いに、隠しても染み出しているのです。嘘偽りなき、本性だからです。本質、本性は、隠せない性質なのです。消滅、反応に溢れ出すからです。観て居れば、限りなく100パーセントに近く、起こる現象です。。
計らいに計らいで、恩情を返す、それがなせる最低限の人としての弁えです。当たり前に身についていることは、こうして言葉にするのも野暮ながら。。人の道筋、人のコトワリに精通している。人の繋がりのお導きに、感謝を巡らすことの手習いから。
武士の心得、仁義の切り方、人の道理に精通すること、、これは、カラダに刻み込まれた騎士道精神、ノブリシュオブリージェであり、人の心に触れることでもあり、挨拶の手習い10代から20代のオトナ見習いの、当たり前の心得なのですよね😅😅私には。。
口ばっかピープル、ビッグマウスパーソンは、自己正当化という自慰と、言い訳で自分の人生を埋め尽くして、自分の心に偽りの自分を生きて来たのです。自分に不誠実に生きて来たのです。気づいて心の癖を改めない限り、偽りの人生は続きます。真実の人生を生きるとは、自分の言動を実行、実現するだけ。信念の具現化、それだけです。自分が自分に誠実であること、それだけです。
地球のどこに行っても、武士や貴族のこの心得を持ち得た人は、世界共通で同じです。身分というより心得ているかいないかそれだけなのです。。身分の貴賎というより、心得の貴賎。貴い心得か、賤しい心得かなだけです。心得ている人同士は通じ合える暗号のような、身についているか否かのプロトコル。
これが、真の意味での身についたお育ちの、人の価値の値踏みです。心得ていない人も心得た人からは、気づかずに悟られているのです。人の心に弁えと恩義、関係への仁義。。言葉で説明しても、言葉を読んでわかったつもりでも、身についていないと、心の衝動で発動しないから、わかったつもりは、出来ないのと同義なのです。これが、本質であり真髄です。みなさん、今日もご機嫌麗しゅうー、達者でねー。😆🥰
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