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2024.11.7(部屋の片づけ)

片付けや掃除の閾値(いきち)

 閾値ってのはデジタル大辞泉によれば

  1. ある反応を起こさせる、最低の刺激量。しきいち。

  1. 生体感覚興奮を生じさせるために必要刺激の最小値。しきいち。

なのだそうな。私は諸般の事情により閾値という言葉には馴染みがあり過ぎて、いきなりタイトルに閾値と書いてしまったものの、あれ、これどこまで一般的な言葉なのかわかんないや、と思って慌ててコピペした。

 要は自分の環境がどの程度片付いていたり、どの程度掃除がされているかの許容範囲は人それぞれって話である。ちなみに片付けと掃除は違う。前者は整理整頓を指し、後者は汚れの除去を指すからだ。ちなみに人間の完成というのは不思議なもので、埃は無理だけど散らかってるのはOKな人,またその逆の人もいる。

 私はどうかというと、どちらもそこそこ閾値が低い(≒我慢できる度合いは低い)ものの、潔癖というわけでもない、という類の人間なので、部屋は「そこそこ綺麗に片付いている」が、「ホテルのような部屋」には決してならない、そんな感じの部屋に暮らしている。

 片付けや掃除の閾値ってのは低い方が綺麗な部屋を維持せざるを得ないので、一見低い方がいいような気もするが、人生片付けや掃除よりも優先した方がいい事が山積みになっていることもあるわけで、そんな時には閾値が高くて多少の惨状には目を瞑れる人は強いと思う。その時は我慢して、後で頑張って片付け・掃除をすればいいのだから。

 しかし私の場合、多少は我慢できても部屋がとっ散らかって、床の髪の毛が目に付くようになると精神衛生状態がどんどん悪くなっていく。しかも絶望的に運動神経がないので、床に物があると高確率で踏む。安全上の理由からもそこそこ片付けておかねばならない。

 こういうタイプの人間は、溜めないうちに片づけと掃除をちょっとすれば生活が回るような仕組みづくり(例:物を減らす)をするのが一番なのであるが、私はその仕組みづくりに関してはまだまだ課題が残っている。惨状を繰り広げない程度までに誤魔化しながら生活していても、ちょっとの積み重ねで部屋がほんのり荒れると、あああああああああああああああとなっていく。これは散らかり具合だけが酷い時と、散らかり具合はそこそこ、でも掃除具合もそこそこ、みたいに総合得点で私の脳みそは判断しているようだ。今日は全体的な総合得点で閾値に到達した日だった。

自分の動かし方

 でも今日は仕事の疲れがちょいと溜まっていて、ぶっちゃけいつもより早めの時間から眠気が来ていた。とはいえ明日の午前中の予定を考えると明朝そこまで家事を頑張れそうな気はしない。困った私は自分なりのライフハックの1つである「この家事やったら寝てもいいよ作戦」に乗り出すことにした。その時の状況次第で「この家事」の範疇は変えるのだけど、人間は一度手をつけると思いの外進めることができるように出来ているので、今日は「ごみ捨てしたら寝てもいいよ」から始まって、あれよあれよという間に部屋が及第点まで整った。

 その時の疲れ具合や、明日の状況などで取る戦略のレパートリーは広げておいた方がいいよね、とか、先述した仕組みづくりをもっと推進したいよね、とは思うことは色々あるのだけど、今日はここまで整ったしもう寝よう、でもなんかこの思考を書いておきたいな、ということでこんな下らない記事に1400字も費やしているのである。

 家事は効率的に回せるようになりたいよね…おやすみなさい。

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