忍びの教え④ 老いてこそますますその真価を発揮する
老いるということにどのようなイメージかな?きっとあまり良いイメージを持つ人は少ないんじゃないかな?
老いる、というと力を失っていくイメージよね。体力が衰えたり、体に不調や持病を持ったり、精神的にも追い込まれたりと現代の社会においては負のイメージがつきまとうじゃないかな?
逆に、若いということが何事にも優位性があって老いた人たちから見れば、憧れのような想いを持っているのではないかな?あー俺も昔はよかったなーとか思ってるんじゃないだろうか?
忍びの教えは違うのね、忍びの教えは、
老いてこそますますその真価を発揮する
人生50年と言われていた時代、40過ぎであればもう熟練に達していると思われても仕方がない年齢であっても上忍(50以上)からみれば小僧扱いをされてきた。老いることが是とされ、若いことが否されてきたのね。
忍びの最優先事項は敵の懐に入って情報を集めることだったの。だから、できる限り人にまぎれること、うまくまぎれることができる忍びが評価を受けてきた。(ちなみに、「木葉隠れの術」は町の中でひらひらと木葉のように人にまぎれる、という術。木葉をぱさーっとやって敵の目をくらませる術ではない)
たしかにそうで、老いていたほうが、敵も油断するし心も許しやすくなる。このおじいちゃんが敵のスパイだなんて決して思わなかっただろうしね。老いたほうが経験豊富になるし、その経験を生かして敵の情報を取ってくるもんだから重宝されたってわけ。
もうひとつ、いろいろな面で人は老いていくが、老いていくことを認めて、その局面局面で身のこなしかたを変えていけばいいだけ、というのも教えなのね。
現代社会においては、若さが絶対でそこを基準にして老いた自分ができてない、昔はできていたことができなくなったと嘆く人も多いと思う。
忍びの世界では、老いてできなくなることは仕方のないことで、その分今ある力(主に経験)を生かした身のこなし方を習得すべしとある。
ぼくがなぜこういうことを書いたかというと、今の日本社会で40以降の年代でハツラツと愉快に暮らしてる人が少なすぎる!みな、自分の行く末を心配して、人生をあきらめて、何か事を起こせばいいのに、それすらもしない、かといって勉強もしない。今の自分に満足していないのなら、満足するための行動をおこせばいいだけなのにそれもしない。酒を飲んでは会社の愚痴ばかり。
こんな年上の上司とかいても、若い人たちは夢も希望も持てないよね!かわいそうになっちゃう。そんなんじゃ楽しい社会になんて絶対になりっこない!
ってことでね、老いることを嘆いている人がいれば、それは今すぐやめて、自分のやりたいこと、やりたかったことを今すぐに始めましょ!それが遅いなんてことは絶対にないから!
若い人たちに希望を持ってもらえるような社会にしましょ!
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