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じゃがりん的「先生」の話

私の「教育観」について書きますが、結構偏りました。いつも通りですか、そうですか。写真は、教育実習の時に生徒がくれたイラストです。星空凛ちゃんと私。

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「学校の先生」というイメージはどのようなものですか?パッと浮かんだものが良いイメージなら嬉しいです。でも「先生」という単語だけで「あぁ、嫌な先生がいたなぁ…」と思われたなら、それくらい、先生というものは影響力があるもんなんだなぁ…と再認識してしまいます。

話題になっている例の事件。思うことはたくさんあるけれど、あんまり書いてません。理由は一つ、本当に腹が立つから。見たくもない。何が「いじめ」やねん、あれは普通に事件やで?おかしいと思わないならこんな社会が腐ってる。


私の現在働いている学校についてですが。公立ではありません。私立の特殊な学校で、様々な事情をもった生徒が多く入学します。例えば、不登校・引きこもりだったとか、親の虐待から逃げて施設で暮らしているとか、それこそいじめがきっかけで引っ越してきたとか。

そんな生徒が、「ここでなんとか頑張ろう…!」と思って入学し、学校生活を通じて「できること」を増やす、お手伝いをしているわけです。

生徒の特徴としては、「先生」に不信感を抱いている生徒が多すぎる。でもそれはそう、公立の中学校じゃできることが限られる。中学の先生も本当に大変だと思うよ。義務教育は見捨てることができないから。でも、すくい上げる余裕も、時間も、環境もない。だから、「自分のことをなにもわかってくれない」「考えてくれない」「先生なんて」って思っているのよね。でも、学校になに望んでんねん!自分で生きていくのが社会やぞ!!と伝えられないし、生きていく力なんて今の義務教育では教えられないから。ここがもやもやポイント。

「私立」の「高校」の強いところは、見捨てることができる。失礼な言い方だけどね。合わなかったらやめて違うところにいけるのよ。変化に対応するのが苦手だし、やめるってかなり勇気がいるからあんまりしたがる家庭はないけどね。そして「単位がでなかったら留年」「休み過ぎたら進級できないから学校においで」と言える。ある程度ラインがはっきりしてるから、生徒もなんやかんや来る。来れなくてやめる生徒はたくさんいるよ。悲しいけどね。何人進路変更や退学したんやろ。最初は結構病んだな。

でも、これに関しては。「本人にとって一番良い選択を」と考えるとすごく楽で。そりゃ未成年だから、親の意見も多少は聞くんだけれど。お金の問題も含めてね。私的意見としては、しんどくてしんどくてしかたのない、教室や学校やそういう環境からは逃げて良いと思っている。逃げ方は考えないといけないけれど、「手段」じゃん。結局それで100点の未来が待っているかなんて、どんな人間もわからないよ。でもその時の自分がしんどいと思っていて、どうしても足が向かないなら変化させたら良いじゃない、と思っている。

さぁ、ここからは、私が他の教員に対して思っていることを書くよ。私が信用できる先生の周りには、常に生徒がいる。実際に、合う生徒と合わない生徒はもちろんいて、クラスの生徒には「悩みとか相談とか、周囲の頼れる大人にしたらいいよ。それが私だと嬉しいけれど、あなたに合った先生、一番信用できる先生がいるのであれば、その人に頼ってみてね。それでなにか違うかったらまた探したら良いし。」と言っています。これは教員間の分担だから。合った生徒にあった環境を。まあ、私がうまくやりすぎていろんな生徒の思いを受け止め過ぎちゃってる。でもそれがしんどいわけではない。頼られるのが好きなのよね、ちょろいから。

とあるアンケートで、担任の良いところを探しましょうという問題を出したら。「公平にみてくれて、意見をはっきりと言ってくれる」「ちょっと変だけど、好きなものを好きと言える強さがある」って書いてくれてて。普通に涙出たね。この子たちはみてくれてるんだなぁ、半年接してきてよかったなぁと思いました。

「生徒だから」って、下に見ている先生が多すぎるから教育現場がよくならないと思っていて。たしかに授業中は「教える側」と「教えられる側」なの。でも休憩時間の指図までするの?ルールとマナー守ってたらいいじゃん。私が1番、世の中の「先生」のこと嫌いかもしれない。みんな人間で個人やから。この子たちも、いろんな思いや経験をしてきながら生きてきてて。壮絶なことも、楽しかったことも、しんどかったことも。なんなら私よりも濃い経験をしてるかもしれへん。自分ら学生の時、先生に対してどう思ってたん……と聞いてやりたい。

学生時代の私は大体の先生のことを尊敬していたけれど、「あぁ、この人は見てくれてるな」っていうのと、「この人は私のことどうでもいいと思っているな」で2タイプだったかな。むちゃくちゃ嫌いな人ってのもいたけど、レールに乗って、反抗しなければ何にも言われなかったから。こんな生活、早く終われって思っていた人間は、先生のことは特になんとも思っていなかったわけです。

「部活を頑張っていた人」とか「恩師レベルに好きな先生がいた人」の話をぜひ聞きたい。むちゃくちゃ。教えてほしい。出会えたことで人生変わったとか、本当に羨ましい。

「先生」も人間やから、心を壊しちゃう人もいるし、生徒からの何かに耐えられなくなる人もいる。それは信頼関係でしょ、って思うけど難しいよね。先生も気楽に過ごせる学校、というものができたらいいなぁ。教えられることがあって教えたい人が教える。教わりたい人が教わりにくる。昔はシンプルなはずだったのにね。どんどんめんどくさくなってきてるね。大変だぁ。

私の中の極論は「学校行かんでも生きていけたらいいやん」なんやけど。今の社会は学校に通わないことが悪、だからね。学校にちゃんと通えて、ある程度のことが我慢できた人が会社も社会も作ってるし。そりゃレールに乗れない人はしんどいよ。

選択肢に「死ぬ」を入れてしまう子供が多いことに関してはなんとも言えない。私は死は負けだと思ってるから。そこは勝手な負けず嫌い。言葉としても1番嫌い。この言葉だけはむちゃくちゃ怒る。「死ねだけは絶対言うな、ゲームでも聞きたくないんじゃ。口癖?軽く出るだけで普段から言ってるのと一緒やんけ、1番嫌い、2度と言わんといて」って。私に向けてじゃなくても、聞こえるだけで嫌。こうやって文字にすると結構自分勝手な教え方をしてるもんやな、反省。

私の科目は理科、専門が生物。でも1番教えたいことはなんですか?って言われたらなんなんだろう。私のことを好いてくれる生徒と話しているときが1番幸せ。「この子たちのしんどいこと、悩んでることを拭いたいです」が答えなんだろうけど。それができるのって本当に学校なんだろうか。「しんどいこともあるけど、一緒に生きて行こうね」とは思っている。生き方、考え方、楽に生きてほしい、こんなにしんどいもん、生きるの。

私は不登校にもならなかったし、なれなかった。いじめられたことはあるけど、いじめを受けたことがない人もいる。いろんな状況がある中生きているから、それを尊重しながら、過ごせたらいいのにね。ただ場所の名前が「学校」ってだけだった、のにね。

生物、生き物、ナマモノ、私の人生はこれと関わらないことは無理だから。これからも悩み続けるんだろうけど。世の中の人はこんなに悩まないし気にしないのかな、と思うとぜひその方法を教えてほしい。私もまだまだ「生徒」でいたいのかもしれないね。

じゃがりん「先生」がいつまで続くかわかんないけれど。教えるのも励ますのも寄り添うのも手を差し伸べるのも好きなので。これが好きなうちはなんとか、なりそうかな。これからもじゃがりん先生のご活躍にご期待ください!

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じゃがりんP
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