何者かにならなくても生きていけないかなー、というナマケロのぼやき
自分を「こういう人間だ」って押し出すのがあんまり得意でない。
会社や組織で出世をすることには当然のように意味を見出せないんだよなぁ。
だったら、フリーランスとかネットビジネスでもやる?
そうなると、一芸に秀でるとか、何かのスペシャリストとか専門家とか、何かしら突き抜けて、その他大勢とは差別化された人間であらねばならないって思っちゃうのは、私の偏見か?
まあ、いずれにせよ、何らかの凄い人になるのが成功みたいな、そういう風潮があるように思います(自分の中だけの思い込みかもしれないけど。)し、
そうやって自分の強みとか他より秀でたところをアピールするから、需要とマッチできてマネタイズ成功ってなってくのかな。
そして、金銭面以外でも、そうやって自分の能力を、他人に必要とされることで自己承認欲求や自己実現欲求を満たせて、「幸せな人生」と感じられるのかな。
社会の役に立ちたいとか意味のあることをしたいって気持ちはあるんだけど、人と競争したり比べたりってのが発生した途端萎える根性ナシなのでどうにも頑張れない。
自分の能力で、誰かが喜んでくれるのはすごく嬉しいし、誰かの人生がよくなる助けはしたいけども、そのために集客とかマーケティングとかブランディングが発生するともうダメ。
外にアピールってのも苦手だし、自分をこういう人間だって決めるのも苦手なんだ、たぶん。
こういう人間、と決めた途端に何か自分の選択肢が少なくなってしまうような気がするのかな…。
いや、こういう人間って自他に宣言することでそうならねば、そう在らねばってプレッシャーが生まれるのが嫌なんだな…
どこまでも責任を取りたくない野郎だな…。
生きてるだけで許してほしい。
普通に生きてて、困ってる人をみかけたら助けるし、コンビニやカフェの店員さんには愛想よくするし、ゴミをなるべく出さないとか環境に配慮した生活もするから。
健康にも気をつける。医者にかかって余計な医療費なんて使わないから。
ただ、朝日と夕陽を眺めたり、四季で移り変わる自然環境や動植物を観察して、その素晴らしさに感嘆してたい。今日一日、命があり、世界が平和であったことに感謝してたい。
結構それで満足なんだよなぁ。
中国で寝そべり族なんて流行ってたけど、今はどうなってるんだろう。
私も寝そべり族なりたい。都内で寝そべるんじゃなくて、山で寝そべりたい。
となると、やっぱ目指すところは仙人かー…。
取り止めもないぼやきですみません…!