死と向き合うことを避ける社会
死について。生まれてきた意味について。
真面目に考えたり、論じたりすることってなかなかないのでは?
自分や近しい存在がその末端に触れて初めて考える人も少なくないと思う。
「生きがいの創造」(著者:飯田史彦)という本を読む機会があったので、まだ読み途中だけどチラ裏感想
本によると、死後の世界はこんなかんじだそう。
いやいやいや、妄想猛々しいな??
という感想一旦、置いておく。
著者の飯田さんは、経済心理学者であり、カウンセラー。
自身のカウセリングの体験や海外の臨死体験の研究結果を元に本書を執筆されている。
本書を読んでいると、この内容も信憑性があるように個人的に思えた。(私が信じやすいだけ?)
とにかく、本当に受け入れるかは一旦保留し、この死後の世界観が正しいものと仮定する。
死後の世界、めっちゃいいじゃん!!むしろなんか楽しそう!
ってならない?私はなった。
死んだらすごく楽になって、会いたい人にも会えるし、次の人生も望めば与えられる。
個人的にはそれだけでかなり、心が軽くなった。
重たく考えずに、ただ今の人生を楽しむだけ楽しめばいいのかとちょっと安心。
※ただ、自殺は絶対にNGなのでそこだけは注意。
ただ、こういう話ってなんか普段タブー視されてて、自分で本でも読まなきゃ触れることはない気がする。(私の周りだけ?※家にTVない人)
臨死体験をした人の話、生まれ変わりを主張する子供の話。
研究はちゃんと進んでいて、論文も出ている。
飯田さんの著書のような本も出ている。
なんだけど、メディアはあんまり取り上げないし、むしろこういう少しスピった考えを白い目で見がちじゃない?
その理由を考えたところ、
世の中の多くの高額商品・サービスは「死や老いという恐怖に対抗するもの」だから
が大きいのかなと思った。
一般人も高額な医療費を払っても延命治療を望むし、アンチエイジングと言って高価な化粧品やサプリを購入する。
世界の富豪は、核シェルターや宇宙移住、コールドスリープの研究に本気で投資する。
人間、希望への切符よりも恐怖の回避にコストを払う。
死や老いが恐怖でなくなったら?
死や老いを、忌避すべき絶望ではなく、いつかは訪れる魂の小休止として受け入れることができるなら?
もっと人生を楽しむことに、お金も時間も気力も使えるんじゃないかな。
それじゃ商売上がったりな一部の利権が、そういう考え方をして欲しくなくて、あんまり大っぴらにならないのかなー
なんてちょっと陰謀論(?)めいたことを考えてみた。
ただ、陰謀論だとかスピだとかは関係なく
死について考えること、知ることというのは本当に大事だと思う。
あとどのくらい生きられるのか。
それまでに大事な人と何回会えるのか。
もし、1ヶ月後に死んでしまうとしたらやり残しはないか。誰かに伝えたい気持ちはないか。
死んだらどうなるのか。
自分が生きる意味とは。
ぶっちゃけ、深く考えるのが怖い、向き合いたくない内容。
けど、向き合わないと漠然とした不安がふとした時に浮かんでくる。
すごく些末な例で恐縮だけど、
個人的には、明日乗らなきゃいけない電車の発車時間と自宅の出発時間をさっさと調べておくのと似てると思ってる笑
調べるのめんどくさいけど、はっきりさせておかないと前日なんとなく不安で落ち着かない。明日何時に出るんだっけーってちょいちょいふと浮かぶ。でもちょっと調べるとスッキリして、当日の朝の段取りが立つ。
めんどくさいし怖いけど、調べたり考えたりして向き合う。
電車の時刻と違って、ハッキリした正解はないけど、少しずつ知っていくこと、向き合う事に慣れることが大切だと思う。
死と向き合うと、
なんとなく生きたり、
なんなく世間やメディアが勧める商品を
必要もないのに買ったりってことが少なくなる。
と思う。
大事な自分のお金と時間は、自分の人生を輝かせるために使いたい。
なので私は、とりあえず明日の出張の電車の時間調べます。