「じゃがいも」のお寺話48 平安仏教(空海)
空海
774年:誕生
788年:平城京に入り熱心に仏教の勉強をした。受戒をして正式な僧侶になったとされるが詳細は不明。
793年:平城京での勉強に満足せずに人里を離れて山岳修行を始めたとされる。
室戸岬近くの洞窟から見た景色が空と海だけであったことより空海を名乗るようになったと伝わる。中国語をマスターしあらゆる経典を読みあさる日々を送ったとされる。
803年:当時は無名の僧侶であったが長期留学生に選ばれ最澄と同じタイミングで遣唐使として唐に向かう。中国語の勉強をし、他方面の知識の高さを買われての推薦とされる。
804年:8月10日唐に漂流。海賊と疑われ50日間待機させられる。海賊ではなく日本から仏教を学びに来た遣唐使の一団であることを明朗な文章と達筆な文字で書簡にし唐側の管理の責任者宛に送り海賊にこのような見事な書簡は書けない遣唐使であると認めてもらえたとされる。12月23日に長安へ入る。
805年:5月密教の教えを得るため恵果和尚を訪ねる。わずか半年程度の短い期間で恵果和尚から密教の全てを教わり、全てを会得しお墨付きを得る。12月15日恵果和尚が入寂。
806年:3月長安を出て日本へ向かう。帰る途中で仏教以外の土木工事などの勉強をした。8月に運良く船に乗り日本へ出航。暴風雨に遭遇して五島列島に漂着した。10月には博多に辿り着き太宰府に滞在した。
20年間の留学予定を2年で帰って来てしまった空海に対し朝廷は京都へ入ることを許さななかった。
807年:太宰府の観世音寺に滞在して京都へ入る許可が降りるのを待った。
809年:朝廷は京都へ入ることを許した。高雄山寺(神護寺)に入る。
816年:高野山に修行の場としてのお寺を作ることを朝廷に申請し認められる。
817年:高野山の寺院作りに着手する。
819年:天皇の指示で宮中に住む。文章作成能力を買われての指示と言われる。
823年:東寺を真言宗の道場として与えられる。
835年:年分度者の僧侶が3名許可され、公に宗派として真言宗が認められる。金剛峯寺が定額寺として認められる。3月21日に入定。