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【自己紹介】天城私信について

はじめに

 2024年9月、「ゲンロンSF創作講座」の第8期が始まった。私は去年の第7期から聴講コースとして参加していて、期を改めた今期からは自分で作品を出す作家コースに臨むことにした。自分の頭の中にあるものを作品として表象するのも、それを読まれてアドバイスをもらうのも今までない経験で、月並みな感想だけど、とてもためになった。
 ただ、一つだけ大きな後悔がある。
 それは、自己紹介だ。
 先日行われた初回の講義では、梗概の講評と併せて肉声での自己紹介が設けられていた。これは例年通りのプログラムで、去年も体験したことだから、コメントもいくつか用意していた。それに頭の中にいる自分は誰よりも饒舌だ。しかし、マイクをもらって喋り始めたところで、伝えたい情報を見失ってしまい、結局は辿々しいものとなった。あとからアーカイブを見返したのだが、あまりにも端的で尻切れ蜻蛉なコメントに「だからこいつは一体何者なんだ?」と自分に対して空笑いした。
 そもそも人との繋がりを作ることで重要なのは、適切な自己開示だというのに、それがうまくいっていないのは致命的すぎる。咄嗟に「友達になってください」なんて切実っぽく言い放ってしまったけど、その前に自分はこういう存在なんだと表現できていないと、相手だってどのように推し測ったりしたらいいか困らせてしまう。正直、こうした下手さは昔からのもので、自分でもいい加減なんとかしたい。そして一朝一夕でなんとかなる筈もないので余計に歯がゆい。今回の梗概の出来の至らなさよりも、そこが消化不良物として滞留している。
 ということで、このnoteもって改めて自己紹介をさせてほしい。話し言葉では伝わらなかったことを書き言葉として残しておいて、ひとまずのリベンジとして溜飲を下げたいと思う。
 これは、SF創作講座の同期・先輩の方々、また「超・SF作家育成サイト」に公開されている梗概や実作を読まれて恐縮にも当方に興味を持ったみなさんに向けて書いている。が、それにとどまらず、例えば昔からpixivでやっている二次創作名義で繋がっている方たちにも届いてくれたらとても嬉しい。

 随分と長く取り止めのない内容となってしまったがお時間をください。

プロフィール

名前:天城私信(あまぎ ししん)
出身:神奈川県西部
生年月日:平成7年10月28日
最終学歴:大学(林学※1)
職業:会社員(建設コンサルタント※2)
※1 森林にまつわることについて学ぶ学問。大学によって学科名が多岐にわたるので人に伝える際に便宜的にこう呼ぶことにしている。森林科学ともいう。
※2 建設や建築の計画・調査・設計に関わる業界。施工を承らないためいわゆる「ゼネコン」とは異なる。

普段何やってるの?

 会社員。業界は上記の通り。工事を発注する際のお金を積んだり仕様書を書いたりしている。休日は美術館にいたりサウナにいる。

沿革(小説を始めたきっかけ)

 そもそも、創作活動を始めるきっかけは、旧Twitter(現X)で先輩の同人作家さんたちが作品通じたコミュニケーションをとっているのをみて漠然とした憧れを抱いたことからだと思う。また、学生時代にバンドをやっていたこともあり、潜在的に何か作りたい欲が、もしかして今に連続する衝動の一因だったかもしれない。
 なぜ小説を書こうと思ったのはバンドと違って一人でできるからだ。自分のペースでできるのでかなり気楽だ。
 初めて書き上げた作品は、社会人一年目の時で「ラブライブ! サンシャイン!!」というコンテンツの二次創作をpixivに投稿したもので、それが今から約5年前のためキャリアはかなり浅く、実力も素人に毛が生えた程度だ(というか二次創作って経歴として言って良いものだろうか?)。

SFの遍歴・好きなSF作家

 初めてSFをSFとして認識して読んだのはウィリアム・ギブスン「ニューロマンサー」だった。高校生の時に好んで聴いていた「wintermute」というボカロPがその名前の元ネタとして知ったのがきっかけだった。当時は(というか今でも)内容の難解さに読むのに苦労したけど、とにかく鳥丸尚先生の訳文のスタイリッシュさに衝撃を受けたのは今でも鮮明に覚えている。思えば、その昔から映像作品として「マトリックス」や「電脳コイル」が好きだったので、もしかしてサイバーパンクが骨子として組み上がっていたのかもしれない。
 その他の好きなSF作家は書き出すとキリがないため抽出して以下に挙げることにする。
安部公房 伊藤計劃 円城塔 山尾悠子 飛浩隆 グレッグ・イーガン ブルース・スターリング J.G.バラード ロバート・シルヴァーバーグ オクタヴィア・E・バトラー

他に何が好きなのさ

 先ほどにも書いた通り、学生時代は(勉学そっちのけで)バンドを組んでいたので音楽が好きだ。ビンテージのジャガーにやたらめったらエフェクターをつなげているような人間だったのでいわゆる「オルタナティブ・ロック」と言われるような音楽を特に聴いている。自分で言ってあれだがコレクター気質があってよく機材を集めていたが、最近は楽器が高くなったからなかなか食指が伸ばす気にもならない。
 とりあえず以下のアーティストがお気に入りなので声をかけていただけるととても喜ぶ。
My Bloody Valentine RIDE Mice parade mum Nduduzo Makhathini downy toe School Food Punishment The Novembers ハイスイノナサ 青葉市子 やなぎなぎ 吉村弘 whoo monaca factory(10日p)

どんな小説を書きたいのか

 創作という行為を人生に関わらせるということは、スタンスがどうであれ(生業にしろ趣味の一環にしろ)自身の中になんらかのテーマが内在しているものだと思っている。たとえ抽象的で漠然としたものだとしても、それを設定することは自身が小説を書くことにおける水準点ベンチマークをおくようなことなので大切な事だと感じている。
 私の創作テーマは「アンビエント文学」や「文字としての風景」というものを掲げている。アンビエントとは「環境音楽」という意味だ。環境と
 近所を散歩してみるとしよう。ふと景色を眺めるとき、その眼差しは視覚情報として色々な要素を捉えているわけだけど、逆に無視している(せざるを得ない)要素もある。聴覚、触覚、嗅覚も同じだ──空気の振動、温度、気中を漂う化学物質。私たちは世界を内包する環境をあらゆる器官を通じて変換している。初めて何かが存在すると気がついた時、程度は人それぞれだけど、等しく驚きという感情が湧き上がるものだろう。
 私はそういった驚きを拡張させてみたい。たとえば、適当に録音したアンサンブルから想定していないような響きが聴こえたり、撮影した写真を見返したときに思わぬ情景が見えたりするような驚き。曖昧であった領域にあるものが曖昧なまま実質を伴ったような驚き。私はそういった類の驚きを小説として表現してみたいと思っている。
 これはある意味、世界と関わりを持つことだとも換言できる。いや、関わるというのはそれこそ抽象的な気がする。「世界と触れ合う」というような言い方もできるが、思考や認識と相関が不可能なものを加味すると少しニュアンスが足りない。より接近してみるとフランスの哲学者エマヌエーレ・コッチャがいうような「世界と溶け込む」という。「世界あるいは環境へと浸る」と言ってもいいのかも──と、なんとも言語化が難儀な概念だけど、むしろそのきっちり言語化させずにそこに何かがあることを認める「なあなあ」な感じを探求するのが、つまりは私が標榜する「アンビエント文学」の本質だとなんとなく思っている(その「なんとなく」というのもまた本質)。
 ちなみに前述した類の驚きを初めて感じたのは、子どもの頃、夜中の林道で一人取り残された体験からだけど、これを書くともっと長くなるのでまた別の機会にしたいと思う。

おわりに

 勢いのまま書いてしまったので想像よりも長々としたものになってしまったが、こんな感じで自己紹介を締めたいと思う。なんか、自分自身を振り返るいい機会にもなった。次はエピソードトークが小粋に話せるくらいになっていればこれ以上の成長もないだろう。夢のまた夢だけど。
 それでは、一年間よろしくお願いします。

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