「比べればマシ」はマシになっていない
よく、誰かを慰める言葉として「〜と比べればマシだよ」というものがあります。私はこの言葉があまり好きではありません。
今回のnoteでは、この「比べればマシ」という言葉について考えました。
目次
・何も解決されていない
・気持ちを比べることはできるのか?
・もちろん有効な時もある
◯何も解決されていない
私が「比べればマシ」という言葉で最も問題だと思うのは、「マシだから終了」と悩みの原因を解決せずに終了してしまうことです。
例えば、給料が少なくて貧しい生活に不安を持っている人に対して、「アフリカの貧困に比べればマシだよ」と言って終わることがあります。確かに、日本の貧困は普通の人と比べて相対的に貧しいもので、「家があって今日のご飯は食べられる」レベルであり、アフリカの「今にも餓死する恐れがある」レベルと比べれば、相当恵まれています。しかし、アフリカと比べてマシだからといって、この人が貧しい生活に不安があることを解決したわけではありません。
「比べればマシ」は、「まだ今は最低ではないから耐えられる、我慢できるよ」と、現状をそのままに、単純に耐えることを勧めているような印象があります。先の例でいうと、「給料が少なくて貧しい現状は、アフリカの貧困と比べれば最低ではないから耐えられる」という感じになります。悩みの原因をきちんと解決するならば、利用できる支援を探したり、より給料の高い仕事ができるように勉強したり、支出を見直すなど「耐える」以外の具体的な行動を取る必要があります。
◯比べている基準は誰か
「比べればマシ」の別の問題は、その言葉を言う人が自分を基準に比べていることです。
例えば、若手社員が「今の仕事は量が多くて辛い気持ちです」と言ったのに対して、先輩社員が「自分の時はもっと量が多かった。それと比べれば、今の君はずっとマシだよ」と言ったとします。先輩社員は、自分が過去に行った仕事量と今の若手社員の仕事量を比較して、「自分にとって」マシかどうかを判断しています。
しかし、若手社員は当然ですがこの先輩社員ではありません。例え先輩社員が過去に行った仕事よりも量が少なかったとしても、若手社員の基準では許容を超える量であり、辛い気持ちになっています。
このように、「比べればマシ」という言葉は相手を慰めているようで、実際には言葉を発した人を基準として判断しており、相手に寄り添っているとはいえないものではないかと思います。
◯もちろん有効な時もある
もちろんこの言葉は有効な時もあります。
悩みを持っているときは、具体的な方法を考える前にまずは気持ちを回復させる必要がある場合があります。辛い気持ちのままでは、具体的な方法を聞いてもしっかり理解することが難しいからです。気持ちを回復するうえで、現状を少しでも肯定的に捉えることが効果的です。肯定的に捉えるうえで、現状よりも辛い状況を想定して比べることは有効ですから、「比べればマシ」という言葉も役に立ちます。
また、「比べればマシ」を発言する人が慰める相手と一緒にしたり、共通している経験を持ち出せば、相手を基準として考えることができます。例えば、高校時代に同じ部活動で練習した友人から、「あの時のキツイ練習に比べれば、今の状況はマシだよ」と言われれば、自分も経験していることなので自分を基準として比較することができます。
まずは相手の気持ちを回復させたいとき、相手が自分と共通の経験をしているときならば「比べればマシ」という言葉も有効ですが、そうでないときは発言者の自己満足だけで終わってしまいます。
みなさんはどう思いますか。
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