見出し画像

資本主義をゲームに例えて考える⑥ ~ゲームにおける「学校」の役割~

 今回は、「資本主義をゲームに例えて考える」シリーズとして、このゲームにおける「学校」の役割を考えてみました。

目次
・資本主義ゲームにおける「学校」の役割
・資本主義ゲームにおける「学校」の評価
・これからの学校

○資本主義ゲームにおける「学校」の役割
 資本主義ゲームは、「人の欲望を原動力にお金を材料として競争を行い、欲望を満たすものを無限に創造していく」という資本主義の仕組みの下で行われる、「自分が自由に使えるお金をどれだけ増やせるかに挑戦する」ゲームです。
 このゲームにおいて、学校は「実際にお金を稼ぎ始める前に、『稼ぐ』以外に必要なルールを習得する」ことを役割としています。資本主義ゲームでは、お金を稼ぎ自由に使える量を増やしていくものですが、あくまでも人間社会の中で行われるものです。稼ぐ以外に、この人間社会で生活していくために必要な、「他人とのコミュニケーションの取り方」「大勢で過ごすために必要なルール」などを学びます。また、直接稼ぐことにはつながりませんが、その土台となる知識の習得と知能の向上を、「勉強」を通して身に着けることも学校の役割です。
 これらの役割を見ると、学校では資本主義ゲームのルールについては教えてくれていないことが分かります。

○資本主義ゲームにおける学校の評価
 資本主義ゲームにおいて、学校はゲームのルールではなく人間社会で生活するのに必要なことや、土台となる能力に関することを教える、少し特別な機関であることがわかりました。
 それでは、この学校自体は資本主義的な側面はないのでしょうか。私は、学校とは「お金以外の評価」を受けたいのに「お金」の評価を受けざるを得ないという、資本主義的な側面もあると考えています。
 先ほどまとめたとおり、学校の役割は直接ゲームに関わることではありません。本来の役割から考えると、学校に通った子どもたちが人間社会でうまく生活していけるのか、自身の持つ能力を向上させることができたのか、ということで評価される機関です。
 しかし、このゲームにおいて人間社会でうまく生活するには、「お金を稼いで自由に使える量を増やす」ことが必要です。お金が無いと不安から他人との関わりを持つことが難しくなりますし、逆にお金を稼げている人は人間社会のルールにうまく適合し、他の人の共感や協力を得ていると考えることができます。
 このように、資本主義ゲームで評価される人を多く輩出していることが学校の評価につながるため、例えば大学では「就職率」(お金を稼ぐ場所への到達具合)や「資格取得率」(お金を稼ぐ能力の取得具合)が評価され、高校以下は先の評価の高い大学への進学率が評価となっています。
 また、学校は給与をもらって働く人々の活動で成り立っているため、会社経営と同じく「どれだけ投入するお金が少なく、成果を大きくすることができるのか」で働く人々が評価されてしまう側面もあります。

○これからの学校
 これからの学校はどのようになっていくのか。
 資本主義ゲームにより適合していくならば、もっと明確に「稼いで自由に使えるお金を増やせる人を増やす」ことを目的とした学校に作り替えていく必要があります。実際、国では学校で生徒にお金の授業を行う「金融教育」を推進していくことを検討しています。
 また別の道としては、「あくまでも資本主義ゲームに関する教育は別で行う。ここではもっと土台となることを教育する」ことを目的として、お金以外の面で評価してもらえる学校を作っていくという方法もあります。

 みなさんはどう思いますか。

いいなと思ったら応援しよう!

じゃがいも小僧
ここまで読んでくださりありがとうございます。この記事が心に響いたり、楽しんでいただけましたら、缶コーヒー1本分のご支援をいただけますと励みになります!