給与はなぜ「見合わない」と感じるのか
「こんなに時間と労力をかけて、これだけしか給与がもらえない……」と
思うことは、誰しも一度は感じたことがあるのではないでしょうか。
この問題は、主に「体感する時間」が原因ではないでしょうか。
目次
・「成果」「コスト」「給与」の関係
・「成果」と「コスト」の体感時間
・給与とコストがますます見合わなくなっている?
◯「成果」「コスト」「給与」の関係
まず、「成果」「コスト(時間や労力等)」「給与」の関係を以下のように整理しました。
・「成果」と「給与」は比例しやすい
・「コスト」と「成果」は比例するとは限らない
・よって、「コスト」と「給与」が比例しない(見合わない)時がある
はじめに、成果と給与の関係を考えます。
仕事の成果の対価として、給与が支払われるのですから、成果と給与は比例しやすい関係にあると考えられます。ただし、通常の給与形態では成果が2倍になっても、給与は2倍にはならないことが多いでしょう。
次に、コストと成果の関係を考えます。時間や労力、お金などコストをたくさんかければ、自ずと成果も上がるのではと思います。
しかし、無駄な会議や資料作りの時間は成果に全く関係無いですし、お金をかけてテレビCMをしても観て欲しい年齢層が観なければ意味がありません。逆に、アイデアによってはコストをあまりかけなくても、高い成果をあげられることがあります。
このように、コストと成果は比例するとは限らない関係にあると考えられます。
以上の2つのことが理由となって、「たくさんコストをかけたのに給与が見合わない」という事態が発生します。
これにより、次の問題が起きます。頭では、「給与は成果で決まるから、成果が出なければコストをかけても給与が見合わないことがある」と分かっても、「こんなに時間と労力を使ったのに、給与がこれだけなのか……」と、気持ちとしては納得いかないと思い悩んでしまいます。
これは、「成果」と「コスト」のそれぞれが、体感する時間が異なることで起きているのではと考えました。
◯「成果」と「コスト」の体感時間
普段の仕事では、「成果」と「コスト」をそれぞれどのくらいの長さで感じているのでしょうか。
まず、成果を感じるのは「一瞬」だと考えます。なぜなら、成果とはほんの一瞬の出来事だからです。契約が成立した瞬間、代金が振り込まれた瞬間、依頼された商品を完成させた瞬間など、何かを達成したことが成果であり、達成事態は一瞬の出来事です。
ですから、体感する時間も一瞬であり、それほど記憶に残りません。
一方、コストは仕事をしている間、ほぼずっと感じるものだと考えます。
なぜなら、普段の仕事がコストに該当するものだからです。会議をするのも資料を作るのも、営業するのも商品を開発するのも、それ事態は成果ではなく、ただのコストに過ぎません。
普段の仕事のほとんどは、成果を生むための一連のコストであり、体感している時間は圧倒的に多いです。
こうした体感時間の違いから、「使った時間と労力に、給与が見合わない」と感じるのでしょう。
◯給与とコストがますます見合わなくなる?
もちろん、給与の全てが成果のみで決定しているわけではなく、個々の労働者が費やすコストにある程度応じているところがあります。残業代(基準より多く時間を費やしたから対価を払おう)は、まさにコストに応じた給与部分です。しかし、このコストに応じた部分の給与が、労働者が体感するものと釣り合わないものになってきているのではないでしょうか。
最近よく、「生産性を上げよう」と言われますが、これはコストよりも成果をもっと重視しようという考えです。そうすると、社員に成果をより追求させるために、今まで以上に成果を重視した給与決定が増えるようになるのかもしれません。
今まで通りの仕事のやり方では、ますますコストと給与が見合わないと思うようになる可能性があります。
より効率的な仕事が必要ですが、そもそも「仕事をして給与をもらう」という活動をしている限り、この問題はずっとついて回るのかもしれません。
皆さんはどう思いますか?
※2020年10月24日 構成修正