JAET よみもの 片山士駿③
さて、高校に進んだ片山少年は千葉大学のモダンジャズ研究会の仲間に入れてもらいます。 通っていた高校は都内にありましたが、ジャムセッションのある毎週金曜日には、放課後ガタンゴトン電車とバスを乗り継ぎ、ジャズ研の部室に通ったのでした。割とどこのジャズ研や学バン (大学のビッグバンドサークル)でもそうだと思うのですが、千葉大のジャズ研でも学年を音名に読み変えていました。イタリア語読みのドレミファソラシは、英語ではC,D,E,F,G,A,Bとそれぞれ充てがわれていますので、1年生だったらC年、4年生だったらF年、といった按配で呼ばれておりました。高校進学の年に、大学1年生の皆さんと一緒に千葉大ジャズ研のC年として晴れて入部させてもらった僕は、そこで”スタンダード”というものがあることをまず知ることになります。毎週のジャムセッション で、沢山あるスタンダードを先輩方から教えて頂いたり、練習させてもらっていたのです。またその年の新入部員でグループ分けされて結成する”C年バンド”なるものにも、ご多分に漏れず混ぜてもらい、そこでも色んな曲を練習したのでした。当時大学生の皆さんが、高校生の僕を仲間として受け入れて下さった事は、本当に本当に感謝しています。
一口に”ジャズ研”と言っても、部員みんなが好きな”ジャズ”が同じというわけではありません。そ れまでジェレミー・スタイグと、50年代の所謂ハードバップと呼ばれるCDしか聴いていなかった 僕は、入部して暫くしてからフリー・インプロヴィゼーションに出会います。当時の千葉大ジャズ研 は、オーセンティックなストレート・アヘッド・ジャズより、どちらかというとフリー・インプロヴィゼー ション色が強い、或いはフリージャズも好き!という人の割合が多かったように思います。そんな 幅広くジャズに造詣の深い諸先輩方と、夜中にインプロセッションをしたり(僕がいた頃は、24時 間音が出せた)、朝1番からドラムと即興でデュオをしたりしたのでした。大学祭の催しで、サック ス2人、ベース2人(!)、ドラムという特殊な編成で、チャールズ・ミンガスの「直立猿人」という曲 を、フリーで、それはそれは全員が強烈にモーレツな演奏をしていた時、丁度当時の学長さんが いらして、「うむ」と暫くじっと聴いていかれた、という珍エピソードもありました。思い返せばそうした経緯もあり、フリー・インプロヴィゼーションにも特に違和感なく入っていけて、音楽そのものを聴くのも演るのも楽しんでいたのだと思います。
そんなこんなで、充実した高校生活をジャズ研で過ごした僕でしたが、卒業後の進路については今ひとつ決めかねていたのでした。音楽大学に行きたいが、行きたいと思っていた 学校のジャズ科にはフルート専攻が無く、兼ねて習いたいと思っていたフルート奏者の方がある 音楽大学で教鞭を取っていたが、彼がそこで教えているのはクラシックだった等々。今ひとつ決 めかねる理由が多々ありました。そんなある時、片山少年はある人物に会う事になるのですが... そこからはまたながーい話になるので、また次の機会に取っておく事と致します。