臨書日記② 王鐸やろうとして文徴明
王鐸やるよって宣言したのに、有言不実行となってしまっているかえるです。
共に明時代の人なのだけど、なんというかとても対照的な二人。一人は明清と両方で宮仕えしてしかも政治的には全然無能だったとかで、本土では変節の士などと言われていたりするし、他方は科挙には結局合格できずに、ちょっとやったお勤めもさっさとやめて、文画に生きて蘇州芸苑を長いこと主宰していろいろ面倒見て慕われたとか。ともに王義之をよく習ったのに行き着いたところが全然反対。一方は独自の境地でうなるような長条幅の作風を作り上げ、他方は名筆達の良いところを総合したバランスの良い、しかしこれと言って注目されるような作風ってやつがあるわけじゃない、とか。同じものを通過して全然違うところに行っちゃうのの、奈辺に違いがあるのか。インプットからアウトプットの脳内回路の問題なのかなぁ。手のひらをじっと見ちゃう。毎日毎日習字して、うまいこと真似するよねぇって言われたりして、うれしいなーと思う反面、そこからの跳躍がどうしてもできないでいるうちに、年を取って頭固くなって来たりして、まぁ、書道をやる人もなんていうか、ゴルフのツアープロとレッスンプロとがあったりするように、それぞれのフィールドってやつがたぶんあって、選ばれしものの世界には到底届かないのかもしれななぁと、ちょっとあきらめの境地にもいたりする。そんなことを考えた宣言からの道草臨書日記でした。
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