分岐が切り替わった
「何が起こるかわかりませんねぇ。まあなんか……ルート分岐がどこかで変わりましたね」セカンドライブの開催発表などいくつもの重大発表を終えた彼女は、嬉し恥ずかしそうにそう言っていた。
数日後、僕は村上春樹の『1Q84』を読み直していて、次のような一説に差し掛かった。物語が終盤に近付き、主人公の一人である青豆が自身の心境について振り返っている場面である。
この一説を読んだ後、僕は冒頭の月ノ美兎委員長の発言を思い出さずにはいられなかった。そもそも僕がnoteに記事を投稿し始めたのも、委員長の雑談をきっかけに『1Q84』を読んだことがきっかけだった。
人間は生きていくうえで様々なものから影響を受けている。家族、友人など身近な人々との関係。職場や学校などの自分が所属する組織。スマホの画面の中にあふれる動画、広告、SNSのトレンド。はたまた世界の政治情勢から感染症、自然災害……と挙げればきりがない。今日の帰りに何を買おうか、来月の旅行の予定、新しいプロジェクトのための予算額……。僕たちが何かを決断しようとするとき、純粋に自分の意思だけで決めるということはほとんど不可能だろう。
2018年、アプリ「にじさんじ」のテスターの1人、16歳の高校生として月ノ美兎は活動を開始した。にじさんじによるLive2Dを使用した生配信中心の活動スタイルは、それまでの3Dモデルを使用した動画が主体であったバーチャルYouTuberとは別の路線を作り出すことになった。あくまでも我々とは別次元の存在であったバーチャルYouTuberは、視聴者と同じ人間として配信を介して我々と交流することができるより身近な存在になった。それはバーチャルYouTuberという概念に新たな分岐点を生み出した。そして活動開始から1か月ほどたった2018年3月12日、月ノ美兎のファンによってニコニコ動画にこんな曲が投稿された。
その1週間後の3月18日の生放送「月ノ美兎の放課後ラジオ #1」の冒頭で「Moon!!」の冒頭を月ノ美兎自身が歌った動画が挿入されたのだ。この曲は月ノ美兎はもちろん、にじさんじにとっても初のオリジナル曲となった。既に歌やダンスで活躍するバーチャルYouTuberは現れ始めていたが、にじさんじも様々なイベントやライブを開催し、歌やダンスをライバー活動の要素の1つとなっていった。
2020年の年明けとともに衝撃的なCMでメジャーデビューが発表され、月ノ美兎はSony Musicのレーベルに所属することになる。その後はコロナ禍の影響などによりリアルでのイベント開催が困難な状況になったが、配信によるライブの開催などバーチャルならではの強みを活かし、にじさんじは成長を遂げた。同年10月には月ノ美兎オリジナル曲1st Single 「それゆけ!学級委員長」が発表された。
翌2021年にはレーベル衣装が発表、8月に1stアルバム「月の兎はヴァーチュアルの夢をみる」が発売された。その中には、あの「Moon!!」も収録されていている。11月には1stワンマンライブ「月ノ美兎は箱の中」を開催を開催するなど、レーベルアーティスト月ノ美兎としての活動は順調に進むかのように思われた。その後もにじさんじの主催する数々のライブに出演し歌やダンスを披露する機会も増えていった。しかし、その後レーベルとしての活動はなかなか進展が見られなかった。一方で2022年の後半からは配信だけではなく動画投稿の割合を増やすなど、月ノ美兎の活動は進化を続けていた。
そして2024年の8月、歌枠配信の後に彼女がレーベルを脱退することが発表され、8月31日にオリジナル曲「てんやわんや、夏。」MVが公開された。バーチャルYouTuberのオリジナル曲でありながら、映っているのは3人のおじさん?というかなり挑戦的なMVは大きな反響を呼んだ。
後の雑談配信の中で語っていたが、委員長はレーベル所属について助けられた面もあったが、様々な制約もあったようだ。今後はセルフプロデュースという形で音楽活動を続けるとのことであった。そうして改めてMVを見てみると「てんやわんや、夏。」は月ノ美兎としての音楽活動にとって新たな挑戦であり分岐点であったと言えるだろう。そして12月に、1stミニアルバム「310PHz」のリリースと2ndソロライブ「Paper Rabbit」の開催発表となった。
怪しいベンチャー企業?だった「いちから」はいまや東証プライムの上場企業「ANYCOLOR」となり、月ノ美兎のチャンネル登録者数は130万人を超えている。中学生の頃は文化祭の後夜祭で自分から裏方を取りにいっていた彼女は、来年2回目の単独ライブ開催を迎えようとしている。
今年はにじさんじでもそれ以外でもベテランのバーチャルYouTuberの卒業があった。2018年当時に2024年のバーチャルYouTuber業界の姿を誰が想像できただろうか?企業勢だからこそできること、できないことは業界が大きくなればなるほど出てくる。2024年は間もなく終わりを迎えようとしている。彼女の7年近い活動のうえでも様々な分岐点があっただろし、これから先にも様々な分岐点があるだろう。自分だけで行き先を決められる事ばかりではないし、いつの間にか分岐点を過ぎていたという事もあるかもしれない。それでもこの世界で月ノ美兎として動画や配信活動を続けるという選択をしてくれていることは本当にうれしいことだ。
2025年の月ノ美兎委員長は僕たちにどんな姿を見せてくれるのだろうか?